2章

29. エリシェの異変 (1)






 エリシェはアルヴァレスとクレテリスという二つの大都市を結ぶ、重要な交易路の中間に位置する町である。多くの旅人や商人が立ち寄るこの町には様々な商店が並び、珍しい品物の取引も盛んだ。さらに、都市を往来する人々のための宿場町としても機能するエリシェには多くの宿屋や食事場も存在し、旅の疲れを癒す施設も充実している。

 オリストティア王国の中心に広がるこの大きな町は、戦略的にも重大な場に位置しており、防衛施設としての役割も担っているとアユハは町の大通りを歩きながら説明した。町の周囲には堅固な防壁が築かれ、町を守るための防衛組織が常駐しているらしい。

 このように王国内でも種々の役割を果たすエリシェの町は、常日頃から賑わいに溢れ、陰りを知らない――はずだった。



「人……まったくいないな」



「アルヴァレスの影響? ……本当に誰もいないけど」



 閑散とした商店街をアユハとリシアの二人だけが歩いている。以前アユハが訪れた際はたくさんの人々で混み合っていた店の多くは、ほとんどが営業を停止していた。人の生活の気配などあったものではない。



「あ、猫」



 店主がなりふり構わず逃げだした痕跡だろうか。店先に放置された食物は傷み、それを野良猫が攫っていく。乾いた風が砂埃を巻き上げながら通りを吹き抜けた。日差しを遮るものがない晴天にも関わらず、どことなく冷たさを帯びた空気が不気味だ。



「……とりあえず華影かえいめい行ってみる?」



「そうだな……こんな状況じゃ町での情報収集は難しそうだ」



 早々に当初の予定を諦め、次の目的地へ移ることにする。華影ノ盟――あの組織ならば、エリシェの異様な静寂の原因も把握していることだろう。石畳の地面を鳴らすたった二つの足音が、店の立ち並ぶ広い道にやけに大きく響き渡った。











 “華影ノ盟”とは、世界各地に拠点を置くケモノ専門の民間組織の名である。“連盟員”と呼ばれる職員を中心に、時には黒獣との戦闘を、時には黒獣からの護衛を、時には黒獣病の調査をと、ありとあらゆる黒獣病にまつわる依頼を遂行する巨大な集団だ。近年の黒獣病の拡大に伴って組織の勢力は増加の一途をたどり、今では民間の要望だけでなく、国家からの依頼にも対処するほどに成長している。したがって、オリストティア王国に三つ目の支部として設立されたエリシェ支部は、北のアルヴァレス支部、南のクレテリス支部に並び、騎士団とともに王国の防衛を担う守護の要であった。



「うわ、こっちは混んでる……!」



「受付もすごい列だ」



 エリシェの繁華街の突き当たりを曲がり、いくつかの民家を通り過ぎた先。大きな木造建築の扉を開くと、複数の丸テーブルの並ぶロビーが二人を出迎える。

 華影ノ盟エリシェ支部――そこは先ほどの閑散とした大通りとは対照的に、街中の人々が集まったかのような盛況ぶりだった。



「少し待つしかないな。こんなに依頼者が多いと手の空いてる連盟員だっていないだろうし」



 支部の受付窓口はどこも人で埋め尽くされている。華影ノ盟には日々ケモノに関連する多様な依頼が集うが、それにしてもこの人の数は尋常でない。

 アルヴァレスの異変後は機能不全を起こす騎士団に代わり、華影ノ盟が周辺地域の防衛の多くを担っていると聞いた。黒獣病が猛威を振るい、国が未曽有の危機に瀕する中で、連盟の存在は人々の心の支えとなっていることだろう。

 この支部の盛況ぶりは国内の黒獣の増加の影響か。それとも、どうしようもない不安を抱えた住人たちが心の拠り所を求めて集っているだけなのか。一見しただけでは、判断もできそうにない。

 普段とは大きく様相の異なる華影ノ盟のロビーを前に、二人はしばらく支部を訪れた人々を観察していた。

 書類の束を抱えた連盟員らしい人物が目の前を通り過ぎていく。ごった返す人々の間を縫うように歩き、ふいに立ち止まって――慌てた素振りで二人のもとに戻ってきた。



「あ、あの! もしかしてアユハ・コールディル様では……!? “冬の騎士”の!」



「ええ、そうですが……」



 突然のことにリシアは目を丸くするが、一方のアユハは平然とした様子で即座に対応する。慣れているのか、感情を出していないだけなのかは分からないが、騎士としての切り替えの早さはいつ見ても舌を巻くものだ。

 そんなリシアの姿は、何やら興奮している連盟員の目には入っていないのだろう。眼前の人物があの“冬の騎士”であると確信するや、分かりやすく目を輝かせてアユハに迫る。――なるほど、そういうことか。リシアは瞬時に全てを理解した。



「よくご無事で……! 自分、数年前に連盟も参加した黒獣掃討作戦で貴方様とご一緒したことがありまして。遠目ではありましたが、お姿を拝見してからというものの――ああいや、失礼いたしました! すみません、興奮してつい……」

 


 気恥ずかしそうに咳払いを一つ挟む。今度は声の調子を落とし、彼は静かに切り出した。



「失礼ながら、エリシェにはどういったご予定で?」



「各地の状況を見て回っています。……アルヴァレスの異変以来、町はいかがですか?」



「実は……その件で少々ご相談したいことが。今、お時間はございますか?」



 挨拶とは一変し、何やら深刻な様子だ。彼のただならぬ様子に、思わずアユハはリシアを確認してしまう。彼女が頷き返すことを確認し、アユハは再び連盟員に向き直った。



「伺いましょう」



「では、落ち着いた部屋にご案内いたします。詳細はエリシェ支部長から」



 連盟員の先導に従い、混雑したエリシェ支部のロビーを抜ける。人々の喧騒から離れた通路には、ひんやりとした空気が満ちていた。










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