第6話
「アキちゃん、久しぶり。いつもうちのはながお世話になっていて悪いね」
ランチの客が引けた午後2時のアキの店。シンクに山積していた洗い物を終えたアキは一息つき、今日の賄いはどうしようと考えていたところだった。
「あら、たっちゃんとハルちゃん、久しぶり。今日は二人そろってどうしたの?」
早速、店の隅から充電を終えたばかりのたーちゃんがキャッキャと声を上げながら駆け寄って来た。
「たーちゃん、久しぶり。元気そうだね」
そう言いながらタツヤは、たーちゃんを抱き上げた。たーちゃんは目を細めて「ウヒャヒャ」と声を上げて喜んだ。
「どう? 最近、変わったことはある?」
タツヤはたずねた。タツヤがアキに定食屋の女将を紹介してからもう10年が経過していた。その後、何度かアキの店を訪ねていたのだが、来るたびに店がどんどん明るく活気づいているのがわかった。当初、ざるそばしかなかったメニューも次々と増え、今ではもはやそば屋というよりも定食屋に近くなっていた。
そばに加えて、煮物、焼き物、揚げ物、うどん、丼物、カレー、各種定食など、いずれも客からの要望に応じていった結果、増えていったものばかりだった。
「繁盛しているようだね」
「たっちゃんのおかげね。開店した時、正直言ってお店の仕事があまり楽しくなかったの。でも、女将さんのお店で修行して、店主が楽しければお客さんも楽しいし、そのお客さんがまた別のお客さんを連れてきてくれてね。どんどん楽しくなることがわかったのよ」
「で、これだけメニューが増えたわけだね」
タツヤが見上げる壁一面は、黄色の紙に記された数えきれないほどのメニューでびっしりと埋め尽くされていた。
「最近増えたメニューはあるの?」
「あるわよ。やまと焼きっていうの。食べてみる?」
「うん、いただこう」
アキは厨房へと姿を消した。たーちゃんはタツヤの腕の中でぐっすりと眠っていた。しんと静まった客席に厨房から調理する音だけがカタコトと響いていた。タツヤもハルも黙っていた。二人とも何かを思いつめた表情で壁一面に広がるメニューをぼんやりと目で追っていた。
「はい。お待ちどうさま。やまと焼きです」
アキがテーブルに出したものは一見、グラタンだった。
「これって、何?」
「グラタン・ド・フィノアのやまと芋版ね」
「グラタンなんとかって何?」
「じゃがいものグラタンよ。じゃがいもの代わりにやまと芋を使っているの」
タツヤは恐る恐るやまと芋の一片を箸でつまみ、口に入れた。やまと芋の粘りにホワイトソースとチーズのとろみが絡み、濃厚でねっとりとした旨みに舌が踊った。
「うまいよ、これ。どこで知ったの?」
「この前ね、ロボットのやまとくんのオーナーご夫婦がお店に来てね。レシピを教えてくれたのよ」
「へえ、やまとくんの名前から取ったんだ」
「そうかもね。そのご夫婦、本当によく飲む人たちでワインを2本も開けていったわよ」
「2本はすごいね」
「こういうお店が近所に欲しかった。また来るって言っていたわよ。ねえ、たーちゃんもやまとくんといっぱい遊んだもんね」
たーちゃんはその時のことを思い出したのか、「キュルルプゥ!」とうれしそうに声を上げた。
「ところで……」
アキは二人をじっと見つめた。
「やまと焼きの話をしに来たわけじゃないでしょ」
「そう、実はね……」
ハルは話し始めた。タツヤが会社の健診で大腸がんの疑いとなり、大腸内視鏡検査の結果、ほぼ間違いなく悪性腫瘍であること。来週、生検の結果が告げられることになっており、家族全員で医師からの説明を受ける予定であると説明した。
「はなにとって、それはかなり重い話になると思うのよ。そこでお願いです。その日、たーちゃんを貸してほしいのよ」
「たーちゃんを?」
「そう。先生の重い話を聞く間、たーちゃんを抱っこしていれば、はなの心の負担が大分軽くなると思うのよ」
「たーちゃんをね……」
無機質な数字と画像を前に白衣の医師が淡々と父親の生死について語る。それはまだ高校3年生のはなにとって、辛い経験になるだろう。たーちゃんはその辛さを少しでも和らげてくれるだろうか? アキはたーちゃんをじっと見た。たーちゃんもアキをじっと見上げていた。目が合うと、たーちゃんはニコニコと笑った。
「そう。たーちゃんありがとう。よろしくね。たっちゃんの手術が終わるまでみんなを元気づけてあげてね」
たーちゃんは「ウヒャヒャ!」と両手をパタパタ上下させながら、ニコニコと笑った。
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