第4話
『ごめんなさい……』
哀しそうな声が聞こえてくる。
『貴方を獅子の子として生んであげれなかった母を許して……』
旅装束に身を包み僕をそっと抱きしめてくるのは、もう会うことも叶わなくなった母様だ。
そっか。
これは、夢。母様とのお別れの時の夢だ。
獅子一族の当主の妻として生きてきた母。猫獣人の僕を生んでしまって、その権威は失墜してしまった。
何とか獅子獣人の弟を生むことでその地位に留まる事はできていたけど、弟の離乳を期に僕という失敗作を生み出した責任を取らされ、配下の家門へと下賜されたんだ。
風の噂では母様を受け入れた男性は優しい人物らしく、彼女をとても大事にしてくれているらしい。
ーー僕のせいで母様が不幸にならなくて良かった……。
♡♥♡♥ ♡♥♡♥ ♡♥♡♥
ほんのり幸せな気分のままふわりと意識が浮上し、僕はゆっくりと瞼を開けた。
目に飛び込んできたのは、緻密な彫刻を施された真っ白な天井と、そこに取り付けられたレールから釣り下がるブルーの美しい天蓋カーテン。
「…………?」
ここ、どこだろう?
信じられないくらいにフカフカのベッドと、手触りの良いシーツ、柔らかく上質な上掛けは全て濃淡の付いた上品な青色でまとめられている。
そろりと身体を起こして辺りを見渡したけど人がいる気配はない。
ーーそういえば………。
熱を出して重怠かった身体はスッキリとしていて、不調だったのがウソみたいだ。
それに………。
左の掌に視線を落とす。
そこは傷一つない、つるりとしたキレイな皮膚となっていた。
「治してくれたのかな………?でも人族が?獣人の僕を??」
もし本当にそうなら、人族もそう恐ろしい人達じゃないかもしれない。
あまり楽観視はできないけど、でも幾分か不安は和らいだのは確かだ。
「ほっ」と息を吐き出すと、僕はベッドの端に寄って天蓋カーテンを少しだけ捲ってみた。するとリンリン…と耳に心地いい軽やかな音が響く。
思わず手にしたカーテンを見てみると、カーテンの淵にキラキラと輝く小さく可愛らしい鈴が幾つか縫い付けてあった。
「目が覚めたか」
不意に響いた声に、ビクンと肩が揺れる。ぱっと声の方向に顔を向けると、馬車で僕を抱え上げてくれた男性が佇んでいた。
整った美しい顔は彫刻みたいで、なんの表情も浮かんでいない。
多分偉い人なんだろうけど服装は凄くラフで、白いシャツのボタンは上二つほどが外され、意外に逞しい胸部がチラリと見えている。黒の細身のスラックスも、長い脚を強調するかのようで凄く似合っていた。
ぱちぱちと瞬いたあと、ハッとなった僕は挨拶しなきゃ!と慌ててベッドから降り立った。
でも自分で思っている以上に体力が落ちてしまっていたらしく、膝の力が抜けてぐらりと身体が傾いでしまった。
「あ……っ!」
「っと危ない!」
すっと手が差し伸べられて、彼が素早く僕の身体を支えてくれた。そして、そっと丁寧にベッドに座らせてくれる。
「無理をしてはいけない。君は十日も眠っていたのだからね」
「十日………」
そんなに?
どこの誰とも知れない人に、そんなに長い間ご迷惑をかけていたという事実に思わず青褪める。
「も……申し訳ありません、僕っ」
「謝る必要はない。ああ、まだ名乗っていなかったね。私はレグラス・ナイト。ナイト公爵家の当主だ」
「僕は、フェアル……。フェアル・ネヴィといいます」
慌てて僕も名乗る。
っていうか、公爵家のご当主様!?
そんな偉い人に、僕は迷惑をかけたのか!
思わず身震いしてしまった僕に気付いたのか、公爵様は僅かに口角をあげ微笑みらしき表情を浮かべた。
「そう畏まらないでくれ。私は今回留学してきた君の身元保証人だ。どうかレグラスと呼んで欲しい」
公爵様を名前呼び!?
そんなの無理ですから!!
フルフルと首を振っていると、彼は僕の隣に腰を下ろして伸びすぎた前髪を長い指でそっと持ち上げた。
「君の留学に合わせて、私も臨時講師として学院へ通うんだ。学院では身分問わず平等であれと謳っている。あそこでは教師も名前呼びだ。君も早めに慣れておいた方がいい」
「……本当ですか?」
アステル王国では考えられない常識に、僕はじっと公爵様を見つめた。
ウソをついているようには見えないけど………。
「本当だ。ほら。練習、してごらん」
ふっと笑みを深めて促してくる。黙っていれば冷たいばかりの印象を与えるその美貌が、微笑みを浮かべると何だか妖しい色香を纏っているように感じて、心臓に悪いこと
バクバクと忙しく打つ鼓動を悟られないように、ちょっと俯きながら小さく口を開いてみた。
「レ……レグラス、様」
「上手」
ゆるりと甘やかに目を細めると、彼は躊躇なく僕の額に唇を寄せた。チュッとリップ音が耳に響く。
「え」
思わず顔を上げてレグラス様を凝視すると、彼は至極マジメな表情で首を傾げた。
「どうした?上手にできたことに対して褒めることは当たり前だろう?」
「当たり前?」
褒める言葉はともかくキスも?
「そう、当たり前。私は君の身元保証人なのだから、家族も同然だ。これくらいは普通だろう」
公爵様にそう言いきられてしまうと、疑念を持つこともできなくなる。曖昧に頷いてみせる僕の顔を、彼はアイスブルーの瞳でじっと見つめた。
「熱は下がったが、まだ体調も万全ではないだろう。先ずは身体を整えよう。学院の入学まであと二週間しかないんだ。しっかり食べて、しっかり休むように」
そう言うと大きな掌を僕の頭にポンと乗せて、そのまま頭を撫でてくれた。ピョコンと立つ耳にも指を這わせて、絶妙な力加減でやわやわと揉んでくれる。
ーー僕、頭を撫でて貰うの、初めてだ……。
想像より遥かに心地良い感覚に、思わずごろごろと喉が鳴ってしまい、慌てて喉を抑えてしまった。
ーーは……恥ずかしい……。
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