第2話「苦悶地蔵」 投稿者:あたしは、悪者?さん 2
最初は、「休んでも数日だろう」と思いました。ああ言うタイプは打たれ弱いですし、今回の傷が癒えれば(正確には、忘れれば?)、「すぐに戻ってくる」と思ったのです。自分は相手を苛めるくせに、相手から苛められるのは耐えられない。あたしがまだ学生だった頃にも、色恋で周りを振りまわす人が居ました。
あたしは「彼」と「課長」の励ましを受けながらも、彼女の取り巻き達には嫌みを言われ、女子のカーストを重んじる中年さん達には「アイツが、消えれば良かったのに」と言われました。「ふざけんなよ。いい歳こいて、まだ学生やっている気か?」
そんなのが許されるのは(本当は、許されないが)、「中学生」か「高校生」くらいです。人の色恋にあれこれ言うなんて、良い大人には許されない事でした。あたしはそんな信念に従って、女性陣の敵意を戦いました。それが示す悪意、その本質とも戦いました。
あたしはあたしの話が分かる相手、「彼」や「課長」の協力を得て、この理不尽な状況に「ふざけるな!」と怒鳴りつづけました。ですが、その抵抗も長くは続かない。あたしがどんなに頑張ったところで、本丸の復帰にはやっぱり耐えられませんでした。
本丸は一週間の休暇を終えて、会社のオフィスに戻りました。やつれた顔であたしの目を睨む、彼女。彼女は自分の取り巻き達や、例の中年さん達に囲まれて、その自信をすっかり取りもどしました。「もう、大丈夫だから。心配掛けてごめんね?」
周りは、その声に喜びました。裏表が激しい女の世界ですが、自分の同類にはとことん甘いようです。恐らくは間違っていないあたしよりも、彼女の方を「守ろう」としていました。彼等は共通の敵を見つけて、そこに日頃の不満と自己保身、そして、優越感を満たしました。「ああ言うクソは、潰した方が良いよ」
あたしは、その言葉に「カチン」と来た。「あたしも少し言いすぎた」と思っていましたが、あんなに言われる理由はありません。あんな風に言うのは、どう考えても理不尽でした。
あたしは彼等の脅しにイライラしましたが、日々の業務にも支障が出てきた事もあって、上からの「辞めないで」を無視し、良さそうな転職先を探して、課長の所に退職届を持っていきました。「すいません、もう限界です。あんな奴等と戦っていたら」
ごめんなさい。そう、謝るしかなかった。あたしは課長の厚意はもちろん、彼やあたしの味方からも「ごめんね」や「辛い事があったら言って?」と言われましたが、それに甘える事もできず、挙げ句には「行かないでください」とも言われて、「本当に情けない」と思いました。「頑張ろう、あんな奴等に負けないくらいに。あたしは、あたしの道を進むんだ」
この嫌な人生に負けないように。あたしは自分の人生に苦汁を飲まされたものの、「新しい場所で頑張ろう」と言う意識が勝っていたせいで、最初の数週間を除いては、その苦い記憶をすっかり忘れてしまいました。新しい仕事を覚えるのに古い記憶は邪魔だったからです。
あの連中を思い出すくらいなら、今の仕事に打ちこんだ方がマシです。お客様への談話対応だって、真面目にやらなきゃ務まりません。あたしは慣れない仕事に戸惑う一方で、その仕事自体がだんだんと好きになりましたが……。それを壊すような連絡、元同僚の女性から連絡が入ると、その気分をすっかり忘れてしまった。
彼女からの電話に出る、あたし。あたしは良からぬ想像を抱きながらも、最初は相手に自分の近状を話して、それから相手の話を聞きました。相手の話はやっぱり、あいつ等の事でした。「あの連中から嫌がらせを受けている」と言う内容。彼女は会社から有給休暇を貰い、遠くの喫茶店に逃げて、あたしに助けを求めたそうです。「あいつ等は、本当の悪魔だ」と、そうあたしに訴えました。
あたしは、その話に「カチン」と来ました。彼女は、優秀な人間です。仕事もできるし、人当たりも良い。正に「良い子」を体現したような子です。「彼」とも仲良しで、ある種の疑似恋人になっていました。あたしはそんな彼女を思い出す一方で、彼女の話に胸を痛めました。
「会社には、言ったの?」
「言いました、彼にも課長にも。ある程度の証拠を集めて、二人にそれを見せたんです。『私は、こんな事をされている』って。法律関係の知り合いにも、この事を話しました。でも」
