序 章:追放者は嗤う

序-①

 結局は無駄骨だった。


 そんな現実を見せ付けられた時、人はどの様な反応を示すだろうか。


 少なくとも、苦しい現実に立ち向かえるだけの強固な意思を持った人種じゃない。

 無力感や失望感、その他諸々の感情がごちゃ混ぜに煮詰められた、真っ黒で禍々しい感情の塊。

 それを『理性』と言うフタで強引に閉じ込めているのが、今の君の現状だ。

 煮詰められ続ける感情の闇鍋が、いずれ爆発を引き起こすのは当然の道理で、その先に待ち受ける惨劇は、想像し得る中でも最悪の未来と言えるだろう。

 思い返せば、理不尽な事ばかりの人生だったと、君は記憶の海に身を投げる。


 最古の記憶は幼少期のスラム街。

 追い剥ぎ紛いの事をしていた時に貴族の娘を偶然助けた事が、君の最初の変化点だ。

 愛娘を助けた礼にと貴族の屋敷に招かれ、下働きとしての職を与えられた。

 奴隷としてではない。真面目に仕事をすれば報酬が与えられる、真っ当な『雇用』だ。

 元々が極限に質素であった君の生活は一気に豊かになり、飢えによる恐怖など直ぐに忘れ去ってしまった。

 世界が鮮やかに着色されていく瞬間が、数年経った今でも鮮明に思い出せる。


 まぁ、そんな輝かしい生活は、長くは続かないのだが──。


 さて。


 現実逃避もそこそこに、今一度、君の現状を確認してみよう。


 全身のあらゆる個所から、体の異常を知らせる危険信号が鳴っていた。

 鉄の味が口の中に広がる感覚が、不愉快極まりない。

 朦朧とする意識の中、君の視界に広がるのは苔と雑草が生えた地面。空を覆い隠す立派な木々の並び。不規則に舞い散る落ち葉の雨。


 そう。君は今、森の中を貫く街道の片隅に倒れていた。


 何があってこうなったのか。

 直近の記憶を辿ると、再び闇鍋に火が掛けられたような気配がした。


「そうだ……。私は──いや、」


 先程見た過去の記憶。その残影を振り解くように、君は首を左右に振る。

 次いで、両手を地面に突き立てて上半身だけ起こす。

 まだハッキリと輪郭を捉えられない視界をゆっくり左右に動かして周囲を確認していく。

 君のすぐ近くには横倒しになった馬車と、積み荷の資材が散乱していた。

 今回の旅を共にしていた馬の姿がない。何処に逃げてしまったか、あるいは──。


「俺は……、駄目だったのか……」


 再び呟いて、力無く地面に突っ伏す。

 とある建物の雨漏りを修理する為、近隣にあるエルフの村に資材を調達しに行った帰り道。

 突然、馬が暴走した事で、馬車諸共投げ出される事となったのだ。

 咄嗟の事で原因は判らない。

 せめて逃げ出した馬がいれば、考察の余地はあるのだが──。


「……ハッ、ハハハハハ」


 自然と口角が上がり、静かなわらいが口の隙間から漏れ出す。

 原因が何であれ、失敗ばかりの人生に、いよいよ君の心も限界が見えて来た様だ。

 贅沢は言わない。ささやかで平穏な暮らしを『あの人』を過ごせたら、それで良い。

 その為に必要な事は何でもする意気込みだったが……、初っ端からこの体たらくでは、時間がいくらあっても足りない。

 感情の闇鍋に新たな具材が焚べらて、混沌は深みを増していく。


「──おい、。何故こんな場所で眠っている? さっさと立たねば危険だぞ?」


 不意に聞こえてきた君の名を呼ぶ声。

 その凛々しくも優しい声色を、君は良く知っている。

 不思議と、その声を聞いただけで全身に活力が戻っていく。

 君は今一度、両手を使って上半身をゆっくり起こし、声が聞こえた方へ顔を向ける。


 そこには、馬に跨った状態で君を見下ろす、褐色肌の聖女がいた。

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