第16話 陰謀

 帝国にとって一年で最も大切な七月に入る。

 七月は帝国の守護する運命神キャスリアの季節だ。

 しかし七月に入って間もなく重大な事件が発覚する。


 帝国に持ち込まれる荷物の検査を行った際、穀物の木箱から大量の武具が発見されたのだ。その荷物の届け先は、南部に領地を持つクラウゼン伯爵。

 伯爵の身辺を調べ上げると、公国の生き残りたちが頻繁にクラウゼンの屋敷を出入りしていることが分かった。


 シルドラ公国。それはかつて帝国と国境を接していた、海上貿易によって豊かな富を得ていた国の名前だ。

 帝国と公国は長らく国境を巡る扮装を繰り返していた。しかし一年前、ついに公国側が国境視察に訪れていた帝国の高官を殺害し、先制攻撃を仕掛けてきた。

 帝国は建国以来はじめての籠城戦を強いられた。

 その時に活躍を果たしたのが、ジュリアやギルフォードたち若い世代だ。

 二人を中心に帝都にいた小規模の部隊で公国軍の猛攻をしのぎ、態勢を立て直した各都市からの援軍を得て、公国軍を殲滅。


 今度は公国本土に向かって逆侵攻を行い、首都を制圧。大公一家はその混乱のどさくさの中、行方知れずとなった。

 公国は降伏し、帝国領に編入された。


 それからは何事もなく平穏に日々が過ぎていっただけに、今回の件に関する帝国上層部の驚きは大きかった。

 すぐさま伯爵領への少数精鋭による潜入と、伯爵たちの拘束が速やかに議論され、ジュリアとギルフォードたちに命令が下った。


 ◇◇◇


 幌馬車の中にはジュリアとギルフォードたちを含め、十人の人間がいる。これが全員ではなく、いくつかのグループに分けて伯爵領へ潜入している。総勢は三十。


「せっかく平和な時間が続いていたのに……」


 ジュリアは怒りのあまり、吐き捨てるように言った。

 それを受けるギルフォードはいつも通り、冷静だ。


「不穏分子の一掃もできると考えると悪くない。もし検査に引っかかってなかったら、大勢の人間が被害に遭っていたはずだ」

「……そうね」


 深夜、ジュリアたちは他の部隊と合流し、伯爵屋敷を臨む丘に集結した。

 屋敷の周囲はそれと分からぬよう、玄人と分かる兵士たちが警備当たっていた。まずはそいつらを一人一人片付け、屋敷に潜入。伯爵たちを捕らえるという算段だ。


 検査をして発覚した物資はそのまま伯爵屋敷へ送られたから、自分たちが怪しまれていることには気付いていないだろう。


「魔導士部隊は周囲の警戒を」

「分かった」


 他の魔導士たちは自分たちが主役でないことに不満を抱いているが、ギルフォードが頷いてくれたお陰で、彼らも納得せざるをえない。


 ジュリアは剣を抜き、屋敷の裏手から屋内に潜入した。気配を殺して忍びより、見張りを気絶させて拘束する。

 伯爵屋敷の図面は頭に入っていた。

 ジュリアは伯爵を担当するため、部下二人を従えて行動する。

 すでに他の兵士たちは屋敷の各所を制圧しているはず。


「なんだ、貴様っ」


 巡回中の二人の兵士と鉢合わせる。兵士たちは剣を抜いて襲いかかってきた。

 応戦するため剣を抜いたジュリアは、兵士の突きだしてくる剣を弾き、腹に蹴りを一発見舞う。さらに足払いをしかけ、床にたたきつけた。


 もう一人の兵士は、ジュリアに従っていた二人の兵士が片付けたことを確認すると、三階の廊下の突き当たりにある伯爵の私室に飛び込んだ。

 クラウゼン伯爵の他、フードをかぶった二人の護衛と一緒にいた。


「クラウゼン伯爵!」


 部屋に乗り込んできたジュリアの姿に、伯爵たちは察したらしい。フードをかぶった男がにやりと笑い、何かを口ずさむ。


 ――呪文!


「魔導士よ! 気を付けて!」


 男の手から風の刃が生まれる。

 回避したが、部下が間に合わず吹き飛ばされる。

 もう一人の魔術師が「金髪の野獣か」と残忍な笑み見せ、手の中に岩の塊を造り出す。


「レディに対してとんでもないあだ名をつけてくれたわね」

「伯爵、あんたはさっさと逃げろ!」


 クラウゼンは秘密の脱出口に消えていく。


「待ちなさいっ」


 ジュリアは剣を構えるが、二人の魔導士が立ちふさがる。

 分が悪すぎる。


 ――せめて近づけられれば……。


 魔導士たちは薄ら笑いを浮かべ、まるで小物を嬲るようにジュリアめがけ魔法を飛ばす、 家具が破壊され、壁に穴を穿つ。

 威力の低い魔法で追い詰め、すぐにとどめをさそうとしないのは、嬲り殺すためだ。

 ジュリアをそうしてじりじりと角へ追い詰めていった。


「簡単には死なせない。我ら公国の同胞の無念を知れ!」

「そっちから仕掛けておいて勝手なことを!」


 ――一か八か踏み込む!


 このまま追い詰められて嬲り殺しにされるくらいなら。

 次の瞬間、隣の壁が吹き飛んだ。

 壁が粉々に砕けると同時に部屋へなだれこんできた土埃が、ジュリアたちの視界を一瞬奪う。


 ――ギル!?


