26. 騎士と魔術師 (1)
医術院の廊下を歩いていると、裏庭のベンチに腰掛けるリシアの姿を発見した。遠目に確認できるその手には分厚い本が乗っており、読書の真っ最中だと窺える。確かに、今日の陽光は室内に籠るにはもったいないほど穏やかだ。
(魔術師、か。今は無き古代の神秘を使う者……)
離れた場所から彼女の隣に鎮座する杖を眺める。様々な装飾に彩られたそれは静謐のまま煌めき、陽に照らされて鮮やかな光を地面に落としていた。
「なあ、俺と一試合どう?」
「びっ、くりした……アユハか」
気配をわざと消し、彼女の背後から声をかけた。大きく肩を震わせてリシアが振り返る。くつくつと笑うアユハを見る目はどことなく怪訝そうだ。
「試合ね……私に勝ち目ある?」
「それはやってみなきゃ分からない。頼む、リシアの魔術この身で経験してみたいんだ」
「……いいけどさ。こっちもキリいいし」
口の端を吊り上げ、彼女は想像よりもずっと勝気に笑った。傍らに本を置いて立ち上がり、杖を手にして二、三度軽く振ってみせる。
「せっかくなら賭けでもしない? 負けた方が勝った方のお願い一つ聞く」
「いいね。乗った」
「簡単に勝てると思ったら大間違いだからね」
彼女が何を考えてその提案をしているのかは不明である。しかし、彼女との手合わせが叶うのならば、アユハはどんな条件を突きつけられても二つ返事で承諾しただろう。とにかく今はリシアが見せた特異な術を体感してみたくてたまらない。
そして、それはリシアにも言えたことであった。骨の髄にまで染みついた学者魂が、目の前の“伝説”によって呼び起こされる。
「冥姫使ってくれるよね?」
「木剣のつもりでいたんだけど……危なくない?」
「君なら加減できるでしょ。私だって冥姫見たい」
「いいけど……」
困惑するアユハをよそに、リシアは彼から距離を取った。さすがにこの距離で始めたら勝負は一瞬で決してしまう。アユハの剣の間合いからは外れるように移動し、できる限り自分の空間を確保したい。術の発動まで数秒もかからないが、その極わずかな時間で彼が優位に立ち得る可能性は十二分にあると知っていた。
「もうすぐ鐘が鳴るはず。鳴った瞬間に始めましょう」
目を閉じ、息を吐く。開いたその先にいる色の薄い瞳が、最強のソレに変わる。どこまでも冷徹な冬のような目を前に、リシアは背が粟立つのを感じた。
自分を敵だと定めた容赦のない双眸がリシアを射抜く。冥姫を携えた隠しきれない強者の様相。冬の騎士が眼前に立ちはだかる。
無意識のうちに引き寄せられていた視線に気付き、リシアは意図して空を仰いだ。
「……勝つ」
澄んだ鐘がアルストロメアに響き渡る。同時に地を蹴る剣士が、即座に間合いを詰めていた。
剣と魔術の乱れる戦いは拮抗状態にあった。互いの出方を推し量り、牽制し合う二人に息をつく間はない。
激しく繰り返される攻防。魔の刃に衝突した剣が哭く。鋭い衝撃音は庭中に響き、それはさながら戦場の中心地のようだ。第一線で生きてきた剣聖の猛襲を、リシアは紙一重で捌いている。
しかし、彼の実力がこの程度ではないことを彼女は自らの目で見ていた。その証拠に、アユハの剣を操る速度が少しずつ、しかし確実に増している。
(まだ速くなる……でも、追えないわけじゃない!)
食らいつくリシアに先手を打ったのはアユハだった。彼女の放った魔弾を正面で受け、力を分散させて弾き返す。霧散した魔術と冥姫からの強風による目くらまし。視野の狭まったリシアの耳に、剣士の駆ける音が聞こえた。がら空きの頭部を狙った上段の薙ぎ払い。届く前に魔術の壁を張って受け止める。
しかし、彼は回避されることすらも織り込み済みであったらしい。すぐさま翻された剣が続けざまに彼女を襲う。何とか杖で受けきり、後方に退避することで間一髪の窮地を脱した。冥姫の放つ冷気が追い風となってリシアに吹き付ける。
「……その杖」
「ッ、はっ……」
「術を安定させるために使ってる? それとも威力の調節? リシアほどの使い手だったら杖なんかなくても魔術使えるだろ」
唐突に間合いを詰めるアユハに、牽制のための大きな魔塊の三連射。案の定、彼は二つを左右に避け、最後の一手は正面から真っ二つだ。
しかし、これが当たるとはさすがのリシアも思っていない。アユハが術の回避に専念しているその隙に、彼女は次の術を練り上げる。
「全部正解……ッ。でも、杖なしだと死の魔術しかまともに使えないの」
「死の魔術
「杖を介せば純粋な魔力だけの魔術を作れる――“死”の概念を私の意志で付けたり消したりできるってこと!」
「……すごいな。そこまで自在か」
魔術の嵐を掻い潜って届いた剣士の一閃。決定打にする気はないらしく、彼の攻めはリシアの行動を止めるまでには及ばない。
――転じて、アユハの攻撃が静かになった。緩急の激しい不規則な攻め方に、リシアは翻弄されてばかりだ。それが何だか無性に悔しくて、余裕などないにも関わらず彼女は言葉を投げかける。
「アユハさ、“太陽の書”ってどんなことが書かれてるか知ってる?」
