第6話

摘まんだ髪から視線をずらして見上げたレグラス様は、何だか懐かしそうに目を細めて、優しく僕の髪をゆるゆると梳いている。


「髪も随分伸びている。後で整えよう。ん……魔力の質がだいぶ変わった?感知しにくい……」


独りごちるように呟く。

何かを確かめるようなその様子に、僕は何故か声を掛けることが躊躇われて視線を逸らしてしまった。

どのくらいそうしていたのか………。

満足するまで髪を弄っていたレグラス様は、クッションに首を預けていた僕の肩を抱きゆっくり抱き起こすと、肌触りが凄く良いふわふわのタオルで丁寧に丁寧に髪を拭き始めた。

ぽんぽんと手で挟むように拭う手付きは慣れているようで、僕はぱちくりと瞬く。


「どうした?」


じっと手を見ていたら、視線に気付いたのかレグラス様が僕を覗き込んできた。僕が言いたいことには気付いてるみたいで、その瞳には面白がるような光が揺らめいている。


「ラジェス帝国では、客の世話を当主がするのって普通なんですか?」

「普通、ではないな」

「普通じゃない……」


じゃ何で?と視線を逸らさずに見つめていると、彼はほんの僅かに微笑んでみせた。


「猫は緊張した時や不安を感じる時グルーミングするだろう?君も初めての場所で緊張していると思ってね。私がその緊張を溶きほぐしてあげたかったんだ」

「……ありがとうございます」


正確にいうなら、僕は猫獣人であって猫じゃない。

だからグルーミングで、緊張が取れるかって言われると…………。


「髪を洗っている間、ずっとごろごろ喉が鳴っていた。凄く可愛かった……」


……知らない間に凄く緊張、取れてたらしい…………。

素直過ぎる僕の喉のばか!

レグラス様は反芻して楽しんでいるみたい。そんなに甘やかに目を細めないでください…………。もう………。

ぱっと視線を外し正面を向くと、恥ずかしくて肩までとぷんと湯に浸かってしまった。


暫く恥ずかしさを宥めつつ温かなお湯を楽しんでいたんだけど、慣れないお風呂のせいかちょっと頭がクラクラし始めた。

ふわふわと、右に左に頭が揺れる。

様子が可怪しい僕に気付いたのか、レグラス様が眉を顰めて僕の顔を覗き込んできた。


「のぼせたか?」

「ふえ………?」


ちょっとだけ思考がぼんやりと霞む。

これが「のぼせた」ってこと?

僕は右腕をお湯から持ち上げて、髪を掻き上げ額に手を当てた。

ーーーーその時!


「…………っ」


今まで優しい雰囲気だったレグラス様が、突然その腕を掴んでグイっと持ち上げたんだ。

その予想もしていなかった行動にぼんやりと霞んだ頭のまま彼を見ると、凄く険しい表情で僕の右腕を睨みつけていた。


「ーーレグラス、様?」

「感知できる魔力が変だと思ったら、そういう事か!」


その言葉に一瞬で頭が冷えた僕は、サァっと一気に青褪めた。待って。まさかレグラス様には………。


「誰がこれを付けた!?」


アイスブルーの瞳は僕の右腕から離れない。その視線の先には右の二の腕を飾る、くすんだ金色のアームバングルがあった。

咄嗟に彼の手を払い除けると、左手でそのアームバングルを隠すように覆う。

何で!?これは今は使われていない古代魔法を刻んだアーティファクトだ。呪具の一種で、装着して魔術が作動している限り誰の目にも見えないはずなのに!!


「フェアル、言え!誰だ!」


もう一度伸びてきた手にぐっと肩を強く掴まれて、痛みに顔が歪んだ。

誰が僕に呪具を付けたかって?

そんなの………。

キツく唇を噛み締めていると、レグラス様は苦しげに顔を歪め僕の腕を掴んだまま鋭い声を上げた。


「サグ!ソル!」

「ここに」

「ご用命を」


レグラス様が呼んだのはどうやら従者の名前らしい。

見た目がそっくりな二人の男性が音も立てずに現れ、床に跪いていた。彼らを振り返る事もなく、端的に命令を下す。


「ダレンを呼んでこい!」

「「御意」」


短く返事を返すと、すっとその姿は消えてしまう。

僕は何が起きたのか分からなくて、ブルッと身震いをしながらそのさまを見ていた。

レグラス様はアイスブルーの瞳を冷たく光らせバングルを睨んでいたけど、ふとぼくの顔を見ると厳しい顔を幾分か和らげた。

そして掴んでいた腕を引いて立ち上がらせると、湯槽から出してふわふわの大きな白いタオルで僕の身体を包みこんだ。


「ーー急に大きな声を出して済まなかった」


表情はまだ厳しかったけど声には気遣うような響きがある。

何と言葉を返したらいいのか分からなくて黙って俯いていると、レグラス様は身を屈めて僕の顔を覗き込み、その綺麗な瞳で真っ直ぐ見つめてきた。


「それはアーティファクトだ。古代魔法を刻んでいる物は、使用者の……君の命を動力に作動する、とても危険なものだ」


噛んで含める様に告げる彼は、心の底から僕の事を心配しているように見える。


「誰が何の目的で付けたのかは知らないが、君の命が削られてしまう。早急に外そう」


「…………」


その言葉に僕は一度口を開いて、そして何も言えずに再び閉じた。

ふるふると首を振ると、髪から滴る水滴がポタポタと床に飛び散る。


「フェアル、まだ出逢ったばかりの私だが、どうか信じてくれ。……それとも何か外せない理由があるのか?」


真っ直ぐな眼差し、真摯な態度、労る声。

寧ろ出逢ったばかりの僕に、何故レグラス様はこうも優しくしてくれるんだろう。

でも、コレは外してはダメ。

そう言い付けられたのもあるけど、外したら大変な事になってしまうから。

親切にしてくれたこの人に迷惑をかけたくない。


もう一度ふるっと首を振ると、少し何かを考えていたレグラス様はそっと手を伸ばし、その掌で僕の頬を包んだ。長身の彼の掌は、僕の顔半分をすっぽり覆ってしまうくらい大きい。


「……フェアル。私を見て」


さっきの厳しい声とは違う、低く静かな声。恐る恐る視線を動かすと、バチッとアイスブルーの瞳と視線が絡み合った。


「………え……?」


何かが僕の身体に侵入して支配する感覚が湧き上がる。

ーー何が起きて……。

恐ろしくてレグラス様から離れようと思うのに、身体はピクリとも動かない。

ーー何で………?

何が起きているのかサッパリ分からない。

内心で恐慌状態になっている僕に、レグラス様はゆるりと囁いた。


「君の魔力を貰うぞ」


その言葉と共に、僕の頬を覆っていた掌が移動して両目を隠す。

「え?」っと思った瞬間、唇に柔らかなモノが触れた。温かくて、柔らかくて、しっとりと湿った…………。

考えられたのは、そこまでだった。

まるで嵐の様に荒々しく、レグラス様の舌が僕の口腔を犯し始めたんだ。

その口吻は僕から完全に思考を奪う。今まで感じたことのないゾクゾクするような、お腹の奥がキュッとなるような刺激を叩き付けるように与えてきた。

その形容しがたい感覚に、僕はどうしょうもなくて、堪えきれずに意識を手放してしまった。

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