第5話

「ん、顔色は問題ないようだな」


うっかり喉をならしてしまった恥ずかしさからカッカと顔が熱い。その顔を見下ろしてレグラス様は「フム」と頷いた。


「君が熱を出して寝込んでいる間、身体を拭くことしかできなかったからな。気分が悪くないなら湯あみをするといい。サッパリする」

「湯あみ………、お湯を使わせて頂けるんですか?」


思わずレグラス様を見上げて問うと、彼は怪訝そうな顔と共に僅かに首を傾げた。


「勿論だ。何故、そんなことを聞く?」


逆にそう質問されてしまうと答え辛い。僕は実家では浴室を使うことができなかったんだ。

アステル王国では、浴槽前に設置されてるパネルに魔力を流してお湯を出すようになっている。僕はとある事情から魔力を外部に出せなくなっていて、パネルに魔力を流すことができないんだ。だから浴室を使うことができない。

アステル王国にも魔力が少ない者や全くない者もいるけど、その人達は家族や仲間、同僚の協力を得て日常生活を送っている。

でも僕の家族は………。

だから僕は毎日、使用人棟の裏手にある井戸の水で身体を清めていた。真冬はとても寒かったけど、少しでも身ぎれいにしておかないと、猫の習性だからか落ち着かなくて。


「え……と。ご存じかもしれませんが、アステル王国はそんなに魔道具が発達していなくて………。魔力がない者が湯を使うのは、えっと………ちょっと大変なんです」

「魔力がない………?」


怪訝そうだった顔は探るようなものに代わり、眉間にもしんなりと皺が寄っていた。

正確に言うなら、魔力がないわけじゃないんだけど………。

僕は俯きながら、すりっと右の二の腕を擦る。

レグラス様は何か物言いたげな雰囲気を醸し出していたけど、敢えて何も言葉にはせず小さく「ふぅ」と息を吐き出した。

その仕草に、僕は恐ろしくなってビクっと肩を揺らす。情けないけど、細くて貧相な尻尾を身体に巻き付けて、小さく小さく縮こまってしまった。


「そう怯えないでくれ。君を怖がらせるのは本意ではない」


すっと手が伸ばされて、僕の顎を掬い上げる。否が応でも視界に飛び込んできたレグラス様は、そのキレイなアイスブルーの瞳で真っ直ぐに僕を見つめていた。


「いいか、君が私の保護を受けナイト公爵に身を置く以上、君の立場は私と同等だ。誰も君を軽んずることはできないし、もし蔑ろにする者がいたら私が徹底的に排除する。だから君が何かに怯える必要はないんだ」


そう言うと、顎の下を長い指で擽るようにスリッと軽く撫でてきた。頭を撫でられる以上に気持ちのいい感覚に、思わず鳴りそうになる喉をぐっと閉めて堪えていると、彼は身を屈めて僕の顔を覗き込んだ。


「ーー分かった?」

「っ、………はい」


何とか返事を返すと、レグラス様は「よし」と頷く。そしてすっと立ち上がり僕の腕をやんわりと引っ張ってくれた。


「では、湯あみに行こう」

「はい」


促されるように立ち上がると、レグラス様に腕を引かれて部屋を後にした。



♡♥♡♥ ♡♥♡♥ ♡♥♡♥



「うわぁ………」


案内された浴室で、僕は思わず大きな声を出してしまっていた。さっき僕が居た寝室よりも更に広い浴室には、これまたタップリと湯が張られた大きな浴槽があった。

埋め込み式の浴槽からは、湯気を放つ湯が惜しみなく流れ出している。


「凄く広いんですね!」


驚いてレグラス様を返ると、彼は片方の口の端を僅かに持ち上げた。


「気に入ったか?君が来るまでに浴室の改装をしておいて良かった。じゃあ、こっちにおいで」

「はい?」


連れて行かれた場所は浴室の端、毛足の長いふかふかなラグが敷いてあり、柔らかそうな生成りのカウチが置いてある所。

側にある小ぢんまりとした硝子のテーブルには、様々な小瓶と清潔なタオルが籐の籠に詰め込まれて置かれている。

どう見ても、貴人が入浴準備をする場所だ。

そうだ、貴族の入浴は従僕が手伝うのが普通なんだ。

そう思い当たった僕は、ふるふると首を振った。


「じ……自分でできます!大丈夫です!レグラス様のお手を煩わせるなんて、非常識なこと……っ」

「十日も寝込んでいた人間を一人で風呂に入らせる方が非常識だと思うが?」


あっさり言い返される。


「じゃ……じゃあせめてレグラス様ではなく、従僕の方を……っ」

「私は狭量でね、君の肌をひと目に晒すのを好まない」

「ええぇぇ…………」


あまりの言い分に言葉をなくす。

僕の肌が何だっていうんだろう……?

確かに僕の身体は傷だらけで、人様に見せれたものじゃないけど。

困惑のままレグラス様を見上げるけど、彼は僕の意見なんて聞くつもりはないようで、くいっとカウチを顎で指し示してみせている。

その、梃子でも動かない様子に僕は諦める事を学んだ。


「え……と……。では宜しくお願いします……」


小さく告げると、彼は満足そうに頷くのだった。





「湯加減はどうだ?」

「凄く気持ちいいです……」


丁度いい湯加減のお風呂に入ってみれば、緊張でガチガチに強張っていた筋肉が解れて大変気持ちがいい。

思わず「ほぅ……」っと息を吐きうっとりと目を細めていると、レグラス様が存外丁寧な手つきで僕の頭を浴槽の縁に乗せた。

その場所にはぷにぷにしたクッションみたいな物がおいてあって、首を痛めることはない。


「?」


何をするんだろう?

見上げると、彼は器用に両手でシュワシュワと泡を立てていた。


「髪を洗うぞ。もし痛かったら言え」

「え………あ、はい」


僕は学んだんだ。

彼には反論したって無駄ってことを!

だから取り敢えず頷いてみせると、彼は掌にこんもりと乗った泡を髪へと移し指先でマッサージするように洗い始めた。

優しい手つきのそれは痛みなんか全く無くて、ただ気持いいだけ。余りの気持ちよさに、思わず目を閉じで堪能してしまっていた。

ーー温かいお風呂も、髪を洗ってもらうのも、初めてだ……。

さっき頭を撫でて貰った時にも思ったけど、人に頭を触れて貰うのって、何でこうも気持ちいいんだろ……。

その初めての心地良い感覚に、ついウトウトとしていたらしい。

気付けば泡は洗い流され、キレイにすすがれていた。


「ああ……、元の綺麗な髪色に戻ったな」


少し嬉しそうな声の響きに、僕は内心で首を傾げた。

ーー髪色が戻った・・・

レクラス様は僕の元の髪色を知っているの?

何故……?


ぱしゃっと湯から腕を出し、伸ばしっぱなしの髪を一房摘んでみる。

くすんだ灰色の髪は丁寧に洗われて、本来の輝く綺麗な銀の色を取り戻していたのだった。

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