七福を呼ぶ恵方巻き
一月も、もう終わりそうな寒い夜。湯気がほかほかと上がるお風呂に浸かりながら、ふと思い出した。
ヤナさんが居るのに、豆まきってしてもいいの!?
ヤナさんの見た目は完璧に鬼である。額から突き出た二本の黒い角に浅黒い肌。朱色の瞳と吊り上がった目尻、更にはちょっと尖った耳。八重歯というには立派すぎて、牙と呼んだ方がふさわしいような歯があるし、爪だって鋭い。ヤナさん自身は自分のことを妖怪だと言っていたけど、見た目は本当に、本当に「鬼」なのだ。
「とりあえず、一度調べてみよう」と、お風呂場に持ち込んだスマホで検索をする。まずは「豆まきとは」。アプリを開いて検索ボックスに入力。一番上に表示されたサイトを開いてみる。
……「室町時代から行われていた」、「古代中国から伝わった『追健』という行事が元となった」、「鬼に豆をぶつけて追い払う行事」。これ、やっぱり駄目なんじゃない? 家に住んでるヤナさんを追い出すような行事なんじゃない?
ヤナさんを追い出すのつもりはない、というか断固お断りなので、豆まきは諦めることにした。しかし、せっかくの季節のイベントなので何かしたい。次は「恵方巻とは」を検索ボックスに入れてみる。
……え、一九八九年にセブンが最初に広島県で売り出したのが最初なの?「恵方巻」の名前が付いたのもその時?思ったより最近の文化なんだなあ。物心ついたときから食べてたから、もっと昔からある風習だと思ってた。
「現在では『節分の夜に、恵方に向って願い事を思い浮かべながら丸かじりし、言葉を発せずに最後まで食べきると願い事がかなう』とされる」全部ウィキペディア参照。これならヤナさんともできるかな。具材は七福神にちなんで七種類が多いみたい。もっと少なくしても、多くしてもいいみたいだけど、七種類のほうが、縁起が良さそう。
何を入れようかな。マグロとかエビとか、海鮮を入れても美味しそうだけど、ヤナさんはどっちが好きかな。
検索アプリを閉じ、レシピアプリを立ち上げ、こちらでも「恵方巻」と検索する。具材も太さも、いろいろな恵方巻が画面にいくつも表示された。
いいな、どれも美味しそう。私はいくつかのレシピをお気に入りに登録して、お風呂からあがることにした。
「お、温まったか?」
「うん、ほかほかだよ」
「それは、何より」
スキンケアとドライヤーを終え居間に戻ると、ヤナさんはコタツに入り読書をしていた。それは、祖父が遺した蔵書のひとつで、ヤナさんはそれを左上から順番に読んでいるらしい。
「そういえば、もうすぐ節分だな」
「え!」
あまりにもタイムリーな話に、思わず声が裏返る。
「どうした。鶏の雛のような声だったぞ」
「うずら……? いや、あの、えぇっと、節分って……」
「いや、何だ。鈴和はなにかと行事ごとが好きだろう?そのどれもが楽しいからな、俺も期待しているんだが。節分は何もしないのか?」
「えっと、恵方巻は食べようと思ってるけど……」
「恵方巻か! あれは最近のものだからな。あまり馴染みが無いが、美味そうだと思っていたんだ。」
ヤナさんは「夕方のテレビで見たんだ」と教えてくれた。
「作ろうかなと思ってたけど、テレビで見たのが美味しそうだったなら、それを買ってもいいよね。どこのお店のとか、覚えてる?」
「手間だろうが、鈴和が作ってくれるのなら、そちらが良いなあ」
「手間ではないけど……。買った方が豪華だし、美味しいと思うよ?」
「俺にとっては鈴和が作ってくれたものの方が美味いし、価値があるんだ。鈴和は買ったものが食べたいのか?」
「いやあ、私はどっちでも……」
「なら、作ってくれないか? 俺は是非、鈴和が作ってくれた恵方巻が食べたい」
「そっか。なら、作ろうかな。ヤナさんも中に入れる具材、一緒に考えよ」
「ああ! 楽しみだ」
スマホを持ってヤナさんの隣に座ると、ヤナさんはコタツの布団をめくり、私を入れてくれた。私はさっきお気に入りに追加しておいたレシピを画面に表示させ、ヤナさんにも見えるように傾けた。それに合わせて、ヤナさんも画面を覗き込んでくる。
「ほら、こういうの、どうかなって。具材は七種類入れようと思ってるんだけど」
「七種類も? 贅沢だな」
「七福神にちなんでるらしいよ」
「成程、縁起を担ぐという訳だな」
「そう。王道なのは玉子とか、キュウリとか煮しいたけとかかなあ」
「千瓢も好きだ」
「いいねぇ。海鮮を入れてもいいみたいだけど」
「海鮮か。鮪、烏賊、海老とかか?」
「あとは、サーモンとか、いくらとか」
「いいな。……どれも美味そうで悩ましいな」
眉間に皺を寄せてスマホを睨みつけるヤナさん。元が強面なのも相まって、恵方巻の具材を悩んでいるだけとは思えない、とても険しい顔だ。まるで裏切り者のネズミを見下す極道のよう。本物の極道なんて見たことないけど。
「これは、鈴和にとっては面倒な提案なんだが」
唸るようなヤナさんの声は地を這うように低い。ネズミ処理の相談かな?
