第21話 ユピノア

 翌日からは前夜の騒ぎの処理に追われ、目の回るような忙しさだった。

 朝から会議に次ぐ会議と各部署からの報告で、解放された時にはもう夕方近く。


 ジュリアでもこれなのだから、今ごろギルフォードも大変だろう。まあ彼に関してはいつもの無表情で、たんたんとこなして、披露とは縁遠いだろうけど。


「ジュリア……て、怖いな」


 ジュリアは廊下で声をかけてきたマクシミリアンを睨み付け、腰に帯びた剣の柄に手をかけながら振り返った。


「何も後ろめたいことがなければ何も怖がる必要はないはずと思うけど?」


 マクシミリアンは酷薄な笑みを引っ込めることがない。

 彼の青い目がジュリアの右手に向く。


「残念、内出血の痕が消えてしまったな。せっかく僕と二人きりで過ごしたっていう証のためにつけたのに」

「忙しいの。サディストの戯言につきあってる場合じゃないの」


 ジュリアは歩き出そうとするが、「待てよ」と肩を掴まれた。


「次はその腕を斬り落とすと言ったはずよ。脅しだと思った?」


 本気の殺気を感じ取ったマクシミリアンは肩をすくめ、手を引っ込めた。それでも彼は余裕の笑みを引っ込めることがなかった。


「怖いな。今回は重要な報告がある。公国に関して、ね」


 今回、伯爵や公国の残党への尋問と背後関係の洗い出しに関して、マクシミリアンが指揮をとっていた。


 彼は戦いよりも内定や諜報などに優れていて、その実績を買われてのことらしい。

 たしかにマクシミリアンは人を怒らせる天才だ。それはつまり相手の心を操るのにも優れているとも言えなくもない。


「何か分かったの?」

「昨日の魔導士の自殺を許したのは参ったが、伯爵がついに吐いてくれたよ。最初に君に教えておこうと思って」

「どうして私なの?」

「当然だろう。君が逮捕したんだから」

「ギルも出征したのよ。忘れた?」

「関係ない。俺にとって大切なのは君だけだから。で、肝心の内容だが、一方的に物資などが指定された場所に用意されていた、と言っていた」

「それだけ?」

「ああ、でも一歩前進だろ」

「呆れたわ。それをよく情報が、なんて言えたわね。何も分かっていないのと同じじゃない。もっとマシな情報が分かってから、こんな廊下でなく、ちゃんとした報告書で教えて」


 ジュリアは、馴れ馴れしい距離感のマクシミリアンを腕で押して遠ざけると、歩き出す。


「その支援者はおそらく、この国の人間だと睨んでいる」


 聞き流せない言葉にジュリアは足を止めた。


「何かしら根拠があるの?」

「ない。でも信憑性はあると思っている。敗戦国の連中があれだけの物資や防具を揃えられると思うか? 伯爵だって決して裕福な大貴族とも言えない。占領地には常に監視の目が光っている。そんな中で残党の連中に物資を横流しするのは至難の業だ。でも帝国の人間なら出来る」

