第11話 約束

 翌朝、いつものようにジュリアが出勤すると、彼女を出迎えたのは半泣きの副官だった。


「おはよう――」

「しょ、将軍! 昨日大変だったんですから!」


 副官がここまで取り乱すのは一大事だ。


「ちゃんと落ち着いて話して」

「昨夜、突然うちにギルフォード将軍がやってこられたのです!」


 昨夜はそんなこと一言も言ってなかった。


「……どうして?」

「将軍に大事な打ち合わせがある、今どこにいるのかと……それはもう、将軍がお使いになる氷魔法並の冷え切った声で……。もちろん、パメラ様とご一緒に食事に出かけられましたとお伝えしました!」

「それで?」

「すぐにお帰り頂けました」

「だったら」

「よくありません! 危うく命を取られるかと思ったんですから……あの人、本当に神出鬼没で」


 昨夜のことを思い出したのか、副官はブルブルと震える。

 セバスが心配していたから、探し回っていてくれたのか。


 ――そこまで労力を使わせるなんて悪いことしちゃったわね。


「いきなり現れたからと言って、大袈裟じゃない?」

「それはあの目をご覧になられてないからです! あのまま視線だけで殺されるかと思いました! 魔法の中には視線だけで相手を殺す『魔眼』と言われるものも存在すると聞きますし!」


 副官は顔を青ざめさせて、本気で怯えている。


「分かった。次からなにか予定が入ったらちゃんと、ギルには伝えておく。昨日みたいなことがないように気を付けるわ」

「お願いします!」


 切実にお願いしてくる副官をなだめる。


「あ、それからこれを……」


 副官は今思い出したと封筒を恭しく渡してくる。

 封蝋を見てすぐに恭しさの理由が分かった。

 王冠に百合。王家の紋章だ。

 ジュリアは中を検めると、皇太子の誕生日パーティーへの出席を求めるものだった。

 期日は一週間後。


「ちょっとギルのところへ行ってくるわ」


 招待状を手に、ジュリアはギルフォードの部屋へ向かう。


「ギル」


 ジュリアは扉を開け放つ。


「ノックをしろ」

「緊急事態だから許して」


 ジュリアは正体を突きつける。


「これはもう受け取った?」

「ああ、ついさっきな」

「どうするの?」

「殿下の誕生日だぞ。行かない選択肢があるのか?」

「でも今のあなたは……」


 普段のパーティーの席上でも、ギルフォードは令嬢たちからの人気が絶大で、取り囲まれているところしか見たことがない。


 今の魅了魔法の効果がある状態のギルフォードがそんな状況におかれれば、いくら自制心が強いとはいえ、我慢の限界が来るのではないか。

 それこそこれまでジュリアにしてきたことを、不用意に近づいて来た礼状相手に手当たり次第にするのではないか。


「殿下の前であんなことをしたら、下手したら牢屋行き、最悪、処刑もありうるわ!」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「今のあなたは普通の状況じゃないでしょ。病欠だって言えば……」

「こうして大過なく出勤しているのに、か?」

「そ、そっか」


 問題なく出勤しているにもかかわらず、皇太子の誕生日パーティーに欠席すれば、それこそクリシィール公爵家が王家に何か含むところがあると思われる可能性もある。


「仕方ない。私があなた(から他の女性陣)を守るわ。これに関してはまた屋敷で話しましょう。あ、それから私の居場所を知るために副官を脅すのはやめて。今回は私が行き先を言わなかったのが悪かったけど、他の将軍の副官を脅すなんて、一つ間違えれば上官への侮辱になるから」