 壁の穴から悠然と姿を見せたギルフォードが魔導士めがけ氷の刃をとばす。魔導士は防御壁を展開して防ぐ。

 しかしそのせいでジュリアへの攻撃の手が止まり、注意が逸れた。


「はああああああ!」


 一人を斬り捨てれば、ギルフォードがもう一人を瞬時に仕留めた。


「ギル、伯爵が……」

「逃げることは想定済みだ。今、部下からテレパシーで連絡があった。傷を見せろ」

「平気よ。これくらい。かすり傷」


 歩き出そうとするが、手を掴まれ、少し強引に回復魔法をかけられた。


「ありがとう」


 ◇◇◇


「お疲れ様、ギル」


 その日の夜、ジュリアはギルフォードの部屋を訪ねた。

 伯爵やその他の公国残党は軍に引き渡し、ジュリアたちは屋敷に戻ることを許された。

 ジュリアはワインを持参して部屋を訪ねたのだ。


「今は魅了のほうは平気……?」

「大丈夫じゃないと思ったら来るな」

「そうなんだけど、祝勝会は必要でしょ」

「祝勝会?」

「私たち陸軍は任務を終えた時、その大小にかかわらず、こうして酒を飲むの」

「ずいぶんと気楽だな」


 ギルフォードは溜息まじりに言った。言わずとも呆れられているのは分かる。


「もちろん、全てにしっかり片を付けてから、だけど。あ、迷惑だったら帰る」

「……今は平気だから、入れ」


 ワイングラスに、赤ワインを注いで、乾杯する。つまみはセバスに用意してもらったチーズだ。


 ――なんだか自分の屋敷よりも居心地が良くなっちゃったな。


 ジュリアが住んでいるのは昇進祝いで与えられた屋敷だが、一人で住むには広すぎるし、ほとんど寝に帰っているようなものだ。

 でもここにはギルフォードがいる。少しずつだが、距離が縮まっているような気がした。


「魔導士部隊はしないの?」

「何もしない。ただ、もっとうまく魔法を使えば良かったとか、新しい魔法を思いついた人間は即工房に出かけたり、まあそんな感じだ」

「……さすがは魔導士。学者肌って言われるだけのことはるわね」

「お前らもさすがは陸軍だな。頭より、体や感情で動く連中らしい」


 冷ややかだが、その言葉には馬鹿にしたりしているのではない。あくまで思ったことをそのまま言っているだけだ。


「私たちは魔導士みたいに回復魔法や防御魔法みたいな便利な魔法が使えないから、それなりに死傷率が高くなる。今回も生き残れたっていう喜び、それから先立った戦友への慰めや誓いみたいな意味もこめて、ね。出兵前には兵卒たちは死んだらこの酒を供えてくれって、リクエストするくらいだから」

「そうか。知らなかったとはいえ、悪かった。馬鹿にして。そういう理由なら、やる価値はあるな」

「ま、最終的にはどんちゃん騒ぎで、二日酔いすぎて戦友のことどころじゃないけどね」

「前言撤回だ」


 ギルフォードはかすかに微笑する。


「まさか酔ってる?」

「これくらいで酔うか」


 それから他愛ない世間話を続ける。


「もうじきキャスリア祭だよね」


 女神の名前を冠した祭りは、今週末に行われる恋の祭典。

 キャスリアの季節に想いを遂げた恋人や夫婦たちは一生、幸せになれるというジンクスがある。

 だから帝国にとって夏の盛りのこの時期は、恋を育む重要な季節だ。

 街中はキャスリアを象徴する薔薇で埋め尽くされ、薔薇を使った食べ物や小物などが店頭を彩る。


「そう言えば、そういう季節だな」


 ギルフォードはどこか感慨深げに呟く。

 年に何度もドレスを送る相手。

 先日おこなわれた皇太子の誕生日パーティーの帰りの馬車の中でも気になる女性がいるようだった。それも話しぶりからすると片思い。

 ギルフォードのような帝国女性垂涎の相手を袖にするような女性が存在することには驚きだが、好みというのもあるだろうし、そういうこともあるのだろう。


 ――でもその人、かなり贅沢よね。


 あのギルフォードにドレスまで贈られても動じないなんて。


 ――ギルって好きな人の前だとどんな風になるのかな。


 恋は人を変える。周りの人たちは恋愛をすると献身的になったり、その人のことを考え過ぎてぼーっとしたりする。普段は真面目な部下がデート中はにこやかに笑いかけてまるで別人のような反応を見せるのを、偶然見かけたことがあった。


 鉄面皮のギルフォードも好きな人を前にすれば、優しく笑いかけ、リードをし、その人に献身的に尽くすのだろうか。


 ――尽くすよね。だっていくら袖にされてもドレスを作るくらいなんだから。

 自分の知らないギルフォードがいることはやっぱり寂しい。だからと言ってジュリアにそんな姿を見せてくれるはずもない。


「ギルはこの時期は特に大変そうだよね」

「煩わしい連中がまとわりつくだけだ。無視すればいい」


 たしかに当時から、ギルフォードは今と同じだった。どれほどプレゼントをもらおうが突き返し、「邪魔だ」と平然と言う。


 一体どれほど心を折られた女性たちがいたことだろう。

 その当時はすでに一方的に嫌われていたジュリアは大変だなと遠目から見ていた。


「今回はいいことがあるかもしれないわよ。キャスリア様は全ての愛を抱く人たちの味方でしょ?」

「? なんだ、突然」


 ギルフォードが不審げな顔をする。


「う、ううん。何となく思っただけ」

「……俺は見放されてるんだよ」


 ギルフォードのそんな呟きは、ジュリアの耳には届かなかった。

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