ホットプレートいっぱいの餃子
「ねぇ、ヤナさん」
「うん? どうした鈴和」
私はチラシを説き込んだまま、読書をしているヤナさんに呼びかける。
「ホットプレートいっぱいの餃子、食べたくない?」
ドタンッ、と背後で何か重いものが落ちた音がした。
「食べたい!」
ヤナさんの顔は見えないけど、どんな表情をしているのかはわかるような気がする。足音が近付いてきて、ヤナさんは私の横に立った。私は首を反らし、ヤナさんと目を合わせる。思った通り、子供のようなわくわく顔だ。
「じゃあ、ヤナさんにも手伝ってもらうからね」
「ああ、任せておけ」
何を手伝わされるのかもわからないままに快諾してくれたヤナさんは、最近気に入って着ているスウェットの袖を捲り上げた。気合たっぷりのところ悪いけど、あなたの出番はまだです。
「買い物に行ってきます」
「豚挽き肉グラム78円は安すぎる……」
お手伝い大好き小学生みたいなヤナさんをひとり家に残して、私はスーパーマーケットに来ていた。精肉売り場には、チラシを見て目を疑った値段の豚挽き肉が確かに置いてある。十時からのタイムサービス、大容量パックでの販売だとしても、あまりに安い。
ホットプレートをいっぱいにできるくらいの餃子。何個ぐらい必要だろう。冷凍しておく分の餃子も作りたいな。ううん……。よし!
挽き肉がたっぷり詰まったパックをニつ、カートに乗せたカゴに入れる。そして、棚の上の方に置いてある餃子の皮コーナーから百枚入りのものを二つ手に取った。
餃子は何度も作ってきたけど、二百個は過去最多だな。でも、今日は一人じゃないし。気合の入ったヤナさんもいるし。
カゴに収められた挽き肉の迫力に怖気づきながらも、野菜売り場へと向かう。後、必要なのはニラと、キャベツか白菜。でも、最後のパン売り場まで見る。スーパーに来たのなら一周、ぐるっと見ないと気が済まないので。
お昼ご飯はうどんでさっと済ませて、いよいよ餃子作りである。
「さあ、鈴和。まずは何をするんだ?」
「まずは、キャベツを切ります」
キャベツの半分をまな板の上にのせる。
「これをみじん切りにします」
「みじん切り……この量をか?」
「包丁で切るのはちょっと大変だから、これを使うよ」
キャベツ半玉を包丁でみじん切りにするのは時間がかかって大変だ。今日は他にも手間のかかる作業が多いから、出来る限り便利な道具に頼っていく。そこで右の品戸棚から取り出したのはフードプロセッサーだ。
「これは?」
「フードプロセッサーっていうの。中に刃が付いてるでしょ。これを電気で回転させて、ここに入れたものを切るの」
「なるほど」
「ちょっと大きい音がするよ」
キャベツをざく切りにして、そのうちの四分の一くらいをフードプロセッサーに入れる。そして蓋をし、上からグッと押えると中の刃が回り、大きな音とともに振動が手に伝わる。
「みじん切りとは、どれくらいも大きさなんだ?」
蓋からゆっくり手を離すと刃の回転が止まり、静かになる。そのタイミングでヤナさんにそう聞かれた。
「あんまり気にした事なかったかも。」
確かに、みじん切りは「細かく」くらいの感覚で、どれくらいの大きさか、なんて考えたことない。
「まぁ、適当だよ。」
フードプロセッサーのおかげであっという間に「適当に細かく」なったキャベツを家で一番大きなボウルに入れる。
「よし、どんどんいくよ」
今ので四分の一くらい。同じ動作をあと三回しなくては。大量のキャベツを全て細かくし終えて、ボウルはいっぱいになった。そこに塩を振る。
「はい、ヤナさん」
「うん?」
「これ、揉んで」
「揉む?」
「うん。水分が出てくるまで」
「わかった」