 そう言って部屋を出た。


「――ケンカかな」


 部屋を出るなり声をかけられ、背筋に嫌なものが走り抜けた。


「……マクシミリアン」

「声をかけただけなのにそんな牙を剥く野良犬ような顔をするなんて、ずいぶんと嫌われたものだな。悲しいよ」


 悲しい人間がそんな微笑を浮かべたりはしないだろう。


「別に嫌ってないわ」

「そう?」

「不愉快なだけ」

「ハハッ」


 何がおかしいのか、マクシミリアンは喜んでいる。

 こういう、人を平気でおちょくるようなところがどうしても好きになれない。マクシミリアンは腹の底で自分以外は全員馬鹿だと思っている類いの人間だ。


「それで、管轄が違うギルフォードの部屋に何の用だったんだ?」

「大したことじゃないわ」

「ふうん。そう言えば君のところにもこれ、届いた?」


 マクシミリアンは皇太子の誕生日パーティーの招待を取り出してみせる。


「ええ」

「出席するんだろ」

「もちろん」

「だったら俺と一緒に行かないか。君をエスコートしたい」

「お断りよ」

「この間、また見合いに失敗したんだから相手はいないだろ。女性が一人で出席するのはマナー違反だ」

「悪いけど、私は女としてではなく、軍人として行くつもりだから」

「軍人だろうと女性は女性だ。エスコートは必要だ」

「あなたとは行きたくない。ここまではっきり言わなきゃ分からない」


 それでもマクシミリアンは悠然とした態度を崩さない。


「そういう態度の人間を翻意させるのが楽しいんだよ」


 こうしてジュリアが嫌がっているのを楽しむなんて、とんだサディストだ。


「人の部屋の前でごちゃごちゃうるさいぞ」


 ギルフォードが部屋から出て来た。


「マクシミリアン」


 殺気に満ちた眼差しが、マクシミリアンに向くが、彼は涼しげな表情を崩さない。


「ジュリアには怒らないのか?」

「俺が気に入らないのはお前だ」


 マクシミリアンは肩をすくめると、ギルフォードではなく、ジュリアに笑みを投げかけ、その場から立ち去った。


 ジュリアは全身から力を抜いた。


「ギル、ありがとう」

「……さっさと仕事に戻れ」


 ギルフォードは部屋に戻っていった。


 ◇◇◇


 その日は特に予定もなかったからジュリアはまっすぐ、クリシィール公爵の屋敷に戻り、夕食をギルフォードと一緒に取った。

 食後、セバスが淹れてくれたお茶を飲む。


 ギルフォードはすでに自分の部屋に引っ込んでいた。


「お坊ちゃまからお聞きしました。ちかぢか皇太子殿下の誕生日パーティーがあるとか」

「うん、そうよ」

「ドレスのご準備はいかがなさいますか?」

「軍服で参加するから必要ないわ」

「なんと!」

「おかしいことじゃない。これまでもどんなパーティーの席でも軍服で参加してきたんだから」

「それはたしかに……ジュリア様は我が国の英雄のお一人ではございますから、それでも問題なかろうとは思います。しかし……皇太子殿下の誕生日の席であって、軍隊の式典ではないので、やはりドレスのほうが相応しいのではないかと」


 慌てるセバスに、ジュリアは苦笑する。


「実は今のは表向きな理由。実は、私はドレスが絶望的に似合わないの。滑稽なくらい。きっとあなたも笑っちゃうわよ」

「ジュリア様……」

「慣れっこだから。お茶、ごちそうさま」


 ジュリアはにこりと微笑み、席を立って食堂を出ると,ギルフォードが立っていた。


「どうかした? あ、セバスさんなら中に」

「明日の帰り、少し付き合え」

「何か公務があった?」

「私用だ。人の家に居候してるんだ。それくらいの融通は利かせられるだろ」

「明日は大丈夫よ」


 ギルフォードは用件を伝えると、さっさと歩き出した。


 ――今のを伝えるためだけに来たの?


 そんなことをするなんて。ギルフォードの行動に少し驚いた。


 ――でもギルの私用ってなんだろう。


 彼のことを知ることができるチャンスかもしれないと、誘われて嬉しくなった。

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