11. 終わりの始まり (1)






 アルストロメアは小さな町だった。王国騎士団は駐留せず、自警団だけで町の防衛が成り立っている。王都アルヴァレスとレフィルブラン砦の中間に位置する利便性の高い場所にしては人の往来が少なく、栄えているとは言い難い。簡素な防壁に囲まれた町内には小さな宿や商店が立ち並び、人が住む家というよりも商業的な施設が多く集まっている印象を受けた。



「そりゃそうだよ。この町、ウチの爺ちゃんが子どもの頃はヤエーチだったらしいし」



 雑談の流れで子どもたちに町を見た感想を零すと、その理由はあっさりと判明した。



「野営地?」



「昔は王都とか砦に行く人たちの休憩地だったんだよ。そのうち、そういう人たち相手に商売するような人が住むようになって、町ができたんだって。ウチの医術院もそれが始まりらしい」



 二人の少年の話に、リシアはふぅんと頷いた。アルヴァレスの混乱に巻き込まれ急遽アルストロメアにやってきた彼女は、この町に関する情報を一切持たない。想定外の事態により行先の変更を余儀なくされるのは旅の醍醐味でもあるが、それにしても今回の“想定外”には困り果てているところである。



「アルストロメアに医術院があってよかったよな。じゃなきゃ……ここに来た人みんな死んでた」



「そうだね……」



 現在、アルストロメアには普段からでは考えられないほどの人々で溢れ返っている。アルヴァレスの変異に伴い、王都から避難してきた人々がこの町に逃げ込んだようだった。中でもこの小さな医術院は傷病者で溢れ返り、当然の如く病床は足りず、町の広場に仮設の医術院まで設置しているような状況である。



「てか姉ちゃん、デッカい地図広げて何してんの?」



「次の行き先をね……王都はあんな状態だし、行く当てなくなっちゃって」



 開いた窓から吹き込む風が医術院の受付を通り抜けていく。しかし、換気を繰り返しても拭い去れない独特な鉄の臭いは、院内の至る所に染み付いているらしい。アルヴァレスの惨劇を彷彿とさせる香りは、彼女の脳裏にあの王都の光景を鮮明に蘇らせた。



「ふーん……それよりさ! オレたち姉ちゃんの話聞きに来たんだよ」



「今日はなんの話してくれんの?」



 彼女がアルストロメアを訪れてから、今日で一週間が経とうとしていた。王都からの避難民でごった返す町の医術院では、連日患者を大量に抱えた医術師たちが駆けずり回り、昼も夜もあったものではない。

 そして、突然の非日常に見舞われたのは大人だけではなく、医術師を両親に持つこの兄弟も同じだった。彼女は医術院に出入りする一人として、礼の代わりにこの少年たちの話し相手をする日々を送っている。の状態が落ち着くまで、この生活は続くことだろう。リシアは医術師ではないが、最初に治癒を施した者の責任はある。



「私、歴史の話しかできないよ?」



「面白けりゃなんでもいいよ」



「面白いかは分かんないなぁ」



「まあ大丈夫、どんな話?」



 簡素な言葉とは裏腹に、少年たちは嬉々とした様子で彼女の前に椅子を運んできた。机を挟んで並ぶ彼らは、興味津々に地図を覗き込んでいる。



「“終末大戦”って知ってる?」



「世界中が戦争してたってヤツ?」



「そう」



 彼女は机に置かれていたカップを口に近付ける。中身は通りがかりの医術師が分けてくれたハーブティーだ。



「今から250年前……大樹歴5450年、かな。オリストティアから北東の大陸で争いが始まった。当時、世界の中心だった魔術大国ユノリアと、ユノリア領で暮らしていたヴィシュヴェルデ族っていう二つの勢力の衝突」



 彼女の指先が地図をなぞる。



「きっかけはヴィシュヴェルデ族による反乱。ヴィシュヴェルデ族は長年ユノリア王国を自分たちの国にしようと活動を続けていたの。王国内において、ユノリア族に対する反乱自体は特別珍しいものでもなかったんだけど……その戦いは、今までとは比べ物にならないほど大きくなっていった」



 目的もなく地図を彷徨っていた彼女の指が、の上で止まる。その見覚えのある国名は、少年らが生まれる遥か昔――このアルストロメアが誕生するよりも前から地図に載るものである。



「ユノリアの大魔術戦線って聞いたことある?」



「すごい数のユノリアの魔術師がヴィシュヴェルデを攻めたってやつ?」



「戦争の初期、王国は大魔術戦線によって優位に立った。戦争もすぐに終わるだろうって言われたけど……実際はそうならなかったんだ」



 三人の隣を包帯を抱えた医術師が通り過ぎていく。動きに沿って空気の流れが変わった。ツンとした薬品特有の香りが鼻腔を掠めていく。



「ヴィシュヴェルデ軍はユノリア王国を数で圧倒した。戦いはズルズルと長引いて……次第に、世界中が戦場に変わっていった。ユノリア派とヴィシュヴェルデ派に分かれた世界はそれから50年もの間、戦いを続けていくことになる」



