最終話「苦悶地蔵」 投稿者:あたしは、悪者?さん 4
余命半年、だそうです。彼女の話に寄れば、ステージ云々まで来ているらしい。抗がん剤の治療も見込めず、「あとは延命治療を施すしかない」との事です。癌への痛み止めも、その抵抗の一つでしかない。会社のオフィスで倒れた彼女には、病室の窓からあれこれ考えるしかありませんでした。
彼女は点滴の中身を見て、その減り具合に「クスッ」と笑いました。「最悪、ですね。人を呪わば穴二つ。私が癌に罹っていたのも、その報いに違いありません。自殺未遂の人まで出して。私は、あの人達以上の」
罪人かも知れない。罪人かも知れないけど、それを頭から否める事はできない。彼女が彼等にやった報復は、どんな人間でも持っている感情です。「自分の恨みを晴らしたい」と言う欲望、「この世の不条理に立ち向かいたい」と言う感情。それ等の感情は、あたしも含めたすべての人間が持っている物でした。
彼女だけが、特別な人間ではない。腕の点滴に「アハハハッ」と笑う顔は、彼女の内面を写す鏡でした。彼女は顔の笑みを消して、あたしの顔に向きなおりました。「虚しいです、私。こんな事に命を使って。私は……」
そこから先は、無言。あたしの視線に対して、ただ微笑むだけです。自分の気持ちを吐き出すどころか、その恨みすらも言いません。窓の外から入ってくる光のように、自分の命を憂えるだけでした。
彼女はベッドの上に目を落として、その光に目を落としました。「落ちないでください。わたしのようにこんな、こんな思いはしないでください。自分が馬鹿だったせいで、こんな。私は、本当に親不孝です」
あたしは、その言葉に押しだまった。彼女が訴える無念に、そして、呪いがもたらす不幸に。あたしは彼女の気持ちに胸を痛める一方で、自分自身にも後悔を抱きました。あの時、彼女に地蔵の話をしなかったら?
復讐ではなく、健全な幸福を目指していたら? 今とは、違う結果になっていたかも知れない。彼女が癌に罹るような、そんな結果にはならなかったかも知れない。
すべてはあたしの想像でしたが、彼女の懺悔を「うん、うん」と聞くと、その想像をどうしても抱いてしまいました。あたしは彼女の姿に自分を重ねて、その死に悲しみを感じました。「ごめんなさい」
そう、彼女に謝った半年後。彼女は、天に召されました。「これから」を生きなければならない彼女が、今までを生きた人達に見送られた。自分の両親や友人達に見守られて、天の世界に旅立ったのです。
彼女とは疎遠になっていた友人達も、彼女の死に対して「悲しみ」を、そして、「怒り」を感じていました。彼女は真っ黒な霊柩車に乗って、町の火葬場に運ばれました。それを見守ったあたしは、自分への怒りでいっぱいでした。これが本当に呪いのせいかは分かりませんが、「今回の元凶が自分かも知れない」と思うと、それに対する罪悪感で溢れかえったのです。「これは、自分の浅慮が招いた事だ」と。
実際は彼女に原因があるのかも知れませんが、そのキッカケを作ったのは、間違いなくあたしでした。あたしは、彼女以上の悪人だ。あっちの世界に彼女を導いた悪人、周りの人にも毒を振りまいた大悪人です。周りの人にはたとえ、気づかれなくても。事の真実を知る自分は、「自分こそが最大の悪人」と思いました。
あたしは心の中で、彼女に何度も謝りました。謝りましたが、同時に恨みも沸いてきた。「自分がどうして、謝らなければならないのだ?」と、そんな怒りが沸いてきたのです。
あたしは、違う場所に逃げたのに? 彼女は自分の夢を通して、あの腐った場所に残ったのです。それで、「自分が苦しむ」と分かっていたのに。彼女がああなったのは、ある意味で「自己責任だ」と思った。「自己責任だ」と思ったから、彼女はもちろん、あの連中にも理不尽を感じた。
アンタ達がこんな事をしなければ、自分は綺麗な人間でいられたのに。至極真っ当な人間でいられたのに。あたしの闇を掘り起こしたのは他でもない、彼女やあの連中でした。あたしの尊厳を損なった連中に情けも容赦も要りません。この真っ黒な感情に従って、今の呪いを続けるだけです。
あたしは人間の闇を呪って、あの場所に車を飛ばしました。車を停めたのは、それから数時間後です。あの日と同じ、夕日が綺麗な時間。夕日の中に夜が見える時間でした。あたしは苦悩地蔵の前に行って、彼に自分の願いを言いました。「あたしを堕とした人間は全員、不幸になってしまえ」と、そう何度も願った。
それが叶うか叶わないかに関わらず、お地蔵さんに恨みを吐きつづけたのです。あたしは自分の気持ちが落ちつくと、自分の車に戻って、自分の家に戻しました。家の中は、静かでした。今の仕事に移ってからずっと、自分の家に誰も呼んでいなかったからです。「あたしの家に行きたい」と言う友達も居なければ、「遊びに来たよ」と言う両親も居ない。
