厨房へのご挨拶③
(それにしても、足が滑る怪我が多いな。厨房の床が滑るのは、小まめな清掃管理だけしかないけど、靴裏に滑り止めのグリップはついていないのかしら?)
「グラント、調理人の靴はどんな物を使っているのかしら?」
「靴ですか?こちらのレインフロッグの皮を使用した木靴になります。撥水性があって、水の染み込みが多少防げますし、滑り止め効果もありますよ」
「……裏はどうなっているの?」
そう言って、片足を上げて靴底を見せてくれるグラントの靴を見て、私はギョッとした。
滑り止めを施していたであろう皮靴の裏は、皮が擦り減って中の木が見え隠れしていた。もはや滑り止めの意味は無く、ヤスリも真っ青な仕上がりである。
(こんな木の靴に皮を張り付けただけの靴は、撥水性ありなんて言えないよ!)
あぁ…本当に古代のスライムありきの生活を排除した古代人が妬ましい。ヴァリー神が言っていた、スライムは万能製品だわ!前世の記憶がある私が、どんどん商品にしたい物が浮かぶんだもの!古代では、きっと活躍していたんでしょうね、スライム。実感すれば、あら不思議。早急に取り入れたくなるこの気持ち!
レインフレッグの皮に撥水性があるなら、スライム液で木と皮をコーティングすれば、撥水性も強化出来る。靴裏には、スライムジェルをギザギザ《滑り止め》に模った物を貼り付ければ、滑り止め、転倒防止になる。余分な部分は、研磨やカットすればいいし。
(これは、スライムの養殖がいるかしら?絶滅しそうで怖いわ…そうだわ!研磨に必要なザラザラした石とかないかしら?アードルさんを尋ねた時にでも聞いてみましょう)
「お嬢様?」
「……ぶつぶつ」
「グラント様、お嬢様は少々思考の渦に沈み込まれております。代わりに私が説明を受けますが、お嬢様付きの厨房係は、モリーヌで構わないんですね?」
アリサの眼光に一瞬怯むグラントだが、ワイズの視線は明後日の方向で、助勢も見込めないと踏んだグラントは、覚悟を決めて頷いた。
「そうです。ウェイティングメイドのアリサ殿には『私は気にしません』…そうですか。そう言っていただけると、助かります。モリーヌ、君も休憩中で申し訳ないけれど、いいね?」
私が伺うように聞くと、モリーヌは大きく首を縦に振った。
「平気でございます!私のようなキッチンメイド見習いが、お嬢様のお相手が出来る、またとない機会でございます。是非こちらからもお願いしたく存じます」
「……そこまで気合を入れてくれているなら、私も嬉しくなってしまうわ。『カティアお嬢様、おかえりなさいませ』…ただいま、アリサ。知っていると思うけど、私はガスパールの二子カティアよ。よろしくね」
私の急な帰還にも驚かず、冷静に出迎えの挨拶をするアリサ。私に慣れたもんだと思いながら、モリーヌへの挨拶を済ませる。
「私は、こちらで働かせていただいているキッチンメイドのモリーヌと申します。よろしくお願い致します」
私の挨拶に、モリーヌは深く頭を下げて応えてくれた。
「ふふっ……そんなに固くならないで。休憩中の拘束形態になってしまうから、本当は金銭で払うべきなのだけど、私は持ってないの(今は)。だから今日作る甘味を、少しだけお譲りするわ!」
「まぁ!甘味をでございますか!?」
この世界で貴重な甘味を口に出来るとあって、浮足立つモリーヌ。喜色に染まった微笑に、私もふふっと微笑んだ。
モリーヌはすごくソワソワして落ち着かないけど、そんなに砂糖の塊を食べたいのかな?
「えぇ。今回作る甘味……お菓子は、今日の休憩タイムに、お父様たちにお出しするものなの。試食と言ってはなんだけど、是非感想を聞かせて欲しいわ!」
モリーヌの人柄が良さそうなら、商会で雇うのも良さそうだ。その場合は引き抜きになっちゃうから、お母様あるいはシルベスタの了承がいるなぁ。
「私めが旦那様方のお菓子製作のお手伝いを……」と半ば放心気味のモリーヌに対して、「なにぃ!?今日の菓子の急な中止は、そういうことだったのかよ!?」と愕然とするワイズ。
それを見た私は、心の中で悪心が疼き出す。この世界の菓子とは全く違った甘味を前に、ワイズは平常心でいられるかしら?…きっと、自身が手伝わなかった後悔に駆られることでしょうね。
「あぁ、楽しみ!」
私は、プリンが出来上がった時のことを考えて、ニヤつく顔が抑えられませんでした。
「はい!楽しみでございますね!」
なんて純真なモリーヌとは違い、アリサはカティアを冷めた目で見つめるのだった。
(我が主は、なにを企んでいらっしゃるのでしょうね?)
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