「鈴和が決めてくれないか?」
全然違った。いや、当たり前なんだけど。
「私が決めていいの? あんなに悩んでたのに」
「そうなんだが、鈴和が作ってくれたものを中身がわからないまま食べて、一驚したい」
「いっきょう?」
「数字の『ー』に『驚く』で『いっきょう』。意味はそのまま、『驚くこと』だな」
「なるほど。……そんなヤナさんをびっくりさせられるようなものが作れるかはわからないけど、いいよ。私の好みでいいなら」
「鈴和の作る料理はどれも美味い。つまり鈴和の好みは俺の好みと等しいということだ。これは美味い恵方巻が食えそうだ」
ヤナさんはヤクザから、朝起きて枕元にあったクリスマスプレゼントを開けようとする子供のようになった。まぁ「クリスマスプレゼントを開けようとする子供」なんて、実際に見たことないけど。
今年の節分は二月三日、土曜日である。ヤナさんのリクエストの通り、私が具材を決め、必要な食材は昨日の仕事帰りに買ってきておいた。シイタケもかんぴょうも昨夜の内に炊いておき、準備は万端。私のやる気も充分である。
まずは、合わせ酢を作る。これはとても簡単。耐熱の計量カップに砂糖を大さじニ、お酢も大さじニ、塩を小さじ一。
それをレンジでチン。軽くかき混ぜて、砂糖と塩が溶けたら、はい完成。
「ん? 酸っぱい匂いがするな」
どこからか、ヤナさんが戻って来た。ズボンの裾が捲られているから、お風呂掃除かな。
「あ、丁度良かった。ヤナさん、ちょっと手伝ってもらってもいい?」
「勿論だ。酢飯を作っているのか?」
「今から作るところなの」
少し硬めに炊いたご飯を釜ごと取り出そうと炊飯器の前に屈みこむ。するとヤナさんが「釜を出すのか?俺がやろう」と、私の肩を引き寄せて立たせると、私の両手にはまった鍋掴みを外した。外した鍋掴みを棚に戻すと、素手のまま釜を取り出し、準備しておいた鍋敷きの上に置いてくれた。ヤナさんの皮膚は熱さにも強い。
「これをどうするんだ?」
「こっちのボウルに移します」
本当はすし桶を使った方が美味しく作れるのは知っている。でも、すし桶は隅とか洗うのが大変だし、ちゃんと乾かさないとカビが生えてしまうので、できれば使いたくない。だから、ボウルを使う。これは隅とか角とか無くて洗いやすいし、面倒な手入れも必要ない。本当は炊飯器の釜でそのままできたらいいけど、お酢がフッ素加工に悪そうなのでやめておく。実は大丈夫なのかな。今度調べてみよう。
まだ熱々の釜をヤナさんは片手で持ち上げ、もう片方の手にしゃもじを持ち、ご飯をボウルに移してくれる。
「私がうちわで扇ぐから、ヤナさんはご飯を混ぜてくれる?」
「混ぜるだけか?」
「うん。私がすし酢をちょっとずつ入れていくから、全体に行き渡るように」
「おっと、手強そうだ」
「大丈夫。適当だよ」
ヤナさんがしゃもじでごはんをゆっくり混ぜてくれているところに、細く線になるようにすし酢をかけていく。すべて入れ終わったらうちわを持ち、ボウルに向かって扇ぐ。すし酢の甘酸っぱい匂いが風に乗って広がっていく。ヤナさんは、下から掬い上げるようにして全体を満遍なく混ぜてくれた。そのうちに、すし酢が全体に行き渡り、ご飯がつやつやと光って見える。
「よし、そろそろいいかな。ヤナさん、ありがとう」
「このあとはどうするんだ?」
