第14話 ダンス
にこやかに微笑んだクロードが近づいてきたのは、ジュリアたちのほう。
ジュリアとギルフォードもまた恭しく頭を下げる。
「ギルフォード。来てくれて嬉しいよ。で、そちらの美しい令嬢?」
「美しいなどともったいない御言葉でございます。ジュリア・フォン・ゼリスでございます、殿下」
「ジュリア将軍か! このような式典では常に軍服姿だったから見間違えてしまった。まさかあなたはドレスまで似合うなんて素晴らしいですよ」
「あ、ありがとうございます」
まさかクロードにそうまで言ってもらえるなんて驚いてしまう。
クロードはジュリアの手を優しく包むと、手の甲に口づけをする。
「ふぅん?」
「で、殿下? 何か?」
手の甲に口づけされる挨拶は正直なれないので何か作法に間違いがあったのだろうか。
クロードの見せる微妙な反応に、ジュリアは戸惑う。
「おかしいな。僕が微笑みかけると大抵の令嬢というのは頬を赤らめ、恥ずかしがるというのに」
「……はい?」
「僕の笑み、魅力的じゃなかった?」
「そんなことございません。私は粗忽者ゆえ、他の令嬢と同じような反応は残念ながらできません……」
「なるほど。面白いなぁ」
柔らかな笑みを浮かべる皇太子の視線を遮るように、ギルフォードがジュリアの前に立つ。
「ちょ、ちょっとギル、何してるのっ」
「殿下、ジュリアをからかうのはそこまでにしてください。こいつはそういうことに馴れておりませんから」
クロードは特別気分を害したわけもなく微笑んだ。
「からかってなんかいないよ。僕は、昔からギルフォードから話を聞いていたジュリア将軍とこうして直接言葉を交わせて嬉しいんだから。いつもは列席者が多すぎて、将軍と話す時間がなかなかとれないから。ようやく手が空いた頃には将軍は帰った後。だから今日はこうして、いの一番に駆けつけてたんだ」
「ジュリアは、殿下の好奇心を満たす見世物ではないですよ」
「そうだな。悪かった。だが……その顔は頂けないな、ギルフォード。昔から言っているだろ。良きことがあれば笑え、と。お前はいつだって表情が変わらぬ」
「なぜ、俺がジュリアと一緒にいることで笑わなければならないのですか」
「お前が、令嬢をエスコートする姿を初めて見るから、だ。素直になって笑えばいいものを」
「お戯れを」
こんな風に皇太子相手に気安く話しかけられるギルドーフォドに戸惑いを覚える。
「……お、お二人は仲がよろしいんですね」
「ギルフォードは僕の学友の一人だから」
「殿下、それではさっさと他の者たちと挨拶を交わすべきでは?」
「そう怖い顔で睨むなよ。将軍、また今度ゆっくり話そう」
「お薦めはしません」
「それはどうかな」
クロードは品のいい笑みを浮かべ、他の来客の元に向かっていく。
「殿下とあんなに親しかったなんて知らなかった」
「子どもの頃から仕えているから話しやすいだけだ」
きっとギルフォードとの仲がこじれてから、クロードの学友に決まったのだろう。
クロードは、ジュリアの知らないギルフォードを知っていると思うと少し妬けた。
「殿下は私のことを話に聞いていたって仰っていたけど、どんな話をしていたの?」
「魔導士さえ叩き斬る勢いの人間が軍にはいる、だったかな」
「……ぶん殴りたい」
「やめておけ。皇太子を殴れば不敬罪で一家断絶だぞ」
「その時のギルに決まってるでしょ」
フン、と鼻で笑われる。
まったく、と呆れつつ、気を引き締める。これからがジュリアの腕の見せ所と言っていい。
――私がここに来た目的をしっかり果たさないと。さあ、きたわよ!
令嬢たちが獲物を見つけた獣よろしく、ギルフォードめがけて近づいてくる。
ジュリアは邪魔にならないよう、それでもいつでも危機に対応できるよう、つかず離れずの距離を維持する。
「ギルフォード将軍、今宵は軍服ではなくて、タキシードなんですねっ」
「あぁ、軍服姿のあなたも凛々しいですが、タキシードを着ると品の良さがぁ……もちろん軍服の時も品の良さはあるのですが~」
ジュリアは心の中で令嬢たちの賞賛の言葉の一つ一つに思わず頷いてしまう。
たしかにギルフォードの姿は本当に惚れ惚れするくらい格好いい。
しかしそんな歯の浮くような賞賛を受ける当のギルフォードはと言えは、大して興味がないと言うかのように、相槌を打つばかり。
それでも令嬢たちはめげることがなく、自分こそが彼をものにするのだと言わんばかりに息継ぎをする間もなく話して目立とうとする。
――すごい。私にはないバイタリティ。やっぱりあれだけのことをしなかったら、獲物は手に入れようがないってことなのかなぁ。
まるで餓えた狼の群。
――ギルは無理はしてない……?