ヤナさんの大きな手が、ボウルの中でキャベツを掴んではぎゅっと力を入れて、離す。その間にニラを取り出し、小ロ切りにしていく。ショウガは皮を剥いてみじん切りに。そうしているとキュッという音にグシュ、というような水音が
混じり始めた。
「鈴和、これぐらいでどうだろうか」
「うん?……いい感じだね。じゃあ、それ、水切ってここに置いて」
まな板をずらして空いた場所にキッチンペーパーを置き、そこを指差す。ヤナさんは両手でキャベツを握って水を切り、そこに置いてくれる。それを数回繰り返し、最後にボウルの中を手で撫でてキャベツをすっかり掬い取るとそれもぎゅっと絞り、キッチンペーパーの上でひとまとめにしてくれた。
「次はこれをキッチンペーパーごと、ぎゅっと絞って」
「まだ絞るのか?」
「うん。そんなにカいっぱいじゃなくていいから」
「それのほうが難しい気がするんだが……」
「ふふ」
ヤナさんは眉間に皴を寄せて、キッチンペーパーの四隅を持ち上げ巾着のようにする。その体勢のまましばらく迷うと、中着の絞った部分を右手の親指と人差し指で押さえたまま、両手で包み込むようにして力を入れた。すると、指のすき間からじゅわりと水分が溢れてくる。
「これでどうだろうか」
「うん、いいかんじ。じゃあ、こっちに入れて」
ヤナさんがキッチンペーパーの中着を開いて中身を見せてくれる。キャベツは程よく水気が切れていた。それを、ヤナさんが絞る力加減を迷っている間に、軽く水洗いをしてキッチンスケールの上に置いたボウルに戻してもらう。
そして冷蔵庫から、あの挽き肉のパックを二つとも取り出す。効果音を付けるなら、ドンッ!
「かなり多くないか?」
「さすがに全部は使わないよ。」
八割くらいは使うけど。
ボウルの中にまず挽き肉を一パック、木ベラを使って入れる。ニパック目も取り敢えず半分入れ、残りはキッチンスケールの数字を見ながら少しずつ。
「やっぱり多くないか?」
残った挽き肉を冷蔵庫に入れる。後でラップに包んで密封パックに入れて冷凍しよう。
ボウルを覗き込んだヤナさんにつられ、私も同じように覗き込む。
「うん、私もちょっと怖くなってきちゃったかも」
やっぱり二百個は多かったかな。挽き肉があまりにも安かったからって、欲張り過ぎたかな。
「だが、その分沢山食べられるということだろう? それは僥倖じゃないか」
「でも、その分いっぱい包まなきゃいけないんだよ?」
「俺も微力ながら手伝おう。とはいっても、やったことがないからな。邪魔立てすることにならんといいが」
「最初から一緒にやってもらうつもりだったよ……」
「ははは、ならいいじゃないか。手先を使う作業は嫌いじゃない。存分にやってやろう」
ヤナさんの頼もしい言葉と笑顔に後押しされ、ボウルに切っておいたニラとショウガを入れる。そして醤油、酒、砂糖、ごま油も加え、ニンニクもチューブからぎゅっと押し出す。最後に片栗粉を振り入れる。
「ヤナさん、包む前に大仕事。お願いしてもいい?」
「勿論だ。任せてくれ」
「これ、しっかり混ぜてほしい」
「わかった」
ボウルいっぱいになった餃子のタネを木ベラで混ぜるのはとても大変な作業だ。挽き肉やキャベツを混ぜようとするとかなり重たく、更に調味料を満遍なく行き渡らせなくてはいけないので、かなりの重労働。しかし、ヤナさんにとってはそうでもないようだ。ベラをグッと差しこんで下から掬い上げるようにして混ぜていく。腕にカを入れている様子もなく、動作は滑らかだ。
ヤナさんがタネを混ぜてくれている間に、コタツに大きなバット、水を入れた小皿、小さめのスプーンを二つ、最後に餃子の皮を持っていく。二百枚。これだけでもかなり重い。
「鈴和」
「はあい」
コタツの上に置いた餃子の皮と睨み合っていると台所のヤナさんに呼ばれる。