「中に入れる具材を準備して、海苔で巻きます。ヤナさんはコタツでゆっくりしてて」
「そうか。なら、甘えさせてもらうとしよう」
具材を知られないために、体よくヤナさんを台所から追い出そうとコタツへ促すと、それを知ってか知らずか、ヤナさんは素直に向かってくれた。
ヤナさんがコタツへ入ったのを見届けると、私は袖を捲り、具材の準備に取り掛かる。まずは厚焼き玉子を作る。
卵を溶いて塩と白だし、砂糖を少し。普段は醤油も入れるけど、今日は色合い重視でやめておく。温めた玉子焼き用のフライパンに薄く油を引いて、卵液を注ぐ。じゅわっと良い音だ。焼けてきたら手前にくるくる巻いて、巻き切ったらフライパンの奥へ。空いたスペースに油を引き、また卵液を注ぐ。奥に置いた巻かれた玉子を少し浮かせ、その下にも卵液を行き渡らせる。焼けてきたら更に巻く。これを卵液が無くなるまで繰り返し、最後にフライパンの壁を使って形を整えれば、厚焼き玉子の完成だ。焦げ目もない、綺麗な黄色。上出来かな。それをお皿に移し、冷ましておく。
次は三つ葉をさっと茹でて、食べやすいように三、四センチほどに切り、キュウリは細切りにする。そして、冷蔵庫からエビとマグロを取り出す。エビは皮を剥いて、尻尾も取り除く。爪楊枝で背ワタを取り、これも茹でる。綺麗なピンク色になったら取り出して、茹でてくるっと丸まってしまったままでは巻きづらいので、半分に切る。柵で買ったマグロはキュウリと同じくらいの細切りにする。冷ましておいた厚焼き玉子も同じように細切りにして、これで恵方巻の具材七つ、用意できた。ヤナさんにとって初めての恵方巻だ。具材は無難だし、美味しくできるはず。あとは巻くだけだ。
巻きすを広げ、つるつると光沢がある方を下にして海苔をのせる。上に隙間を少しあけて、酢飯を薄く、まんべんなく広げる。欲張ってのせすぎると、巻き切れなくなってしまう。今日は特に具材が多いので要注意だ。次は真ん中あたりに具材をのせていく。椎茸の煮物、かんぴょう、エビ、三つ葉、厚焼き玉子、マグロ、キュウリの順で奥から並べる。後は巻くだけ、なのだけど。
巻くときは勢いよく巻いてしまうのがコツ。躋躇ってしまうと具材がぼろぼろと崩れてしまうのだ。巻きすの手前を持ち上げ、深呼吸を一つする。奥の、具材がのっていない白い酢飯のところを目指して一気に、よし!
ぐっと、呼吸を止めて勢いよく具材を包み込むように巻く。巻きすを手前に引き寄せて真ん中から端に向って両手で押える。そこで大きく息を吐き出した。手で押えたまま、横から巻きすの中を覗き込む。見た限りでは具材はちゃんと真ん中に、海苔もしっかり閉じている。良かった、たぶん成功だ。
巻きすは二本の輪ゴムで巻いたまま止め、馴染ませておくことにする。さて、残りの料理に取り掛かろう。
「ヤナさーん! ごはんだよー!」
書斎に行ったまま戻ってこないヤナさんに、居間から声を掛けた。ヤナさんが来るまでに、コップにお茶まで入れて
しまう。
「これは……」
戻って来たヤナさんは今の扉を開けたところでコタツの上を見て、止まってしまった。
「ヤナさん? どうしたの? 寒いから中入って」
私がそういうと、ヤナさんはゆらりと歩き、コタツのいつもの定位置に座った。その間も、ヤナさんの視線はコタツの上に固定されたままだった。何か変なものでもあったっけ?
