第15話 宴のあと

 背後でパメラの「ジュリア!?」と声が聞こえたが、気に留める余裕もない。

 ジュリアは馬鹿みたいに高鳴る鼓動を抱えながらお手洗いに入る。

 気分を落ち着かせようとするが、肌がジンジンと火照ってたまらない。


 また唇を奪われかけてしまった。

 でもそれが自分で良かった。誰彼構わず、唇を奪うようなことにならなくて。

 しかし安堵は束の間。ギルフォードの魅了魔法の影響を自分が一糸に受け止めたことはいいとして。


 ――私、どうしちゃったの?


 鏡に映る自分は信じられないくらい赤面している。

 一体、今のこの体を支配しようとしている感情は一体なんなのだろう。


 ――ギルと一緒にいると、どうしてこんなよく分からない気持ちになるの?


 本当なら自分はギルフォードを支えなければいけない立場なのに、その役割を放棄してここに逃げ込んでしまった。このせいで会場に残されたギルフォードが魅了魔法のせいで騒動を起こしまうかもしれないのに。


 でもこの状況で彼の元へ戻るのはためらわれてしまう。


 ――ちょっと夜風にでも当たろう……。ダンスもしたし、ギルも少しくらい耐えてくれるはず……!


 ワンクッションを置かないと、とても冷静に振る舞えそうになかった。

 ジュリアは城の中庭へ足を伸ばす。

 夜空には星が瞬き、初夏の生ぬるい風が肌を撫でる。


 生ぬるいとはいえ、火照りに火照った肌には涼しい。

 蔓薔薇のアーチをくぐり、月明かりの中できらめいている薔薇の花びらを眺めているうちに、少しずつ鼓動が収まり、冷静さを取り戻しはじめる。


「よし、戻ろう」


 気を取り直して回れ右をして皇宮へ戻ろうとするが、どんっと誰かとぶつかった。


「あ、すみません」

「構わないよ」


 その声に、頭の芯が冷え切っていく。


「マクシミリアン……」

「その警戒心剥き出しの声、どうにかならないのか?」


 マクシミリアンは苦笑する。


「無理ね」


 ジュリアは歩き出そうとするが、薄ら笑いを浮かべたマクシミリアンは通せんぼするように立ちはだかった。


「どいで」

「出来ない。せっかくこうして二人きりになったんだ。少しくらい俺に付き合ってくれてもいいだろう」

「そんな暇はないの」

「つれないな。そんなに美しいドレスを着ているのに、そんな不愉快な顔をするなんて」 マクシミリアンは、ジュリアが感情的になれなるほど笑みを大きくする。

「やっぱり変態ね。嫌がる私を見て喜ぶなんて」

「好きな相手の感情はそれがたとえ敵意であっても、向けられることは愉悦につながるものだ。俺は君が好きだ。学生の頃から、ね」

「私は嫌いよ、学生の頃から。あなたを好きになったことなんて一度もない」

「構わない。これからものにすればいいんだから」

「馬鹿げてる。これ以上、邪魔立てをするなら無理矢理にでも押し通るわよ」

「やってみてくれ」


 ジュリアは言われた通り、右に踏み込む。

 マクシミリアンはすかさず阻もうとする。その顔面めがけ、大きく足を振ってヒールで蹴りつける。


 しかし彼の体に触れる前に目には見えない壁に阻まれ、弾かれてしまう。


「くっ」


 防御魔法だ。

 弾かれた衝撃でバランスを崩すしそうになるが、倒れそうになるところを、右手を掴まれて抱き寄せられた。


「その汚い手をさっさと離してっ」

「無理な相談だ」


 どれだけ力をいれようとも、ジュリアは抜け出せない。

 単純な力の強弱であれば、ジュリアのほうが強いはずだが。

 筋力増強の魔法だ。


「情けない男ね。魔法を使わなきゃ女ひとり引き留められないの? ……ぐっ」


 右手首に痛みがはしった。


「ジュリア。俺は魔導士だぞ。魔導士は君たち普通の人間が地面を這いつくばるのと同じように、当たり前のように魔法を使役する。別にそこに何の感情もない」