「どうだ?」
「わぁ、すごい速い。....うん、しっかり混ざってる。いいね」
ボウルの中のタネは、ニラの緑が均等に散らばっていた。よし、やるか。
タネがたっぷり入ったボウルをコタツに置き、皮が入った袋を破る。
「とりあえず、ひとつ包んでみるから、見ててね」
「ああ」
腕を伸ばし、ヤナさんが見やすいように手を広げる。
「手のひらに皮をのせて、スプーン一杯分くらいのタネをのせる。指で皮の縁を水で濡らす。半分に折り曲げて包み込む時に片方だけひだを作る。……こんな感じ。どう? なんとなくわかった?」
「手順はわかった。」
「じゃあ、次は一緒にやってみよう」
出来上がった一つ目をバットに入れ、ヤナさんの手に皮を一枚のせる。持ってきておいたもう一本のスプーンも手渡して、自分も左手に皮をのせた。
「タネはどれくらい入れればいいんだ?」
「うーん。私はいっぱい入ってた方が嬉しいから、なるべく多く入れるけど。でも、最初は慣れてないから少なめがいいと思うよ」
「加減が難しいな」
「何個か作ればわかってくるよ」
ヤナさんは少し迷って、私よりちょっとだけ少なくタネを皮にのせた。そして皮の縁を水で濡らした指でなぞる。そして少しもたつきながらもひだを作り、しっかりとタネを包み込んだ。
「え、上手だね。初めてでその仕上りなら才能あるよ」
「師が良いからな。しかし鈴和のものと比べると中身が少ない上に、ひだも無様だ」
「そう? 綺麗にできてると思うけど」
「うぅん……。まぁ、幸い練を重ねるだけの量はある。これらを作り終える頃には、見られる出来になるだろう」
そこからは二人とも、自然と会話も無く包む作業を繰り返した。テレビも付いていない静かな部屋で聞こえるのは、スプーンとボウルが当たる固い音、タネを掬い取る粘り気のある音、指を水に浸す音くらいだ。
もくもくと単純な作業を繰り返していくのは好きだ。ボウルの中のタネが減り、バットが餃子で埋まっていくのも達成感があっていい。ふと、顔を上げてヤナさんを見ると大きな手でちまちまと餃子のひだを作っているのが、なんだかおもしろい。
「うん? なにかおかしいところでもあったか?」
「ううん。なんでもないよ。……あと半分くらいだね。次の皮の袋も開けちゃおう」
「そうだな」
「終わったぁ……」
ついに二百個を作り終えた。あまりの達成感に倒れ込みたくなるが、手が餃子の皮に付いていた粉で真っ白なことを思い出し、踏みとどまる。
タネが入っていたボウル、スプーンは二本、木ベラ、水が入った小皿をシンクに運び、スポンジに洗剤を出す。すると後ろからそのスポンジを奪われる。
「ヤナさん?」
「これらは俺が洗っておこう」
「え、いいよ。ヤナさんも疲れたでしょ。ゆっくりしててよ」
「いい、いい。俺は疲れよりも『餃子を包む』という新たな技能を身につけることができた充足感の方が勝っているからな。」
「でも」
「なら、コーヒーでも飲みたいんだが、用意してくれないか? 俺は鈴和に淹れてもらうコーヒーが一等好きなんだ」
「……豆、挽く?」
「すぐに飲みたいから、そこまでしなくていい。インスタントで頼む」
「それ、誰が淹れても同じ味になるでしょ」
「そんなことはない」
結局、スポンジをヤナさんが握り込んで離してくれなかったので、おとなしくヤカンでお湯を沸かす。マグカップを二つ取り出し、インスタントコーヒーの粉をどちらにもスプーンで二杯ずつ。私の方にだけ砂糖を一杯。ヤナさんが洗い物をし終わるタイミングに合わせたくて、コンロを強火から弱火にした。
「うん、これだ。やっぱり鈴和が淹れたコーヒーは美味いな」
「絶対ヤナさんが作っても変わんないよ……」
綺麗に片付いたコタツにコーヒーを持って二人で入る。コーヒーの香ばしい香りが広がった。
