第13話 誕生日パーティー

 皇太子の誕生日パーティー当日。


 ジュリアは午前中に仕事を切り上げ、クリシィール屋敷に戻ると、侍女に出迎えられた。 どうやらジュリアの着替えのために一時的に呼び戻してくれたらしい。

 さっそく、ドレスを着るのを手伝ってもらう。


 ――布が薄くて、心許ない……。


 それにパンツではないから動きにくい。少しでも荒っぽく動こうとすると、躓きそうになる。


 ――って、ドレスで荒っぽく動くような状況がありえないけど。


 瞳の色と同じサファイアのイヤリングをつけてもらう。


「これは?」

「ギルフォード様がお選びになられたイヤリングでございます」

「ギルが!?」

「お気に召しませんか?」

「あ、いえ。気に入ったわ。ギルからは何も聞いていなかったから」


 前回の公園でのことが頭を過ぎって、体が熱くなる。

 化粧までしてもらって、「こちらでいかがでしょうか?」と鏡を見せられる。


「すごく素敵ね」


 普段は業務上、化粧も必要最低限にしかしないから、見違えてしまう。

 髪型もいつもみたいに背中に下ろすのではなく、ハーフアップで髪型にボリュームを出し、真珠飾りで彩られる。


「……うなじがスースーするんだけど。変じゃない?」

「まさか。将軍は首がほっそりと長くてシルエットが綺麗ですので、こうして強調したほうが素敵だと思います! 髪は下ろすより、上げたほうがよろしいかと!」


 ただ、問題はドレスやアクセサリーを身につけているのがジュリア、ということだけ。


 ――やっぱり肩幅が広いのが……。それに胸元もスースーするし。


 正直、恥ずかし過ぎて脱ぎたくてたまらない。しかしここまで入念に着付けをしてくれた侍女たちの手前、そんなことはできない。

 ジュリアがそんなことをすれば、侍女たちの腕が悪いと言っているようなものだ。


「……変、じゃない?」

「そんなことございません。とてもスタイリッシュでございます」

「はい。さすがは将軍でございます! スタイルもバッチリで、惚れ惚れしてしまいます!」


 侍女たちはキャッキャッと盛り上がる。


「それから履き物はこちらを」


 ハイヒールだ。


「もしかしてこれもギルが?」

「左様でございます」


 ――こんなもの履いたら、どんだけでかい女って思われるか……。ま、いいか。もうすでに言われてるし。今さら少し大きくなったって大して変わらない。

 そう自分に言い聞かせるようにハイヒールに足を通す。


「おぉ~!」

「絵に残したいです!」


 賞賛する侍女に苦笑いを返し、歩きづらさを感じながら一階の玄関ホールへ下りていく。


 ――これは靴擦れ確定ね。


 玄関ホールにはギルフォードと、セバスがいた。

 細身のギルフォードにタキシードはよく似合う。


 その立ち姿を見ているだけで、体がむずむずして、落ち着きがなくなってしまう。

 彼もまたジュリアに気付くが、虚を突かれたような表情をしたまま何も言わない。


「良くお似合いで御座います、ジュリア様」

「ありがとう、セバス」


 ちらっと、ギルフォードを見る。彼はすぐに顔を背ける。


「……似合ってる」

「あ、ありがとう。ギルもよく似合ってて格好いいわ」

「こんなもの似合ってもな」


 相変わらずな反応に、苦笑いしながら、ジュリアは礼を言う。


「ギル。イヤリングと靴をありがとう。あとで値段、教えて。払うから」

「大した値段じゃないし、払う必要ない」

「そういうわけには」