外出用の服を脱いで、いつものビールを呷るしかない。テーブルの上に置いたつまみも、近くのスーパーで買った割引品でした。あたしは座布団の上に座って、テレビの電源を付けました。「ちくしょう」
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう! みんな、勝手な事ばかりを言って。本当に腹が立ちます。誰か一人でも人としてまともだったら、誰も苦しまずに済んだのに。見えない力に縋った結果は、誰も幸せになれない呪いでした。
あたしは、缶ビールの中身を呷りました。ビールは昔から苦手でしたが、飲まなきゃやっていられない。お酒の中に救いを求めなければ、「自分の心も壊れてしまう」と思いました。あたしは嫌いなお酒に身を任せて、その酔いに文句を言いつづけました。……テレビが臨時ニュースを伝えたのは、あたしが最後のつまみに手を伸ばした時でした。
あたしは頭の酔いを忘れて、そのニュースをまじまじと見た。あたしの元同僚が、交通事故で命を落とした。現場は職場の近くで、飲酒運転の車に轢かれてしまったそうです。彼女は轢かれた場所から数十メートルも引きずられ、加害者がそれにテンパった事で、その体はもちろん、腕や足もバラバラにされてしまった。
あたしは、そのニュースに息を飲みました。自分の知り合いが死ぬだけでも、興奮なのに。「それが恨みの対象」となれば、嫌でも「おおっ!」と叫んでしまいました。あたしは部屋の壁に空き缶を投げて、部屋の中を「やった、やった!」と走りました。「ざまぁみろ。悪い事をするから、そうなるんだ!」
あたしは今年一番のニュースを聞いて、それに言いようのない義務感を覚えた。あたしが、すべてを正さなければ。そう内心で、思ってしまった。翌日に家の隣人から「うるさいよ」と怒られても、この興奮だけは忘れない。あたしの善行に比べれば、隣人への迷惑などつまらない事です。
大義の前では、どんな悪行も許される。あたしは昔の天誅よろしく、あらゆる悪を罰しはじめました。あの忌まわしい連中を殺すために。あたしは……ねぇ、神崎さん? あたしは、悪者ですか? 自分の正義に酔っている、バカ野郎ですか? 本当はこんなの、正義でも何でもないのに。ネット記事で奴等の死を喜ぶのは、やっぱり異常な事ですか?
あたしは、そうは思いません。あたしの行為が何であれ、それが悪を滅ぼすのなら。たとえ、悪者でも構わない。幼稚な考えしかない、ただのバカでも構わないんです。それで悪い奴等が死んでくれるなら。あたしは、「悪であろう」と思うんです。
長々と書いて、すいません。この話が採られるかは分かりませんが、これがあたしの怖い話、今も続いている恐怖体験です。
コメント欄は、この話に震え上がった。人間の狂気、そこに救う悪意。それが話の端々から感じられ、彼女の体験談が終わると、それに対する恐怖で溢れた。リスナー達はそれぞれの感想こそあれ、その配信では「彼女が怖い」と言いはじめた。それを聞いていた神崎伊代も、彼等の意見に「そう思います」とうなずいた。彼女は配信の興奮を抑える意味で、リスナー達に自分の意見を述べた。
「この話の怖い点は、『誰も幸せになっていない』と言う点です。一方は相手の悪意に怒り、もう一方は自身の悪に負けた。互いが互いの悪に負けて、その身を不幸にした点です。呪いからは、何も生まれない。人間は……それが分かっていても、自分の闇を通してしまう。自分の目の前に快楽があれば、それに『食べたい』と飛びついてしまう。
相手を思いやるのは、人の基本ですが。それが無視された世界はただ、人間の不幸だけが残ってしまう。不幸は、文字通りの不幸です。自分では、『相手に勝っている』と思っても。それは、一時の事でしかない。悪の麻薬に酔いしれる、ただの現実逃避でしかない。そうしている本人は、『これが最善策』と思っても。相手の魂を潰すのは、ただの悲劇しか生まないのです」
リスナー達は、その意見に「まったくだ」と返した。彼女の意見に反論をぶつける者も居るが、その大半が「確かに」とうなずいたのである。彼等は自分の姿に「あたし」を重ねて、そこに自己の戒めを感じはじめた。「自分は、こうなってはならない」と言う、戒めを。「人を呪わば穴二つ。願うなら、人の幸せを祈れる人間になりたいね?」
神崎伊代も、そのコメントにうなずいた。他者を呪うのは、自分自身を呪う事。自分の人生を壊す事だからである。我々が望むのは、相手への復讐ではない。それが無ければ得られた筈の幸福をただ、今の自分に返して欲しいだけである。
彼女はそんな意味も込めて、リスナー達にいつもの挨拶を述べた。「彼女の気持ちがどうか、救われますように。それではみなさん、次の怪談話までgood night、Bad horror」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます