第3話「苦悶地蔵」 投稿者:あたしは、悪者?さん 3

 そこに着いたのは、夕方でした。山の向こうに残光が消える夕方、自分達の頭上に烏達が飛びかう夕方です。人間の気持ちを揺さ振る、時間帯。そんな時間帯に例のお地蔵さんを見つけました。お地蔵さんは(あたしの記憶通り)周りの地蔵達に混じって、その存在を隠しています。それこそ、夕日がだんだんと薄れていくように。自分と同じ物に混じって、その存在を隠していました。


 あたしは、お地蔵さんの前にしゃがみました。お寺も随分前から廃墟になっているので、お寺の住職はもちろん、その駐車場に車を停めても問題ない。無秩序に伸びた草や、汚い泥道さえ我慢すれば、女性二人でも充分に来られる場所でした。

 

 あたしは隣の彼女に目をやって、その表情を見つめました。彼女の表情はやっぱり、能面のように止まっている。あたしが「このお地蔵さんだよ?」と話しかけるまで、口はおろか、その目すらも瞬きませんでした。あたしはそんな態度に身震いしつつも、地蔵の力はやっぱり信じていなかったので、彼女に(多少の躊躇はありましたが)苦悶地蔵の力を話しました。


「このお地蔵さんに『誰々を苦しめてください』と頼むと、その相手に悪い事が起こる。普通なら絶対に起こらない嫌な事が起こったり、相手の命に関わるような事故が起こったり。あたしにこれを話した人も、自分の恋敵に『悪い事が起きろ』と祈った。自分の恋人を盗った人に対してね、心の底から『死ね』って思ったらしい」

 

 彼女はまた、あたしの言葉に黙りました。今度は、何かを考えるように。あたしの「ねぇ?」にも、まったく応えなかった。彼女はお地蔵さんの前にしゃがんで、それに両手を合わせました。「殺してください」


 そしてもう一度、お地蔵さんに「皆殺しにしてください」と言った。彼女はあたしに自分の肩を掴まれても、それを引っ込めるどころか、反対にあたしの手を撥ね除けてしまいました。「何ですか? 放してください」


 そう言われて、放すわけがない。今の言葉を聞いた以上は、彼女に「止めて!」と怒鳴る事しかありませんでした。お地蔵さんの力がたとえ、昔からの迷信だろうと。真面目で純粋な彼女が、「そんな事を望んではいけない」と思ったのです。


 あたしはお地蔵さんに向かって、「今の願いを取り消します!」と叫びました。「今の言葉は、間違いです。彼女は、そんな事は望んでいません。彼女は、ただ」

 

 何を望んでいるのか? そう考えた瞬間に「ハッ」とした。……そうだ。彼女は、自分の運命を呪っている。今の自分が置かれている状況、あの忌まわしい空間を呪っている。女子のドロドロとした世界を心から呪っていました。


 正しい気持ちで放った怒りを収める権利はありません。「善」と「悪」の葛藤はありますが、この時ばかりは彼女に味方したい、「彼女と一緒に彼等を呪いたい」と思いました。あたしは地蔵の前にまたしゃがんだ彼女を見て、その背中に明確な哀を感じました。「終わったの?」

 

 彼女は、それに「終わった」と応えた。いつもの笑顔を見せて、あたしに「ありがとう」と微笑んだのです。彼女はあたしの前に戻って、この体を抱きしめました。「私、負けませんから。絶対に」

 

 あたしは、それに応えなかった。応えるのは、「彼女に失礼」と思ったから。無言の返事で、彼女の言葉にうなずきました。あたしは車の方に彼女を導いて、そのエンジンを掛けました。


 それからの事は、あまり覚えていません。陽も落ちていましたし、道を走る車もまばら。たまに見える光から、対向車線の車を見るくらいでした。あたしは終わらない道を進んで、彼女の家に彼女を送り、自分も自分の家に帰りました。


 数日後。あたしは、彼女の話に凍りついた。自分のデスクを離れていたから、良いものの。あのまま席に座っていたら、周りから「え?」と驚かれていたに違いありません。あたしは電話越しから聞こえる彼女の声、恨み辛みの声を聞いて、その内容に思わず座りこんでしまった。


 ……あの馬鹿が、事故に遭ったらしい。あたしの叱咤に怯んだ、あの馬鹿が。飲み会の帰りに襲われたのです。服や何やらを破られて、道の真ん中に捨てられた。アイツは親切な人が現場に警察を呼ぶまで、周りの野次馬達に見られたり、写真を撮られたりしてしまいました。


 あたしは、その話に息を飲んだ。「いい気味だ」と思った、自分も含めて。今回の話に怯えてしまったのです。あたしは「これは、ただの偶然だ」と思って、彼女の話にまた意識を戻しました。「アイツは、無事なの?」

 

