第1話 魔王軍の憂鬱
「がァあァァァァァァァァァぁッ!!」
魔王城は最上階、玉座の置かれた大広間に、怒号とも嘆きとも取れる叫び声が響く。
「魔王様、お気を確かに…」
「気は触れとらんわ!」
差し伸べられた側近の手を、異形の怪物は巨腕を振るって払いのけた。
「あの勇者さえ居なければ、今頃、王都は我がものになっておったに!」
憤るあまり、怪物は身に纏った甲冑を震わせて呻く。
太く鋭く突き出した角付き兜、全身を覆う銅色の鎧。その姿は、王国の千年紀伝説に登場する悪辣の大魔、''ブルカブト''と呼ばれた魔王の姿に間違いはなかった。
しかし、王国を恐怖に陥れているはずの魔王ブルカブトが、魔王城を揺らがせるほどの地団太を踏みまくり、側近たちにたしなめられている。
「いやいやいや、魔王様ー。貴方の下にはこの私がまだ残っているではありませんかー」
そう言って現れたのは、四天王の一角、ブレインハット卿である。
見た目は、桃色のショートヘアが可愛らしい、幼い少女だ。しかし、深く被った水色の帽子にはファンシーな脳みその柄が描かれ、座っている椅子からは用途不明のマシンアームが何本も飛び出している。とにかく、大変趣味が悪い。
空飛ぶ椅子に乗って、ブレインハット卿はブルカブトの眼前にふわりと滑り込んだ。
「メカ勇者の開発は順調ですよー。あと一歩で完成ですよー。」
機械的な業務報告を、魔王ブルカブトは怒った表情で受け取る。
「貴様のあと一歩はどれだけ遠いのだ!あと一歩と言い続けてもう丸一年になるではないか」
「あははー。いやはや、中々に難しいんですよねー、科学ってモノは」
クルクルと椅子を空中で回転させながら、ブレインハット卿は言葉を返す。
「それで材料費なんですけどー、追加で50万ゴールドほど頂きたいですねー」
「またか!」
平然と経費支出を要求してくるブレインハット卿に、ブルカブトは怒りが収まらない。しかし、今の魔王軍の命運はこのブレインハット卿の手に握られているのだ。
「メカ勇者が完成したら、勇者なんてチョチョイのチョコレート!ですよー」
メカ勇者プロジェクト。
それは一言で表せば、勇者には勇者をぶつけるという、常識外れのアイディアだ。
それも、魔王側が用意する勇者は合金製。勇者を上回る力を持つ最強の戦闘機械、それがメカ勇者である。
…が、このプロジェクト、魔王軍随一の科学者であるブレインハット卿の提言で始められたはいいが、全くと言っていいほど進展がない。毎回、実りのない報告とともに新たな予算を請求されるだけで、一向に成果が上がる気配がないのである。
「これで完成しなければ、どうなるか分かるだろうな」
魔王ブルカブトは睨みつけながら、金庫から持ち出した煤まみれの財宝の幾つかを、ブレインハットに放り投げた。
ブレインハットの背中から伸びたマシンハンドが、超反応で財宝をキャッチする。
「ご心配なくー。いよいよ大詰めですから、近いうちの吉報をお楽しみにー♪」
そう言うと、ブレインハットは颯爽と広間を出て自らの工房へと飛び去っていった。
「駄目だっての!予算がつかねえから仕入れは無理だ!」
大広間でも、お金の問題が取り沙汰されていた。
「魔物にも効果抜群のポーションですよ?まとめ買いでこの値段は破格だと思いますがねぇ」
黒いぼろきれのような外套に身を包んだ女性が、宣伝の文句を連ねる。フードに隠れて顔は見えないが、透き通った声だ。彼女が広間の床に広げた風呂敷の上には、濁った緑色や朱色のポーションの入ったフラスコが転がる。彼女はどうやら、人間の薬売りらしい。
「だから特価だとしてもうちには買う金がないの!」
彼女のセールスを断り続けているのは、紫色のブランケットを羽織った魔物である。ブランケットから半分だけ飛び出した頭部は、苔むしたような深緑色に染まっている。そこから三日月のような大きな二本角が伸びている様は、どこぞの教典に描かれる悪魔の姿のようだ。
「この城の魔物たちはどれも貧弱そうですし、勇者が攻めてきたら一網打尽ってとこじゃないですかね。そこでこの
諦めが悪い薬売りは、なおも文句を続ける。ちゃっかり、現在の魔王陣営が置かれた状況を理解して売り込みに来ているあたり、商才はあるらしい。
双方が譲らずに口論していると、騒音に堪えたのか、魔王ブルカブトが割り込んできた。
「ブランケット!貴様、なぜこの広間まで人間を入れとる!さっさとつまみ出さんか!」
羽織ったブランケットの隙間から漆黒の表皮が覗く魔物は、そのままブランケットという名前らしい。
「申し訳ありません、しつこいセールスでして…」
一応、彼も四天王のひとり。アスカリア王国上陸作戦に参加した四天王3名のうち、唯一生還した強者でもある。といっても、勇者と剣を交えて5秒足らずで波打ち際まで吹き飛ばされ、死ぬ思いで魔王城に逃げ戻っただけだが。
「オラ、出ていけ出ていけ!」
ブランケットは、剝き出しの牙を光らせ、薬売りに凄んだ。
「ハイハイ、ですが一回試すだけでも」
「試さない!風呂敷を
魔王軍に取り入ろうと、洋上に浮かぶ魔王城までやって来る悪心者は度々いたが、ここまで商魂あふれる輩は珍しい。
「これなんか美肌効果があるんですよ。シミなんてたちどころに消えてしまうんです」
「生憎だが肌荒れには困ってないんでな」
「そうですか?確かに、シミなんて気にならないくらい肌が真緑ですけど」
「ほっとけ!」
そして、魔王軍相手にここまで軽口を叩けるものも珍しい。最も、この場で血が流れると掃除が面倒なので、腹立たしい奴だからといって無暗に殺すわけにもいかないのだが。
問答の末、薬売りは渋々と風呂敷の中にポーションを仕舞い始めた。
「いやあ、貴方ならこのポーションの良さが分かると思ったんですけどね。残念ですよ、ラケットさん」
「ブランケットだ!二度と来るなお前!」
苛立ちが限界を迎えたブランケットは、ついカッとなって腕を振るった。
「あ―」
ブランケットの腕の先端に付いた鋭い爪が、振るわれた拍子に、薬売りの外套の布地に引っかかった。その勢いのまま、外套はビリリと破けながら取れ、薬売りは尻餅をつく。
「―ッ!?」
ブランケットは、目を見開いて凍り付いたように固まった。まるで、眼前に見える光景に戦慄したかのように。その様子を見て、ブルカブト以下広間の魔王軍一同も、察したかのように顔を引きつらせる。
「お、おま、お前は―」
身を隠す外套が取れたことで、露わになった薬売りの素顔。
ふわりと下ろした金色の長髪に、美しく凛々しい顔、しなやかに伸びた肢体。それはまさしく―
魔王軍を絶望の淵に叩き落した、少女の形をした異常存在。
ブランケットが目にしたものと寸分も違わない姿の、恐るべき聖女。
勇者、その人であった。
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