馬車の中で手を繋いだ効果か、彼は全く顔色を変えていない。
体を小刻みに震わせたり、何かを我慢しているようには見えない。あくまで自然体。
何事も起こっていないのなら、それでいい。
「ジュリア」
背後から声がして振り返った。
「パメラ」
パメラはジュリアの爪先から頭の天辺をじっくりと眺め、目を輝かす。
「どうしたの! そのドレス! 素敵じゃない!」
「……本当にそう思う?」
「思う思う! 本心だよ! 素敵!」
「肩幅は……」
「そんなのぜんぜん気にならない。むしろ、スタイルの良さしか目に入らないもの。ふふ。でもあんなにドレスを拒絶していたのにどんな風の吹き回し?」
「ちょっと、ね」
褒めてもらって、口元がゆるんだ。
「まさかいい人ができた?」
「違う違う」
「じゃあ、ちょうど良かった」
「え、ちょうど?」
パメラは二人の男性を手招きする。
そして一人の腕に飛びつき、恋人だと紹介する。
「はじめまして、将軍。クリスと言います」
「はじめまして、クリスさん。あなたが運命の?」
「私の運命の人。この人しか、私は愛せないからだになっちゃいましたっ!」
パメラは笑顔で、クリスと微笑みあう。
――二人とも、すごく幸せそう。
見ているだけでジュリアまで嬉しくなるほのぼのとした光景だ。
「お二人とも、おめでとう。結婚式には是非、招待してね」
「当たり前でしょ」
そこで幼い頃にロマンス小説を愛好しているジュリアとしては好奇心がくすぐられる。
「ね、本当に二人は他の人にはドキドキしないの?」
「もちろん」
「ええ、しません。正直、最初は半信半疑だったんです。いくら運命神の力とはいえ、儀式をして本当に誰にも惹かれなくなるのか、って」
「でも本当だったよね」
「はい。本当にパメラ以外目に入らない。それどころか、儀式をしてから彼女以外、気にもならないんです。どれほど美しく魅力的な女性と鉢合わせても、心がぴくりともしない」
――素敵! 本当にロマンス小説みたい!
ジュリアは心の昂奮を顔に出さないよう、轍の自制心で必死におしとどめる。
「それで、そちらの方は?」
「クリスの友だち。銀行員をしてるの。実は、ジュリアに紹介しようと思ったの!」
男性は人の良さそうな笑みを浮かべる。
「はじめまして、ソーマと申します」
男性は紳士的に挨拶をしてくれた。
「はじめまして。ジュリアと言います」
「我が国の英雄を知らない人間はいませんよ」
男性はジュリアの右手を取ると、そっと手の甲に口づけをしようとする。
しかし不意にジュリアは抱き寄せられた。
「っ!?」
「何をしている」
冷え冷えとした声がその場に響きわたる。
「ぎ、ギル、何して……っ」
自分がおかれている状況を自覚すると、頬まで熱がこみあげる。
ギルフォードがジュリアの腰を抱き寄せていた。
「ギル、魅了魔法が発動したの? 大丈夫っ?」
ジュリアは小声で言うが、無視されてしまう。
身動ぐが、腕にこめた力を一切緩めてはくれない。
彼の体温がじわじわと染みてくる。
同時に心臓が早鐘を打ち、苦しささえ覚えてしまう。
「で、パメラ、そいつは?」
ジュリアの声を無視したギルフォードが冷たい視線をやる。
心臓を射貫かれるような視線を受けたソーマはびくっと肩を震わせたかと思うと、「いや、あの、わ、私は……」と引き攣った笑みを浮かべ、「ああ! お腹が空いていたんだ! 忘れてた!」とわざと大きな声をあげたかと思うと、そそくさと退散していった。
パメラは目をつり上げた。
「ちょっと、邪魔しないでください。将軍!」
クリスが「落ち着いて」と宥めようとするが、パメラは無視して、ギルフォードを睨み付けた。
「邪魔?」
「邪魔です。今、私は親友としてジュリアの恋人にふさわしい相手を紹介していたところなんですっ」
「そうなのか」
「……まあ」
ジュリアはなぜだか後ろめたい気分になって目を反らしてしまう。
「なぜそんなことをするか分かります? ジュリアは一人娘として跡継ぎを儲けなければいけないんです。にもかかわらず、あなたがお見合いをことごとく邪魔するせいで、悩んでいるんですよ!」
「いやそこまで悩んでは……」
しかしジュリアの声は、ギルフォードとパメラには届かない。
「俺が見合いを邪魔している、と言いたいのか?」
「もちろん、相手がとんでもない人である場合もあったでしょう。そんな人とのお見合いは潰していただいてありがとうございます。でもそんな人ばかりではなかったはずです。ギルフォード将軍、あなたはジュリアのことをどうしたいのですか。あなたがジュリアの婿になってくださるのですか!?」