 少年たちの表情が驚きとともに曇る。生まれてから過ごしてきた日々の倍以上もある“50年”という年月は、彼らにとってあまりにも長い。

 リシアの視線が少年たちから離れ、その奥の窓に移る。“あの日”以来、外は薄暗い曇天の日々が続いていた。それはまるで、今のオリストティア王国の不透明な現状を表しているかのようだ。



「反乱軍の抵抗により戦況は少しずつヴィシュヴェルデ優勢に傾いて――大樹歴5500年。戦争はヴィシュヴェルデ軍がユノリア領を制圧する形で終結した。勝利した軍は“ヴィシュヴェルデ帝国”を築き上げ、ユノリア王国は帝国に吸収される形で今に至る」



 ――ヴィシュヴェルデ帝国の上に止まっていた彼女の指が、軽く地図を叩いた。



「ユノリア領を併合した帝国はその後も勢力を拡大し続け……やがて北の大陸を支配する大国となった。今の時代、帝国はどの国よりも強大なチカラを持っている。“終焉から最も遠い国”――そう呼ばれる理由にも頷けるね」


 

「今のヴィシュヴェルデ帝国ってどんな国なの?」



「分からないの」



「……分からない?」



「黒獣病が流行りだした途端、帝国は国を囲む巨大な防壁を作って他国との国交を絶った。今も国に入るには許可証が必要で……帝国の実態は誰も知らないんだよ」



 地図の上部に鎮座する“ヴィシュヴェルデ”の文字を、少年たちは不満そうに眺めた。その様子を見守りながら彼女は一息つくと、そのまま話を続けていく。

 


「戦争が終わって、世界には50年ぶりに平和の時代がやってきたように思えた。でも、そんな時代も長くは続かない。その原因となったのが……」



「黒獣病……!」



「そう。どこからともなく流行り始めた黒獣病は、戦後の荒れた世界で猛威を振るい始める」



 黒獣病――黒獣の発する瘴気を吸い込むことで体が黒化し、黒獣に成る病。罹患者に付けられた名称は様々だが、一般には“ケモノ”や“黒獣”と呼ぶことが多い。それは、会話を覚えたての子どもですら流暢に発音するような、あまりにも生活に染みついた言葉だった。

 黒獣は人間はもちろん、犬も、鳥も――植物でさえ、生物ならば誰でも成る可能性を持つ。大量の瘴気を吸うことで黒獣に成れば最後、何かを考える知能や理性を失い、代わりに凶暴なチカラを得る病だった。



「黒獣病ってそんな昔からあるんだ……知らなかった」



「黒獣病が世界中で発生し始めると、世界の様子はまた変わって……“魔女狩りの時代”が到来したの」



 彼女の声が一回り低くなる。不穏な空気を察し、兄弟は揃って息を呑んだ。



「当初、黒獣病の原因は戦争で大量に使われた“魔力”による大地の汚染だって言われたんだよ。……黒獣病を『戦争と魔術のせい』とした世界は何をしたと思う?」



「えっと……」



 少年たちは顔を見合わせ、言い辛そうに言葉を詰まらせる。彼女はその様子に、彼らが“正解”にたどり着いていることを察して話を続けた。



「“全てを魔術師のせいにした”。戦争が大きくなったのも、世界が壊れたのも、魔術師のせい。魔術師が戦争を悪化させなければ黒獣病は生まれなかった。世界を守るために……



 それは、戦争の中心であったユノリア王国が歴史の中に消え、ヴィシュヴェルデ帝国が既に壁の内に納まった後の話だった。最も非難されるべき存在が手に届かなくなったことにより、人々の憎しみの矛先は身近にいた“魔術師”に向けられたのだ。

 始まりは、心無いの一言。しかし、その一言はあまりにも強大なチカラを持ち、不安定な世界に波及していく。



「そうやって始まったのが“魔術師狩り”の時代。謂れの無い罪を着せられ、無実の魔術師たちが迫害されて命を奪われた。戦争の中心となった北の大陸では特に“狩り”が酷くて――生まれたばかりの子どもですら、魔術を使えると分かれば殺される。そんな時代がしばらく続いて……200年前、あれほど世界の発展のために重宝されていた魔術師はあっという間に淘汰された」



 魔術師が排除されたことで、魔力を利用した技術も衰退した。富と権力を求めて開発され、終末大戦の中心戦力であった魔力技術は瞬く間に姿を消し、今は過去の遺物となっている。

 人は、より利便な明日を求めてあの大戦を無責任に拡大したのではなかったか。真逆の終着の果てに、その技術を腐らせて何がしたかったのだろう。

 それは、ほんの200年前の話。今よりも遥かに優れた技術が栄え、不自由などなかったはずの豊かな時代。とても地続きの世界線だとは思えないほど醜さに満ち溢れた過去の争いは、人間の愚かさの象徴であった。









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