「この話は終わりだ」


 少し強めに言われ、「う、うん」とうなずいた。


「お坊ちゃま、ジュリア様、馬車が参りました」

「それじゃいってきます、セバス」

「いってらっしゃいませ」


 セバスに見送られ、馬車に乗り込む。


「おい、足を閉じろ。パンツじゃないんだぞ」

「あ、そ、そうねっ。それにしてもギル、今日もいい香りがするわね。どんな香水をつけてるの」

「香水なんてつけてない」

「でも普段からいい香りが」

「軍人が香水なんてつけていられるか」


 それはそうなのだけど。


「じゃあ、この香りは?」

「気のせいだろう」


 ――そんなことはないけど。


 ジュリアがとても好きな、爽やかな香りだ。こんなにはっきり感じるのに、気のせいということはありえないと思う。

 それともオシャレしているのを恥ずかしがっているのだろうか。


「あの……ギル」


 ジュリアは、ギルフォードに向かって腕を大きく広げた。


「? 何をしてるんだ」

「だ、抱きしめていいから」

「は?」

「これからパーティーでしょ。たくさんの令嬢があなたを目当てに集まるわ。その時にもし我慢ができなくなって押し倒すような真似をしたら大変でしょ。だから、今のうちに私で発散しておいたごうがいいわ」

「……化粧が崩れるだろ」

「そんなことを気にしてる場合? 公爵家の当主が皇太子殿下の面前で令嬢を押したおすなんて真似になったら、公爵家にどれだけの打撃があるか。もちろんすぐそばで私が見張っているし、もしもの時は全力で止めるけど、何事も起こらないに越したことはないじゃない」


 ギルフォードは何かを躊躇うように視線をさまよわせる。


「……じゃあ、手だ」

「手をどうするの?」

「つなぐ。それで我慢する」

「そんなので我慢できるの……っ?」

「それなら、化粧が崩れないだろ。俺のことより、皇太子殿下の前で化粧を崩れた顔をさらすほうがまずいだろ」

「……それはたしかに」


 ギルフォードの声はかすかに上擦り、体も震えている。


 本当は無理しているのではないだろうか。ジュリアには魅了魔法の衝動がどれほど強いものなのかが分からない。だがこれまでのことを考えると、自制心の強いギルフォードが辛そうな顔をするくらいだから相当なものなのだろう。


「分かった」


 ジュリアはギルフォードの右手を包み込むように握り締める。

 ギルフォードの手は大きくゴツゴツとしている。女とは違う、男の手だ。


 もちろん、部下には男が圧倒的に多いし、訓練の時は自分よりも大きい男たちと何度も手合わせはしてきた。でもこうして手を握ったりするのは初めてだ。

 なにせ手を握るような恋人ができたこともない。


「ど、どう?」

「……もういいから離せ」


 ギルフォードは少し耳を赤くしながら言った。


「あ、ごめん。手汗が……」


 ハンカチを差し出すとが、「いらない」と断られる。

 そうこうするうちに馬車が皇宮に到着する。


 馬車列に並び、玄関前まで来ると使用人によって馬車の扉が開けられた。

 ギルフォードが先に下りたかと思うと、右腕を差し出してくる。


「え? あ、下りられるけど」

「エスコートだ」

「あ……そんなエスコートなんて……きゃっ」


 ギルフォードに腕を掴まれ、半ば無理矢理、自分の右腕に捕まるよう仕向けられた。

 玄関前で話していた来客の何人かがジュリアを見て、ざわつく。


 ――やっぱり帰りたい! いや、今すぐ軍服の上着だけでもいいから着させて!


「何を呻いてる。足を動かせ」

「ちょっと早い。ハイヒール履き慣れてないんだから」


 ギルフォードが溜息をつきつつ、ペースを落としてくれたお陰で、歩きやすくなった。

 人の視線を浴びて、いたたまれない気持ちになりながら、パーティー会場へ入る。

 そこは帝国中の貴族たちが一堂に会した、きらびやかな世界。


 ギルフォードに、男が話しかけてくる。

 陸軍の部下で、子爵家の当主でもあるチャネル大佐だ。


「これはギルフォード将軍……。将軍がご夫人を連れて来られるとは珍しいですねえ。さすがは将軍、とても素敵な女性でつい見とれて……」

「……ふざけてるの、チャネル大佐」


 ジュリアは溜息混じりに言った。


「はい? 私のことをご存じで? どこかでお会いしましたか?」

「私よ」

「私?」


 じっとチャネルが見てきたかと思うと、みるみるその顔が変わっていく。


「まさかジュリア将軍閣下!?」


 その絶叫に周囲からの視線がさらに集まってくる。


「声が大きいわよっ」

「し、失礼いたしました! しかし将軍が軍服ではないとは……」

「ギルだってそうでしょ」

「いや、ですがギルフォード将軍とはぜんぜん違うというか……破壊力が……」

「何を訳の分からないことを」

「目障りだ、挨拶が済んだのならさっさと行け」


 ギルフォードが冷ややかな眼差しで追い払う。


「は、はいっ。失礼いたします……っ!」


 背筋を伸ばして敬礼すると、チャネルは逃げるように去って行った。


「一体なんなのよ。上官を馬鹿にするなんて」

「似合ってるってことだ。分かるだろ」

「まさか」

「似合う、そう言ったずだ」

「それは……あの場の勢いで、じゃないの」

「違う」


 そこへ、「ジュリア!」と聞き覚えのある声が聞こえた。


「お母様、……と、お父様」

「まあまあ、なんて素敵なの! よーく見せてちょうだい! シンプルなドレスはあまり好みじゃないけどぉ、まあシックでこれはこれであなたによく似合ってるわねえ。髪型もアクセサリーは……なんて素敵!」

「お母様、他の人たちが見ていますので、声を抑えてください」


 まるで飼い犬と間違われているみたいにベタベタと触られ、苦笑いしてしまう。


「やっぱり私が睨んだとおり、あなたはドレスもよく似合ってるわ。素敵。ねえ、あなた……」


 しかし喜んでいる母親とは裏腹に、父親は不満を露わにして、ギルフォードを睨み付ける。


「お前、クリシィールの小倅にエスコートを許すとはどういうことだっ。お前の家の使用人から聞いているぞ。一体どんな任務を受けたらこんな男と一つ屋根の下で暮らすことになるんだ!?」


 昂奮する父に、ジュリアは辟易してしまう。


「色々とあるんです」

「その色々を説明しろ」

「軍の機密にあたりますので言えません」

「私は大将だぞ!」

「元、ですよね」

「お、お前という奴は……」

「お父様、まさか皇太子殿下の誕生日の席で暴れ出したりはなさりませんよね。それこそゼリス公爵家の威信を貶めることになりますよ」


 怒りのあまり赤黒くしながらも「小賢しいっ」と吐き捨て、母と一緒に人混みの中に消えていく。


「ギル、ごめん……」

「馴れてる」

「あんなのに馴れたら駄目よ。あとで私からお父様にきつく言っておくから。だから、ごめんなさい」

「お前が頭を下げるな。この話はこれで終わりだ」

「そういうわけには」


 公爵家の当主にあんな無礼な口を聞くなんて、さすがに同じ爵位とはいえ許されることではない。品位を傷つけられたと訴えられてもおかしくない非礼だ。


「見ろ。殿下が来るぞ」


 着飾った服装の皇太子が、フロアを見渡せる中二階に姿を見せる。

 美しい漆黒の髪に、深紅の瞳。端整な顔立ちには優しげな笑みを浮かび、貴族たちを見下ろす眼差しには慈しみが溢れていた。


 クロード・ヘヴラ・ウォルフリッツ。

 ウォルフリッツ帝国の次期皇帝。


 年齢はジュリアたちと同じはず。

 ジュリアたちは深々と最敬礼をして、出迎える。


「私の誕生日のためにこうしてみなが集まってくれたことは、このクロードの誇るべきことである。時は刻々と変化し、ますます帝国には皆の力が必要となるだろう。これからも、よろしく頼む」


 列席者に対して感謝を述べ、楽団の演奏と共に本格的な宴の幕が上がった。

 同時に、皇太子がフロアへ下りてきた。

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