「これは、豪華すぎやしないか!?」
「そうかな?」
恵方巻は海苔一枚分で作って、大きすぎたので本当は切らない方がいいらしいけど、私とヤナさんで半分ずつにした。余った酢飯と、昨日の内に甘く炊いておいた油揚げで作った稲荷寿司。まだ余っていた酢飯と具材を使った
大皿のちらし寿司。後はわかめと豆腐の味噌汁と、茶わん蒸しだ。茶わん蒸しの具材も、恵方巻の具材の三つ葉とエビ、昨日一緒に戻しておいた椎茸だ。しかも蒸さずに電子レンジで作った。蒸し器で作るよりずっと手軽だし、「す」も入らず綺麗に作れる気がする。どの料理も程よく手を抜いている。家庭料理なんてこんなもん。
「何か祝い事でもあったか?」
「ないよ。まぁ、ちらし寿司があると華やかに見えるよね。そんなことより、食べよ」
「ああ、そうだな」
二人揃って手を合わせ、いただきます。
「まずは恵方巻だな」
肝心の恵方を調べるのを忘れていた。
「今年の恵方は、東北東だって」
「甲の方角、寅と卯の間だな」
スマホで調べた方角を言うと、ヤナさんは聞き慣れない言葉を口にし、方角を指で示した。
「きのえ? どこ?」
「陰陽五行説からきた十干で表した方角だ。まあ、簡単に言うと、『この世のもの全ては木・火・土・金・水の五つからなる』というのが五行説。『全ては陰・陽の二つに分けられる』というのが陰陽道。この二つが結び付いたのが陰陽五行説で、五行全てを陰と陽に分け、それぞれに『甲・乙・両・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸』を割り振ったのが十干だ。十干には数字や方角が割り当てられていて、恵方はこの十干によって決まる」
「へえ」
ヤナさんは説明してくれるが、聞き慣れない言葉が多く、半分も理解できなかった気がする。
「細かい決まりや方角を示すものは他にもあるんだが、鈴和、よくわかっていないな?」
「うん」
「興味があるならまた今度、説明しよう……食べてもいいか?」
「そうだね、食べよっか。えっと、きのえの方角」
「東北東だな」
「喋っちゃだめだよ」
「願い事を思い浮かべながら、だったな」
二人できのえ、東北東を向く。今座っている場所からなら台所のコンロの方だ。ヤナさんが恵方巻を掴み上げ、一ロ齧ったのを見て、私も一口頬張る。ちょっと大きくて食べづらい。零してしまってもいいように、恵方巻の下にお皿を置いて、願い事を思い浮かべながら食べ進める。三分の一ほど食べたところで、ヤナさんは食べ終わったようだ。
「とても美味かった!椎茸と千瓢の味が最高だな。他の具材に埋もれないくらいにしっかりと味が付けられているが、主張しすぎてもいない。玉子も出汁の味がしっかりと立っている。胡瓜の爽やかさ、三つ葉の香り、鮪の濃厚さ、海老の食感と旨味。全てが調和している。これ以上の恵方巻なんて無いんじゃないか?」
ヤナさんが矢継ぎ早に誉め言葉をかけてくれるが、私はまだ恵方巻を食べている途中である。ヤナさんの方は向けないし、返事をすることもできない。ヤナさんはそのことに気付いていないのか、気付いていて気にしていないのか、更に言葉を続ける。
「やはり、具材は鈴和に任せて正解だったな。不慣れな俺が手を出せる領分じゃない。いつものことながら、鈴和の料理のオ華には圧倒させられるな」
喋れないせいで、ヤナさんを止めることもできない。相変わらずの過大評価を、早く食べ終わって遮りたいのに、気恥ずかしくて、上手く飲み込めない。
何とか恵方巻を食べきって、ヤナさんの言葉を止めようと他の料理を勧めたのに、結局それらもやたら大袈裟に誉められてしまった。
「ヤナさんは私の料理を変めてくれるけど、別に大したことないんだよ? レシピを見ることだってあるし、私くらい作れる人なんて山ほどいるし、それこそ私より上手に作れる人だってたくさんいる。ヤナさんは今までごはんを食べたことないって言ってたから、私の料理が特別に見えてるだけだよ」
実際、私は人と比べて料理が上手というわけではない。幼い頃から母の手伝いが好きだったおかげで、手際は多少いいかもしれないが、それだって素人に毛が生えた程度。味付けだって目分量なことが多いから、毎回同じ味にならないし、作り慣れない料理ならネットのレシピを頼る。「下手ではない」というくらいなのだ、私は。
「特別に決まっている。当然だ。」
「え?」
「.....確かに今までは料理の才ばかりを褒めてしまっていたな。その才も、磨かなければ光らないというのに。鈴和の料理に対する姿勢、研鑽があってのこと。並々ならぬ努力があったのだろう。素晴らしいことだ。それを失念していた。すまないな、鈴和」
「いや、そういうことじゃなくて」
「その恩恵に預かれる俺はとんでもない果報者だな。何か鈴和に報わなければ」
「え!何の話!?」
「この僥倖に値するもの、か。難しいな」
「ちょっと、ヤナさん!?」
あらぬ方向に飛んでしまった話に、私はヤナさんに「特別だ」なんて言われたことを、すっかり忘れてしまったのだ
った。
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