2. 白昼の悪魔






 アルヴァレス城第2会議室。訓練場から一直線に駆けつけたその部屋の扉は開け放たれていた。忙しなく飛び出していく騎士たちと入れ替わりで、アユハは会議室に駆け込む。



「ティエラ様!」



 主の名を呼びながら部屋に入ると、複数の視線がアユハに集中した。その中の一人が、険しい表情で彼に尋ねる。



「コールディル! 何がどうなっている!?」



 月の定例会議が行われていたはずのそこには、オリストティア王国の重鎮たちが顔を揃えていた。室内は普段にも増して物々しい空気に満ちている。



「アユハ」



 そんな錚々そうそうたる顔ぶれの代表――オリストティア王国の王女が、落ち着き払った声で彼の名を呼んだ。姿を見つけるや足早に自身のもとへと向かってくるアユハを待ちながら、彼女は話を続ける。



「状況は」



「中央時計台付近にケモノです。直に1番隊のヒルデンローグが報告に参ります」



 会議室は大量の人で溢れ、混雑している状況だった。報告に訪れる騎士、伝令に走る騎士。様々な立場にある者たちがこの場に集うのは、主に彼女からの指示を仰ぐためである。

 次から次へと人が流れ込んでくる状況下で、アユハに遅れて見知った騎士が部屋に飛び込んできた。――クライドの大柄な体格はこういう時によく目立つ。



「1番隊より報告! アルヴァレス中央時計台にケモノの群れを確認。さらに東区、南区にも群れ発生との情報あり! その数、数百に上る可能性!」



「数百!?」



「王都の同時襲撃だと!?  外壁の衛兵は何をしている!」



「それが……外壁付近でケモノは発生していないそうで……」



「どういう意味だ」



 すかさず聞き返したのは一連の報告を聞いていたアユハだった。いつの間にか室内での会話は声が潜められ、場に居合わせた全員がクライドの報告に耳を傾けている。



「詳細は不明。しかし、ケモノが外壁を突破したというわけではないようです」



「王都にとでも言うのか」



 二人のやり取りに会議室はざわついた。不穏な空気の中、アユハは王女を振り返る。



「ティエラ様」



 1番隊からの報告を聞き、場は混乱を重ねた。そして、繰り広げられた騎士たちの会話の中で、人々は事の異常さに気付き始める。

 多数の衛兵が目を光らせる王都の外壁を突破し、突如、街の中心地にケモノが姿を現わすなどありえない。



「ティエラ殿下」



 白昼の王都におけるケモノの同時多発襲撃。ケモノが発する瘴気は瞬く間に広がり、“黒獣病”が猛威を振るう。直接目にしたわけではないが、現在のアルヴァレスの混乱は火を見るよりも明らかだ。対処を急がなければ、やがて病は王都中に蔓延し、アルヴァレスはケモノの街となるだろう。とてもではないが、王都に派遣されている巡回兵だけで対処しきれる敵の数ではない。

 王女は無表情のままクライドの報告を聞き届けると、矢継ぎ早に指示を出し始めた。



「ヒルデンローグ。貴方たち1番隊はすぐに南区へ出動。2番隊には東区の担当を伝達。人々はアルヴァレス城に避難を」



「承知」



「そこの貴方。国王軍のもとで待機し、あちらの動きを逐一こちらに報せてください。報告には伝令鳥を使うように」



「かしこまりました」



 ティエラから飛び交う指示を受け、集まった騎士たちが散っていく。その様子を見届けることもなく、彼女は自分の従者に視線を合わせた。



「アユハは私の補佐を。戦況次第であなたを前線に送ります」



「はい」



 会議室は瞬く間に前線を支える司令室へと変貌した。次々と王都中から送られてくる伝令をさばきながら、アユハは王女ティエラとともに到着する騎士たちの報告を聞き続ける。

 目の回るような混乱の中、一瞬の隙をついて城下の様子を確認しようと顔を上げる。――会議室に転がり込んできた騎士と目が合った。

 彼はアユハを見つけると縋るように凝視するや、呼吸を荒げて叫ぶ。



「ほ、報告……!」



「落ち着いてから」



 アユハの忠告が飛んだ。はっとして佇まいを整えた騎士は、険しい顔をそのままに続ける。



「アルヴァレス城門にけ、ケモノの群れです……! 5番隊が交戦中!」



「なんだって!?」



「規模は!」



「時計台と同等かそれ以上……!」



 ――数百にも上るケモノの群れが、この足元に迫る。高い防壁と数多の兵が守る難攻不落の都市を、得体の知れない病が、得体の知れない方法でアルヴァレスを蹂躙していた。騎士からの信じ難い報告に空気が凍ったのも一瞬、すぐに会議室には人々の悲鳴と嘆きが渦巻く。



「静かに!」

 


 騒がしい室内にティエラの鋭い声が走った。よく響く声は僅かに緊張を含み、隣に控えるアユハにまでひしひしと伝わる。しかし、たった一つの号令で静まり返った会議室の中、王女の言葉はいつもと変わらない。

 この混沌とした時代、暗い戦場の中心で、いつでもその声だけをアユハは導にしてきた。今日も、明日も、それだけは不変で揺るがない。



「避難してきた民は交戦区域から離れるように誘導。城の防衛には残っている全ての隊を当たらせてください」



「は、はい!」



「跳ね橋を作動させます。10分後に起動、ケモノの侵入を食い止めます」



「はっ!」



「皆、己の役目を全うするのです。自分は守護者であるという自覚を」



 淀みない指示を受け、騎士たちは慌ただしく散会していく。ティエラの号令は乱れた士気を整えるのに十分な効果を発揮したようだ。このような未曽有の危機だからこそ、彼女の常と変わらない冷静な姿は、見ている者の心に幾ばくかの余裕を生み出す。

 自らの指令を受けてそれぞれの役目に奔走する騎士たちを横に、彼女は後ろに控える従者をもう一度呼んだ。



「アユハ」



「私はティエラ様とともに」

 


「……分かりました。私は限界までここに残ります。あなたが私を守りなさい」



「当然です」



 遠くで何かが爆ぜる音が聞こえた。誘導されるように今度こそ城下の様子を確認すれば、真っ黒な瘴気が地上を覆う最悪な景色だけが見える。美しいアルヴァレスの街並みは見る影もなく、至る所から薄汚い硝煙が上がっていた。



(雲行き……怪しくなってきたな)



 クライドの言っていた天気予報は大当たりらしい。どんよりと今にも降り出しそうな分厚い雲が空を覆う。

 天の味方は期待するだけ無駄なようだった。










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