 彼女は、それに「はい」と応えました。「本当に悔しい」と言う声で、あたしにそう囁いたのです。彼女は普段の彼女を忘れて、あたしに恨みを吐きました。アイツに対する、文字通りの憎悪を。「ホント、死ねば良かったのに」

 

 あたしは、その言葉にクラクラした。「人間はここまで、変われるのか?」と。電話越しから聞こえた声は、般若を被った声でした。


「もう、止めなよ? こんな」


「どうして?」


 温度のない声。


「アイツはまだ、死んでいたいのに?」


「だから、だよ。だから!」


 ここで止めなきゃ、人殺しになっちゃう。あんな人間のために。彼女は普通の人間らしく、普通に生きるべき人間だった。でも……。「一旦、落ちつこう? ね?」


 無言の返事。あたしが呼びかけても、無言の返事を返すだけです。あたしの声にちっとも応えない。彼女はしばしの沈黙を置いて、あたしに「それじゃ」と話しはじめました。「貴女が殺ってくれるんですか? 私に代わって、アイツを殺ってくれるんですか?」


 あたしは、それに怯んだ。言葉の意味はもちろん、その迫力にも。思わず「うっ」と言いよどんだ。あたしは彼女の悪意を否める一方で、その悪意に「分かった」と謝った。「ごめんね? 貴女の好きにして良いよ?」

 

 彼女は、その返事に喜んだ。普通の彼女なら絶対にしない声で、その返事を喜んでいました。彼女はあたしの賛同に心から喜びましたが、その目は決して笑いませんでした。「もし、ですよ? もし、あたしに文句を言ったら? その時は、貴女でもユルシマセン」

 

 あたしは、その声に身震いした。「これは、本当に殺される」と、心の底から思ってしまった。あたしは震える手で、彼女の電話を切りました。それからのあたし……いえ、彼女は修羅でした。自分一人だけであの場所に行き、お地蔵さんに呪いの言葉を吐く。「次は、誰々を苦しめて」と、そう何度も願う。それで自分自身が廃れても、その儀式だけは決して止めませんでした。


 彼女は、アイツの仲間が苦しむ度に「ざまぁみろ。今度はもっと、酷い目に遭わせてやる」と笑いました。「私の事を苦しめて。アイツ等には、生き地獄を味わわせなきゃ」

 

 貴女も、そう思うでしょう? あんな奴等、生きていても仕方ないんだから。彼女はそう、あたしに訴えた。あたしと待ち合わせした喫茶店の中で、あたしに自分の闇を吐きつづけた。彼女はあんなに好きだったお洒落を止めて、髪も服もみすぼらしい悪女のようになってしまった。


「懲らしめるのは、当然だよね?」


 あたしは、その質問に押しだまった。ここまで来たらもう、あたしに言える事はない。彼女の興奮を聞いて、それに「うん、うん」とうなずくしかありませんでした。あたしはこんな風になった彼女を哀れむ一方で、アイツ等の不幸もまた喜んでいました。彼女の行為は許されませんが、それでアイツ等の罪が無くなるわけではない。人一人を壊した連中の罪が、「そんな態度で許される」とは思えませんでした。


 アイツ等は、地獄を味わうべき。あの場所からあたしを追い出し、彼女の心を壊したアイツ等は。「死」よりも辛い「生き地獄」を味わうべきでした。あたしは彼女の恨みを咎める一方で、それが通りつづける事を祈りました。彼女の恨みは、つづきました。アイツ等が男と別れようが、ホストの掛けに苦しもうが、その気持ちを決して忘れない。


 アイツ等の悲劇に比して、その恨みを強めていきました。「ほらほら、もっと苦しめ」と言う風に。恨みの中に快楽を覚えはじめたのです。彼女はアイツ等に悪い事が起きると、あたしのスマホに「天罰が下った」と送ってきました。「○○の家に取り立て屋が来たようです。○○がパチンコで作った借金を取り立てるために。○○、それが怖くて自殺を図ったようです」

 

 彼女は嬉々として、あたしに「それ」を話した。あたしが「それ」に喜んでいるのも知らず、あの不気味な声を流したのです。彼女はあたしの返事、ようは演技を聞いても、その声をまったく消しませんでした。「それじゃ、また」


 あたしも、それに「またね」と返しました。あたしは彼女との電話を切って、その報告にほくそえみ、そして、あのお地蔵さんを思いました。地域の人々から「苦悶地蔵」と呼ばれた、地蔵を。その姿を通して、ほくそえんだのです。


 あたしは「呪い」と「正義」の力に酔って、この世の理不尽を笑いました。「理不尽な相手には、理不尽を与えて良い。あの地蔵は、この世の理その物なんだ。悪い人には、悪い事が返ってくる」

 

 だから、これは罪じゃない。そう考えたあたしでしたが、その考えは見事に裏切られてしまいました。あたしは「いつもの戦果報告だろう」と出た彼女の電話を聞いて、その内容に心臓が止まりました。「?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る