 顎に手をかけられ、無理矢理にでも唇を奪おうとしてくる。


「この――」


 まだ自由になっている左手を拳にし、その腹めがけ思いっきり殴り付けてやろうと思った刹那、氷の刃が闇を引き裂く。

 しかし刃がマクシミリアンにぶつかる前に障壁に阻まれて雲散する。


 マクシミリアンは溜息を漏らし、暗がりに目を向けた。


「無粋だな」


 暗がりの中から、月の下に現れたのはギルフォード。


「お前、ついに頭の中が煮えたのか?」


 マクシミリアンは、ジュリアの腕を離す。


「今回は少し強引過ぎたな。悪かったよ、ジュリア」


 紳士的な笑みの裏にある獰猛な本性をのぞかせ、マクシミリアンは笑う。


「次同じことをしたら、その腕を斬り落とすから、謝らなくてもいいわ」

「切り落とせるのか?」

「ええ」

「ジュリア。君はそうやって俺を夢中にさせてくれるんだな。それは次の約束と取ってもいいかな」


 マクシミリアンは恍惚とした喜悦を浮かべた。

 吐き気がするほど気持ち悪い。


「いつまでうだうだと話をしているつもりだ? 失せろ。それともここでやりあうか?」


 ギルフォードが焦れたように踏み込んでくる。


「まさか。皇太子殿下の誕生日を穢すわけにはいかないだろ」


 マクシミリアンは肩をすくめると、テレポートで消えた。

 ジュリアは全身に入っていた力を抜く。


 掌は汗でべちょべちょだった。自分でも知らないうちに、恐怖を感じていたことが悔しい。


「右手を見せろ」

「え、あ、うん……」


 ジュリアは大人しく、さっきまでマクシミリアンに掴まれていた右手首をみせる。

 彼に掴まれた部分がうっすらと紫色になっていた。


「あいつ……」


 ギルフォードは舌打ちをすると、すぐに治癒魔法を発動する。

 みるみる内出血痕が消えていく。


「ありがとう。助かったわ」

「勝手にいなくなるな。お前、俺の保護者じゃなかったのか」

「ほ、保護者って……ごめん」

「行くぞ」


 しかしギルフォードが向かうのは皇宮ではなく、出口だ。


「待って。パーティーに戻らないの?」

「あんな状況で戻るのか? パーティーにいる連中全員が、お前がいきなり広間を飛び出した話で持ちきりだぞ」

「う……」

「暇人どもに話題を提供してやる必要もないだろう」

「わ、分かったから手を離して……」


 ギルフォードと手を繋いでいることを意識すると、マクシミリアンと対していた時には冷え切っていたはずの体が、まるで熱を流し込んだみたいに火照りだしてくる。

 しかし彼はわざと聞こえないふりをして歩き続ける。


 ジュリアたちは馬車に乗り込み、皇宮をあとにする。

 向かい会ったギルフォードに、ジュリアは頭を下げる。


「何だ?」

「パメラがごめんなさい。あの子はすごくいい子なの。ただ、ちょっと感情に素直すぎるところがあって」

「別に怒ってない。それに、あの女の言葉は最もだからな。必要性があったとはいえ、お前の見合いを潰す格好になった」


 必要性、の部分を強調される。


 だから、思わず笑みがこぼれた。

 ギルフォードからはじろりと睨んでくるが、気にしない。


「そうね。そういうことにしておくわ。それで、ギルのほうはどうなの? ギルも一人っ子で、公爵家の跡取りでしょ。相手は?」


 ギルは窓を見たまま、無言を貫く。


 ――う。調子にのってちょっと踏み込みすぎたかな?


「ギル……」

「……相手ならいる。だがそう思っているのは、俺だけだ」

「そ、そうなの?」


 ギルはそれ以上、答えてはくれなかった。

 その相手が何着もドレスを送っている相手なのだろうか。

 その人のことを知りたいような知りたくないような複雑な心境だった。

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