「対応、してくれないの?」
その答えは、「yes」だった。「業務に関わりない妨害は、それを問題として扱えない」と。知り合いの法律家からも、「民事上での争いになるが、相応の費用が掛かる」と言われたそうです。自分の両親に話しても、世間一般の「そんなところは、辞めてしまえ」しか言われなかった。
彼女はこれ等の事情を分かった上で、それでも「アイツ等が憎い、悔しい」と訴えました。「今の仕事、第一志望だったんです。企業の事をずっと調べて、その試験に何とか通った。アイツ等には、ただの仕事かも知れないけど。私には、本当に仕事なんです。良い男を漁るために入ったんじゃない。私はただ、あの会社で働きたいんです」
あたしは、その話に胸を痛めました。「こんなに良い子がどうして?」と、心の底から苛立った。あたしは彼女の苦しみを察し、そこにある怒りを察し、そして、悲しみを察しました。「この事をこんな風にしたアイツ等が、本当に許せない」と。あたしは、自分の苦しみ以上に彼女の苦しみを感じてしまった。
だから、でしょうか? 「この気持ちを少しでも、癒したい」と思ったのです。それでどうにかなるわけではありませんが、あらゆる対抗手段が微妙である以上、第三者のあたしには、こうするしかない。彼女の手を握って、彼女に「今度の休み、どこかに行こう?」と言いました。「あたしの地元に良い所があるから。そこで日頃のストレスをぶちまけよう?」
あたしはこんな事しかできない自分に苛立ちましたが、彼女の方は「それ」を心から喜びました。あたしの手を握りかえす程に。あたしに「ありがとう、ありがとう」と言っては、テーブルの上に涙を落としたのです。あたしは彼女の涙を拭き取り、その気持ちを宥めて、彼女と小旅行の事を話しました。
小旅行の最初は、「楽しかった」と思います。あたしが自分の車を出し、その助手席に彼女を座らせる。好きな音楽をガンガン慣らした車内は、ちょっとしたクラブになっていました。あたし達はテンションぶち上げの音楽を鳴らして、のどかな県道をずんずん走りつづけました。「楽しいね?」
そう叫ぶ彼女にあたしも「メッチャ楽しい!」と叫んだ。あたしは彼女の表情を窺いながらも、周りの景色を見たり、彼女に自分の昔話を語ったりしました。苦悶地蔵の話になったのは、県道の交差点を左に折れた時です。
それまでは、あたしの思い出。あたしが学生時代にやらかした話や、担任の先生に焼き肉を奢られた話や、初恋の男子にこっぴどく振られた話などで盛り上がっていましたが、あたしがそこに曲がった瞬間……あたしもきっと、悪いのでしょう。つい世間話のノリで、地元の伝承を話してしまった。あたしは「自分は、信じていないけど」と前置きして、彼女にその伝承を話しました。
「そのお地蔵さんはさ、お寺の中にあるんだけど。形が周りのお地蔵さんと同じで、普通に見ただけじゃ分からない。それを知っている人から教えても貰わないと、その地蔵がどれかも分からないよ。だから、あたしの人から教えて貰うまで」
「分からなかった?」
そう、真剣に聞いてきます。根が真面目な子ですから、あたしの話にも「そう言う態度を見せているんだ」と思いました。彼女は自分の足下に目を落として、両膝の上に拳を乗せました。「その地蔵は、今でもあるんですか?」
あたしは、その質問に黙りました。場所は覚えていますが、今もあるかは分からない。曰く付きのお地蔵さんなんて、物好きじゃなきゃ見に行かない物です。あたしには、そう言う趣味はない。
今回の話になるまで、その存在すら忘れていたくらいです。あたしは彼女の質問に恐怖を感じて、その表情を恐る恐る見ました。彼女の表情は、能面のように無表情です。「興味があるの?」
そう、思わず訊いてしまった。相手の答えは、薄らと分かっていたのに。彼女の表情を見て、その本心を訊いてしまった。あたしは自分の質問に「しまった」と思いつつも、少しの希望を抱いて、彼女の答えを待ちました。
……彼女の答えは、「yes」でした。テンションぶち上げの「はい」ではありませんでしたが、そっと静かに「はい」とうなずきました。彼女は自分の正面を向きなおって、あの無表情を浮かべました。「そこに連れて行ってください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます