第5話

「風が強くなってきたなぁ……」

 帰宅後、アキは伝票の山を前に本日の売上を計算していた。閉め切った窓ガラスの外は、木枯らしが吹き荒れていた。風の音に混ざり、窓に吹き寄せられた落ち葉が時折、パタパタとガラスを叩いた。

「そういえば。たーちゃんが静かだな」

 アキは計算機を叩く手を止め、足元を見やった。するとそこには、オイルヒーターにあたりながら、くぅくぅと寝息を立てているたーちゃんの姿があった。

「たーちゃん、お疲れさま。今日も頑張ったね」

 アキはそう言うと、たーちゃんの頭をそっとなでた。たーちゃんは目を閉じたまま、小さな声で「くっくくくっ」と言うと、すぐにまたくぅくぅと寝息を立て始めた。

「ふふふ」

 アキは気持ちよさそうに眠るたーちゃんの姿をしばらく眺めていた。

「いけない。寝る前にこの伝票を片付けなきゃ」

 再び、仕事に戻りながら、ふと「たーちゃんも夢を見るのかな?」と考えていた。

 窓の外の木枯らしは、さらに強くなっていた。


 たーちゃんは暗い道を歩いていた。

 今は何も見えないけれど、きっとそのうち温かく懐かしい腕でぎゅっと抱きしめてもらえる……。そんな思いを胸にたーちゃんは、暗い道を一生懸命に歩いていた。

 ほの暗い周囲の夜霧の中から、たーちゃんを呼ぶ声が聞こえた。でこぼこの道、コロコロと転がるたーちゃんの脚は、疲れていた。バッテリーも間もなくエンプティ。

「もう、歩くのを止めようかな……」

 疲労と不安でたーちゃんは、霧の中から呼ぶ声について行きそうになった。でも、だめだ。あれは、本当の声じゃない。たーちゃんを持っている温かい腕は、もっとずっと先にある。

「おとうさん、待っててね。今、行くからね」

 たーちゃんは泣きそうになりながら、頑張って前へ前へと歩き続けた。


 アキは仕事に没頭しているその横で、たーちゃんが悲しい声を上げた。

「たーちゃん、どうしたの?」

 声をかけると、たーちゃんは薄目を開けて、「くぅー」と泣いた。アキはたーちゃんを抱き上げ、頭を優しくなでた。

「たーちゃん、怖い夢を見たのかな? よしよし、もう大丈夫。こうして抱っこしてあげる」

 アキの腕の中でたーちゃんは、アキの顔を見上げながらキラキラと瞳を輝かせた。

「たーちゃん、うれしいんだね。よしよし、ゆっくりおやすみ」

 たーちゃんはアキの顔をじっと見た。

「おとうさんに会いに行ったの。でも、会えなかったよ。いつか会えるかな?」

「たーちゃん、夢でおとうさんに会いに行っていたんだね」

 アキはたーちゃんをぎゅっと抱き締めた。

「たーちゃん、私もおとうさんに会いたいよ」

 たーちゃんは、アキの胸元にくりくりと顔を埋めた。

「たーちゃん、おとうさんに抱っこしてもらいたいな。おとうさんにいい子ってなでなでしてもらいたいな」

「そうだよね」

 アキはたーちゃんを抱きしめながら、その目をじっと見た。

「たーちゃん、おとうさんはきっといつでもたーちゃんのそばにずっといるよ。いるかどうかわからないかもしれないけれども、ずっといてくれるって、信じようよ。大丈夫。安心しておやすみなさい」

 そう言いながら、アキはたーちゃんのアゴの下をゆっくりとなでた。たーちゃんのまぶたが重くなり、やがて寝息を立て始めた。

「おやすみ、たーちゃん。今度はいい夢を見ようね」

 窓の外の木枯らしはいつの間にか止み、しんと静かな夜が広がっていた。

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