30. エリシェの異変 (2)
通された応接室からエリシェの整った町並みが見える。一見すると穏やかな一日のようだが、窓の外、そこから見える町に人の姿はない。この異様な光景の理由を求め、アユハとリシアは机を挟んでエリシェ支部の連盟員と向かい合っていた。
「お時間をいただきましてありがとうございます。
丁寧な挨拶だった。つられるようにアユハとリシアも深く頭を下げる。窓から流れ込んだ柔らかな風が、マルセルの白髪混じりの頭を撫でた。
「アユハ様、日々そのご活躍を拝聴しておりました。こうしてお目にかかれること、大変嬉しく思います。そして……失礼ですが、そちらの方は……」
「リシア・ナイトレイです。学者をしています」
「彼女には一連の異変の調査に協力いただいてます。それで……早速ですが、お話を伺っても?」
部屋の扉を控えめに叩く音がした。一度会話を切り上げ、訪れた連盟員を迎え入れる。机の上に三つのカップが並んだ。立ち上る湯気とともに、ふわりと甘い香りが室内に広がっていく。
連盟員が退出すると、マルセルはすぐさま口を開いた。
「簡潔に申し上げますと……現在、エリシェ支部は深刻な人手不足に陥っています」
「人手不足?」
「はい……アルヴァレスの異変以来、我々エリシェ支部は騎士団が駐留していない町を中心に活動を続けて参りました。各地の自警団と連携し、伝令鳥を使った安否確認や、応援の派遣など」
その話だけを聞けば、内容は華影ノ盟の通常任務そのものである。異変に伴う活動範囲の拡大こそあるものの、連盟員にとって不慣れな活動ではないだろう。マルセルが“深刻”とまで言うほどの人手不足に陥るとは考え辛い。
「異変から数日で周辺地域の状況確認が終わりました。そこからは継続的に各地とやりとりを続けているのですが……つい三日ほど前から、ラテルスの定期連絡が途絶えています」
「!」
「ラテルス?」
リシアの疑問の声にマルセルが頷く。隣でアユハがカップに口を付けたのは、意図して自分を落ち着かせるためだった。
「エリシェの北西にある小さな村の名です。……この問題を受け、近々ラテルスに調査隊を派遣する予定でいたのですが……ここでまた別の問題が」
「……というのは?」
「ラテルスの連絡が途絶えた時期と重なるように、エリシェも頻繁にケモノの襲撃を受けるようになりました。連盟員は昼夜戦いに駆り出され、町の住民はケモノの襲撃に怯えながらこの数日を過ごしています」
「もしかして、支部がやけに混んでいたのは……」
「はい、避難民です。エリシェの外壁近くに住んでいる人々が多いかと」
アルヴァレスにおける一連の異変は、王国中の黒獣を活性化させた。王都での黒獣の大量発生が各地に影響を及ぼしていることは事実だろう。しかし、華影ノ盟の混雑も、町の静寂も、全てはエリシェの置かれた状況が直接の原因となっている。
マルセルの話により町の現状を把握できたとはいえ、その内実はあまり思わしくないようだ。
「ウチは既に支援要請のあった町へ連盟員を派遣している状態です。そこにケモノの襲撃が重なり……とてもではありませんが、村の調査に人手を割くことができません」
現在のエリシェ支部は、普段よりも少ない人員で町を守ることに精一杯だった。加えて、今の国内は平時と状況が大きく異なる。緊迫した日々の中、極限の生活を皆が余儀なくされているのだ。
――そこに現れたオリストティア随一の剣士。冬の騎士と呼ばれる聖剣使い。王女の付き人ともあろう人物が何故単独でエリシェにいるのかは不明だが、彼の訪問はまさに渡りに船だった。
「恥を忍んでお願い申し上げます。アユハ様、リシア様。ラテルスの調査隊が町に戻るまでの間、エリシェの防衛にご助力いただけないでしょうか。どうか、我々にお力添えを」
二人であれば、調査隊の派遣で生まれる穴も埋められる。特にあの冬の騎士が連盟に協力していると知れ渡れば、疲弊した連盟員たちの士気も持ち直すことだろう。
そして――マルセルの意図を、この若い騎士は正しく汲むはずだ。王女の騎士にまで上り詰めた人間の実力をマルセルは理解している。
「リシア」
「……分かってるよ。手を組むって言った以上こういうことも想定済み。君がここで『嫌です』なんて言うはずないもんね」
たとえばこの場にいるのがリシア一人であったなら、マルセルの申し出を断る可能性もあっただろう。しかし、そんな彼女がしばしの旅の相棒に選んだのは、人を救うために命を燃やす騎士である。
リシアの返事を聞かずとも、最初から彼の答えは決まっていた。彼が民の声に耳を傾けないはずがない。
「協力しましょう。詳しい話、お聞かせください」
アユハの言葉を聞きながら、リシアは机上のカップに手を伸ばす。まろやかな甘味が、品の良い香りとともに口内に広がった。
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