ヤナさんは褒めてくれるが、安物のインスタントコーヒーを沸勝させたお湯で溶かし、スーパーで買った牛乳を少し。変わったところもない、こだわりもない普通のコーヒーだ。
「なぁ、鈴和」
「うん?」
「こんなことを言うと、笑われるかもしれないんだが……」
暖かいマグカップを両手で包み、一口。うん、美味しい。美味しいけれど、普通の味だ。
「ホットプレートいっぱいの餃子、溜まらなく楽しみだ」
「ふふ」
思い詰めたような顔で何を言うのかと思ったら。何だ、そんなこと。大丈夫。
「私も、とっても楽しみ」
そして、夜ご飯の時間になり、コタツの上では餃子を隅まで敷き詰めたホットプレートが置かれている。蓋をされ、水が熱されたじゅうじゅうという音が聞こえるが、蓋は金属性なので中を見ることは出来ない。
「できたか?」
「まだです」
ヤナさんは待ちきれないように左手にご飯が「日本昔話」くらいたっぷり盛られたお茶碗を持ち、右手に箸を構えている。私は、「夜ごはんに餃子だけじゃ……」と思って用意したわかめの中華風スープをテーブルに置く。
「そろそろかな」
「やっとか!」
水が沸騰する音が落ち着いてきたので蓋を開ける。湯気がぶわりと広がり、蓋を持つ手が熱い。中を見ると、餃子の四分の一程まで入れた水がしっかりと無くなっていた。
「これだけ並んでいると、堂々たるものだな。……食べてもいいか?」
「まだです」
「まだなのか!?」
今にも箸を伸ばしそうなヤナさんを手で制し、ごま油を回しかける。ごまの香ばしい香りがとてもそそられる。
「後、二、三分かな。焼き目を付けます」
「なら、二分半だ」
「ふふ、細かい」
ヤナさんの目は、ホットプレートの上でじゅわじゅわ焼かれている餃子と掛け時計を行ったり来たりしている。
「よし、二分半経ったぞ」
「はあい」
箸で餃子を一つ持ち上げ、裏を確認。
「うん、よし。いい感じに焼き目が付いてる」
「なら、食べてもいいな?」
「うん」
「よし」
ヤナさんは持っていたお茶碗とお箸を慌てて置いて、両手を合わせた。ホットプレートの設定を保温にし、私も一緒に両手を合わせる。
いただきます。
「ん、……美味い!」
ヤナさんはホットプレートから餃子を一つ取り、ポン酢を付けて白いご飯の上でワンバウンド。そして、一口で頬張る。私も一つ取り、ポン酢を付け、半分程かじる。熱っ!
「大蒜が丁度良いな。主張は激しくないが、ちゃんと感じる。ごま油の香ばしさも良い」
「焼き目もちゃんとぱりっとしてる」
「ああ、二分半待った甲斐があった」
「ふふ。ヤナさん、待ちきれなくてお箸とお茶碗持ってたよね」
「せっかちが過ぎたな」
ヤナさんが豪快にご飯を掻き込むのを見ながら、私はわかめスープを一口飲む。
「ごはんのおかわり、あるからね」
「それは、ありがたい」
餃子、ご飯。餃子、ご飯。餃子、ご飯、わかめスープ。頬にいっぱい詰め込んでリスみたいになりながら、それを繰り返すヤナさん。いつものことながら、圧倒されるような勢いだ。
ヤナさんは、私の突拍子もない思い付きを、大袈裟なくらい歓迎してくれた。大量の餃子を、一緒に苦労して包んでくれた。片付けもしてくれた。なんでもないコーヒーを喜んでくれた。そして今、向かい合って美味しそうに食事をしてくれている。
「どうした。食べないのか?」
「食べるよ」
あんなにごはんに夢中になっていたのに、私のことも気に掛けてくれる。そんな存在と暮らす。こんな日がまた来るなんて。
「美味しいね」
「ああ。鈴和が作ったものだからな」
「、ふふふ」
明日は何を食べようかな。
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