「いや、知らないな」
リシアの杖から刃が迸る。飛距離が伸びるにつれて横に広がっていくソレを、アユハは迷うことなく一刀両断した。粉々にされた魔力の残滓が太陽の光を浴びて白銀に煌めく。
「“遠く、果てへと歩む神の子たちへ。これが、最後の祝福とならんことを”」
「最後の、祝福……」
「あくまで黙示録は物語だけど……黒獣病の発生を預言したような描写がある本に、そんな意味深な一節を書かれたら確かめてみたくもなる。例えば……オリストティアの“月の祝祭”とか」
「まさか、リシアがオリストティアに来たのって……!」
「月の女神イリューナが降り立ったとされる台地で行う、祝福の儀式。あれって具体的にどういうことするの? 王女様お付きの騎士なら、一般人は入れない月の台地にも行ったことあるでしょう?」
「ああ。……オリストティアでは、王家に生まれる魔術師は月の女神イリューナの子孫であると言われている。だから年に一度、王家の魔術師は国の平和と繁栄を願って女神に祈りを捧げるんだ」
「なるほど……月の女神が降り立った逸話を持つ台地、そして、“祝福”を乞う古い儀式――ただの期待だけど、何かあるんじゃないかって思ってた。調べようとオリストティアに来た矢先に
彼の足を魔術の風で薙ぎ払う。軽々と飛んで避け、リシアの脳天目掛けてアユハが冥姫を振り下ろした。杖で受け止め、あまりの重さに一歩よろめく。しかし、この一撃すらも彼の本気ではないのだろう。冬の騎士の渾身の一手を、剣士ですらないただの魔術師が正面から止められるはずもない。
「月の台地に入れなくても?」
「諦める理由にならないよ。調べる方法は一つじゃない」
「その通りだ」
のらりくらりとリシアの技を避けながら分析を続ける彼の足元に向け、先ほどから作り上げていた術を放った。霜のように広がる死の地は、彼の行動範囲を狭めるだろう。冥姫とリシアの魔力の相性が良いのか、術の広がりがいつもより速い。
あわよくば彼の足止めもできるのではないかと。抱いていた淡い期待は、しかし当然のように叶わない。
「ところでさ、なんでそんな余裕なわけ……!?」
コレは、触れたそばから命を奪う死の魔術。もちろん本気の呪を籠めているわけでないが、普通はもう少し怯むものではないだろうか。予想に反して、彼はあまりに落ち着き払って対処しているような気がするけれど。
しかし、リシアとて黙って負けるわけにはいかない。掻き立てられた闘争心が、込める魔力に拍車をかける。
「――さすがにこれは君でも……!」
「!」
地面に打ちつけられた杖から溢れ出すは、古の神秘。それは冷たく、暗く、深い海。呼び起こされた小さな大海がアユハを襲う。
月を飲み込み、唸りをあげて。押し返す波が、リシアの足元に帰ってきた。
「やば……ちょっとやりすぎたかも……」
「ホントにね。巻き込まれたらどうなる?」
「!?」
馴染んだ声が頭上から降ってきた。反射的に振り返れば、裏庭に生えた木の上からアユハの姿が覗いている。彼は間髪入れずに飛び降りると、勢いそのままに剣を振り下ろした。
「な、んっでアレを避けるかな……!」
不規則なリズムを刻む剣舞がリシアを襲う。持ち得る
(あ……楽しそう……)
感情を削ぎ落とした彼の横顔には、乱れのない気迫が滲んでいた。地面を蹴るその足音は軽やかで、剣と杖のぶつかり合う音ですら彼の舞を引き立てる。
空気を掴んでふわりふわりと宙を行き交うその姿は、紛れもなく空に昇る冬の月だった。痛いほどに冷たい空気が、夜の
「君、間違っても敵に回したくないね!」
体勢を整えるために間合いを取る。リシアの数歩後ろは医術院の壁だ。追い込まれている状態ではあるが、まだ策はある。
(たぶん踏み込んでくる。私が先手を取ればアユハは絶対にかわすから……そこを追い詰める!)
予測通り、確保した距離をアユハは一息で詰めてきた。備えた通りに彼の目元に向けて魔弾を繰り出す。即座に反応した彼は刃を滑らせながら一撃を押さえつけ、ベンチを台に高く跳躍した。
「その動きはもう知ってる! もらった!」
圧縮された複数の小さな礫がアユハ目掛けて一直線に飛んでいく。その間を縫いながら、伸びた影が頭上を過ぎた。リシアは着地点を予想し、仕留めるために狙いを澄ませる。――しかし。
「あげないよ」
逆光の中、鋭く光る銀光。重力に従い落ちるはずだった影が、急激な方向転換を行った。リシアの誘導を見抜いたアユハが、壁を蹴って元の位置に着地する。リシアの対応を待たず、彼は地を蹴り彼女の首筋に冥姫を突き立てた。それは、瞬きの間に起きた出来事である。
「……ちゃんと人の動きしようよ……」
「凄いな、リシアの魔術。詰めても引いても攻撃が飛んでくる」
剣をおろしたアユハから満足そうな微笑みが向けられる。既に鋭い覇気はどこにもない。先刻とは正反対の表情を浮かべる相手を前に、まるで幻にでも包まれたような気分だった。
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