「……根拠がないのなら軽々しく言うべきじゃないわ。疑心暗鬼を呼ぶだけよ」

「だが外国勢力の介入よりも説得力はあると思う」

「ならどうして今回、こんなしくじり方をしたの? 検査に引っかかるなんて。内部犯だったらもっとうまくできるじゃない」

「用済みになった伯爵たちを切った、そう言えるんじゃないか?」


 ジュリアは首を横に振った。

 彼の言葉には何の証拠もない。耳を傾けること自体が時間の無駄だ。


「愛するジュリア、僕は君の身が心配だからさ」

「余計なお世話よ」


 ジュリアは今度こそ歩き出した。


 ――でも、内部の犯行は説得力があった。


 武具や物資について考えれば、たしかにおいそれと用意できる量ではない。

 金もルートも用意できるような有力者。もしかしたら貴族の可能性だって……。

 そこまで考えてジュリアはいけないとかぶりを振った。

 マクシミリアンのせいで、ジュリアまで疑心暗鬼に囚われてしまうところだった。


 ◇◇◇


 ジュリアは執務を終えると、庁舎を出た。

 ギルフォードはまだ仕事が終わらないと言われたから、一人での帰宅だ。


「ジュリア様」


 声をかけられたほうを見ると、スーツ姿の初老の男性がうやうやしく頭を下げる。


「何か」


 それとなく、腰の剣に手をかける。

 公国の騒ぎの一件もある。用心するに越したことはない。


「私の主人がお話したいと申しております。よろしければご同行をお願いしてもよろしゅうございますか?」

「その主人の名前は?」

「……わたくしですわ、ジュリア将軍」


 馬車の扉が開き、女性が姿を見せる。


「ユピノア……さん?」

「あら、私の名前をご存じなのですね。ギルフォード様からお聞きになられたのですか?」


 細められた濃い紫色の瞳に、剣呑な光が浮かぶ。


「違います」

「ここで何ですから、どうかお乗りになってください」


 無下にするのはためらわれてしまう。


 ――それに、ユピノアさんは私を睨んでいたから、誤解があるなら解かないと。


「分かりました」


 ジュリアはユピノアの向かいに座り、馬車の座席に乗り込んだ。

 スーツ姿の男は御者席に乗り込むと、馬車がゆっくり走り出した。

 ユピノアはビスクドールのように端正で可愛らしい顔立ちをしている。こんな女性を前にしても、ギルフォードは眉ひとつ動かさず、袖にしてしまうなんて、一体彼の片思いの相手というのは誰なのだろう。


「それでご用というのは?」

「わたくしと、ギルフォード様の事情はご存じですか?」

「え、ええ、まあ。ギルが上官から紹介されたお相手ということは」

「ギル、とお呼びになられているのですね」


 ユピノアは美しいがそれだけに、淡々とした声ともあいまって冷淡な印象を覚える。


「あなたとギルフォード様は幼馴染、なのですね。不躾ではありますが調べさせていただきました」

「そうです」

「話が逸れてしまいましたが、ギルフォード様は魔導士。わたくしもそうでございます。ただ、お父様からお許しがいただけず軍籍に入らなかっただけで。魔導士の妻には魔導士が相応しい、とは思いませんか?」

「さあ、私は魔導士ではないのでよく分かりませんが」


 笑っていない目がすっと細められ、ますます敵意を剥き出しにする。


「あなたが、ギルフォード様に何かを吹き込んだのではありませんか?」


 そういうことになるのか。


「やめてください。私は祭りの日まであなたとギルが会っていることすら知らなかったんです」

「ではどうして、あなたの目の前でギルフォード様が、私にとつぜん冷たい言葉を投げかけたりしたのですか。それまでギルフォード様は私の会話に答え、優しく頷いてくださっていたというのに!」


 だんだんユピノアの声が熱を帯びていく。行儀良く膝の上におかれた手を握りしめる。 悔しさがひしひしと伝わってくるが、その感情をジュリアにぶつけるのはお門違いだ。


「申し訳ありませんが、私には分かりません」

「嘘!」

「ギルに理由を聞いたのですか?」

「……ここ数日、お手紙をお送りしたり、遣いを送っても、もう義理は果たした、そういうばかりでまともに話もしてくれないのですっ」


 ――ギルのやつ……。


 好きでないのなら一緒にいる必要はないが、それにしたって断り方ということがあるだろう。


「分かりました。では、私からギルにあなたとしっかり話す時間を作るよう話してみます」

「それは、憐れみ? それとも新しい罠、ですか?」


 ユピノアが目尻を釣り上げた。


「何を仰って……」

「あなたがギルフォード様を狙っているのは分かっています! そうやって味方をするふりをして……私を嵌めようというのでしょう!」

「味方をするつもりも敵対するつもりもありません。ただ、令嬢に対するギルの態度は許せないと思ったので……」

「もう結構よ。さっきから、ギルギルって、まるで見せつけるみたいに!」


 これ以上、ユピノアと話しても拉致があかない。平行線どころか、ユピノアからの敵意が強まっていくばかりだ。


 ――これ以上は何を話しても無駄ね。


「止めてください」


 ジュリアは御者側の壁を叩くが、無視される。


「力尽くで飛び降りても構いませんよ。でも男爵家の紋章の入った馬車でそれをされたら、あなた方が困るのでは?」


 馬車が止まる。


「これで済ませないわよっ」


 下りる際、ユピノアからまるで仇のように睨まれながら下りる羽目になった。

 ジュリアを下ろすと、馬車はかなりの速度で走り去っていく。


 ――とんでもない目に遭った……。でもそれだけギルのことが好きなのよね。


 誰かを愛するという気持ちは、ジュリアには理解したいけど、できない感情。


 人を愛するということは幸せなことだけではない。


 愛という感情が大きければ大きいほど、それを失う不安が同じくらい大きくなり、時にああして疑心暗鬼に陥ってしまうのだろう。ユピノアはやりすぎなのだろうが、それでもそんな風に誰かへ強い想いを抱けることが羨ましい。

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