「ちょっと、パメラ!?」
突然、宴の席上ではじまった騒ぎに、噂好きの紳士淑女たちが耳を大きくするのが分かる。
ジュリアはパメラをなだめようとするが、頭に血が登った彼女は聞かない。
「お前には関係ない」
「私はジュリアの親友として――」
ギルフォードは冷ややかに告げると、ジュリアの腕を引く。
「ちょ、ちょっとギル!?」
「……踊るぞ」
ギルフォードはジュリアの返答も聞かず、ダンスフロアに出ていく。
「でも私、ダンスは」
「俺がリードする」
ギルフォードはジュリアの右手を掴み、左腕で腰を抱いて、ぐっと自分のほうへ抱き寄せる。互いの息遣いが感じられるほど二人の距離が近づく。
「……もしかして、魅了の効果が出て来ちゃった?」
「かもな」
「え、なにその微妙な答えは」
ジュリアはなぜか彼の唇に目が向きながら、頭の中では繰り返し、彼に唇を奪われそうになった日のことを思い出してしまう。
軽やかなメロディに合わせ、ギルフォードがリードをしてくれるが、彼の足を踏みつけてしまう。
「ごめん、足……」
「気にするな」
ジュリアは、手を握るギルフォードの手の大きさや熱を意識してしまう。
彼の顔が見られない。あの艶めく金色の眼差しを目の当たりにした瞬間、何も考えられなくなりそうで。
――この感覚って何なの……。
「顔をあげろ。俯いていると、余計目立つ」
「う、うん……」
ジュリアはおずおずを顔を上げる。自分を見下ろす、切れ長で美しい月明かりを思わせる眼差しが射貫く。
そこで、昔もこうして誰かと踊っていたことがあったなと思うが、いつだったか思い出せない。
それは以前、二人で公園を散歩した時、夕日で赤く染まる池を見た時に感じたものと似ていた。
――私たち、こうして二人で踊ったことが前にもあった……?
でもそんなことは一度もなかったはず。皇室主催のパーティーだったり、士官学校時代はことあるごとにダンスパーティーが催されたが、どのタイミングでもジュリアは踊らなかった。
ダンスが苦手ということもあったし、踊るようなパートナーもいない。それなのにどうしてギルフォードとダンスを踊っていると、懐かしさを感じてしまうのだろう。
ギルフォードの腕に力がこもると、ジュリアはその場でくるりと一回転させられる。
「っ!?」
ただでさえリズムに乗るのに手一杯だというのに突然の動きの変化に、体がついていかない。緩い回転だが、ダンスが不得手なジュリアからしたら振り回されたも同然で、バランスを崩してしまう。しかしすぐに腰に腕が回され、ギルフォードの腕の中にすっぽりと収まる。
そして再び緩やかなテンポに戻る。
「ぎ、ギルがこんなにダンスがうまいとは思わなかった」
「練習した。何度も何度も」
その声が熱を帯びたように聞こえた。魅了魔法にかかっているからだろうか。
普段から冷静を通り越して、何の感情も表に出さないギルフォードがこんなにも熱っぽい眼差しをするなんて。
「ギルが、そんなにダンスが好きだなんて知らなかった。だったらもっと踊ればいいのに」
「お前とのダンスは特別だ」
ギルフォードはますます頬の赤みや、瞳の潤んでいるように見える。
「本当に平気? ダンスはやめて、どこかで休憩したほうがいいんじゃない?」
ジュリアは不作法を承知でギルフォードから手を離してダンスをやめようとするが、彼の手ががっちりと指に絡んで離してくれない。
「ジュリア、お前と離れたくない」
彼の甘い囁きに、これはあくまで魅了魔法の影響と自分に言い聞かせる。
足がすくわれる。
「っ!?」
ジュリアは腰に回された彼の左腕に上半身の体重をかけるように、仰け反るような格好になる。
そこへギルフォードが覆い被さるようにして顔を近づけてくる。
曲がタイミング良く終わりを迎えた。
周囲の人々が拍手をするが、ジュリアはそれどころではない。
ギルフォードはまだこの姿勢のまま、ジュリアの顎に手をかけ唇を塞ごうとしてくる。
「ギル!」
思わず大きな声が出て、彼はかすかに動きを止めた。
その瞬間を見逃さず、ジュリアは彼の腕から逃れる。
「お手洗い!」
ジュリアの絶叫が会場に響きわたる。
ギルフォードの手を無理矢理引き剥がし、馴れないハイヒールのせいで躓きそうになりながら会場を飛びだした。
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