流れ人

よだかの夜

第1話 流

私はただただ彼ではなく、彼である。 

ぽつりと誰かが呟いた。人知れず何処かで蝶がまっている。何だろうか。漠然とある少しの違和感。私はさっきまで何をしていただろうか。私は何だろうか。私とは何だろうか。分からない。思考を巡らす。私の中にある過去に触れる。すると頭の中で電流が走った。いや、その様な感覚に陥った。私はどうやら記憶を喪失しているらしい。事故か、ショックなことがあったのか理由は分からないが何かが起こったのだろう。いや、これは夢かも知れない。夢でないなら何だろうか。夢でなら私を失っても仕方がない。夢ならば目覚めると全て思い出すだろう。夢ならば、夢であるならば、現実で数秒の時間を曖昧な空間で楽しもう。そうだ。とりあえず、起きあがろう。これが何だろうが関係ない。そしてどの様な状況も受け入れよう。足を上げ、反動をつけ、なるべく腹筋を使わない様に状態を起こす。目の前の光景に私は目を疑った。起き上がると私は流されていた。川というよりどうやらベルトコンベアに流されているという感じか。私の歩みよりゆっくりと一定のスピードで私は流されていた。揺れはない。だがはっきりと流されているとはわかる。などと思考を巡らせていた。何だろうか。一つの違和感。ふとあたりを見渡す。そこには特に何もない。なかったのだ。真っ暗という訳ではなくただの無がそこにあった。しかし、流れているということは始まりと終わりがあるはずだ。その始まりも終わりも今の私の位置からは見えない。遥かに遠くにある様だ。私は妙な感情に駆り立てられた。始まりと終わりを見たいと。存在が確実にあるそれを。かのメビウスの輪ですら始まりと終わりは知っているだろうに。このベルトコンベアの端を見たいと。私は始まりを目指そう。なぜ、私が流されていたのかそれを知りたい。ただそれを。理由は何かあるのだろう。あるならそれはそれなのだ。私は歩き始めた。放浪するただの私である様に。行けどもゆけども景色は変わらない。進んでいるのか、場所が変化したかもわからない。ゴールのわからぬ道には其れなりの苦痛が伴うものだ。渇いてきた。何かが渇いた。喉ではなく私自身が渇くのだ。砂漠を歩く旅人はそれなりの準備をする。ルートを考え、持ち物を確認し、計画を立てる。それが既知であれ未知であれ尊き冒険者なのだ。自ら進む、それにこそ行動に魂が宿る。しかし、私は違う。いや違うのだろう。ただ一本道。未知ではあるが宿らない。それでも私は進まねばならない。それが選択なのだから。選択できぬ選択であっても決めたことは決めたことだ。トートロジーのように聞こえるがトートロジーではない。同じ言葉にも宿るのだ。別のなにかが。それがわからない。ズキンと頭に鈍痛が走った。頭の病気なのだろうか。いや、記憶喪失の時点で何かしら不具合が起こっているのだろうか。痛い。だが耐えられないほどではない。思考がまとまらない。なんだ。遠くから聞こえてくる笛の音は何だ。ハーメルンの笛だろうか。どこかへ連れて行かれるのだろうか。薄れゆく意識の中で小さな声が聞こえた様な気がした。 


 「やあ、君はグスコブだね。」何かが話かけてきた。頭がズキズキと痛む。頭に手を当てながらよろよろと立ち上がる。どうやら寝ていた、もしくは気絶していた様だ。声のする方を向く。するとそこには誰もいなかった。声の主はどこだ。辺りを見渡しても誰もいない。そして景色が変わっている。流れの中ではなく一面の白の中にいた。雪などを彷彿させる白ではない。目眩を覚えるほどのただの白だ。イデアの白だ。そうか、頭痛が原因で幻聴が聞こえたのだろう。さっきから混乱することばかりだ。仕方がないだろう。そんなことを考えていりとそれはまた話しかけてきた。「君はグスコブだね。妹君は見つかったかな?大男は見つかったかな?」何を言っているのかさっぱりわからない。「私を君はしっているのか?」私は聞いた。それはもしかすると私を知っているかもしれない。私は期待をした。するとそれは口を開いた。口があるかは分からないが。「君については知らない。君が何者かなどは関係ない。だか、間違いなく君はグスコブだ。」戸惑う私を前にそれは続けた「少しついてきておくれ。町まで案内しよう。」私は理解ができなかった。だが、ついていけば何かが分かるかもしれない。どうやらなにかをしっているようだから。「私は君を見ることが叶わないのだが、どのようについていけば良いんだ。」と疑問を投げかけるとそれは少し黙った。そして何かがわかった様に「おお、そうか、そうか。」とつぶやいた。そしておかしなことを言った。「でも君なら分かるだろ。何処にいるかが。雰囲気というのかな?何といえばいいか。そうだ、感覚だ。感覚でわかるだろう。」私はわかった。こいつはいかれている。見えないため、想像ができないがこいつの頭のなかは空っぽだろう。蟹味噌の方がましだ。しかし言っていることは分からないが理解はできる。理解はしたくないが理解できてしまうのだ。何処にいるかも心なしかわかる様な気がする。本当は幻聴と会話をしているのかも知れないが。着いていこう。こんな行かれた白い空間からは早く抜け出さなくてはならない。白い空間にずっといた病人の気が狂ったという話は何処かで聞いたことがある。着いていくことにした。立ち上がりそれの方を向き「それで何処に連れて行かれるんだ。」と悪態をついた。するとそれは「連れて行かれるなんて心外だよ。案内するのさ。僕の住む町を。ツアーのガイドをするんだよ。」こんなところの先に町なんてあるのか。「なぁ。名前、名称を教えてくれないか?名前がないと呼びにくいんだ。」ふと思い浮かんだことを口に出した。するとそれは少し驚いた表情をした気がした。「君が名前に興味を持つなんて珍しいね。君はそういうものに興味がないだろ。まぁ、呼びにくいだろうし、そうだなイートくんとでも、呼んでおくれよ。」イートくんとは偽名だろうか。いや偽名に違いない。そもそも名前なんてないかも知れない。通称というやつか?分からないがそれはイートくんと名乗った。少し癪だが呼び名はイートくんに変えよう。いや、イートでいいな。フールでもバーカでもいいが。そんなふうに考えながら自称イートの後を追った。どれほど歩いただろうか。感覚では20分は歩いている。と言っても感覚は当てにならない。この空間の、時間の流れすらわからないのだ。1分が1分だとするものが無い。確かなものはないのだ。確かなものは我思う故に我ありだろうか。我というものが分からない私にとっては私自身が不安定なものなのだから。案外イートもそうなのかも知れない。イートは存在しない。そして不安定なのだ。地球は私に認識され始めて存在するようにイートも私に誰かに認識されてはじめて存在するのではないか。そんな疑問が泡沫のように浮かんでは消え、浮かんでは消えた。


EP.よだか


「さぁ、ついたよ。」とイートが突然告げる。辺りを見渡しても何もない。しばらく探しているとイートは言ってきた。「探すんじゃない。見ようとするんだよ。見ようと自ずから。見るというのはそういうことだろう。」さっぱりわからない。少し頭がズキンと傷んだように感じた。頭を抑えながら前を向き、霞んだ目をこらす。薄らとした白が、霧のような白が次第に晴れていき町が見えてきた。というか町に入っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

流れ人 よだかの夜 @totonoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る