「家鳴り」のヤナさんはいつも腹ペコ
にと
雪が降った日のミルフィーユ鍋
データの入力も一段落し、私はモニターを見続けたせいで疲れた目を休ませるように窓の外を見た。すると、白い雪がささやかに降っていた。
「あらやだ、雪じゃない」
斜め右のデスクに座る先輩が私の目線を追い、同じように外を見て眉を顰める。
「どうりで寒いと思いました」
「今日の天気予報って晴れだったわよね? お洗濯もの、外に干してきちゃったわよ」
確かに、朝のワイドショーでお天気お姉さんは晴れだと言っていた。なので、私も外に洗濯物を干してきてしまった。
それにしても寒い。暖房もついているはずなのに、指先も爪先も凍えそうだ。
少しでも手を温めようと飾り気のない黒いカーディガンの袖を伸ばす。
こんなに寒いとお鍋が食べたくなるよなぁ。うん、今日はお鍋。絶対にお鍋にしよう。冷蔵庫には何があったかな。
「楠さん、車通勤だったよね? 積もる前に帰る?」
「いえ、大丈夫です。スタッドレスに換えてあるので」
私達の会話が聞こえていたのか、課長が心配して早退を提案してくれた。でも、それを断る。車をちゃんとスタッドレスタイヤに換えてあったのもそうだけど、そもそもこれくらいの雪じゃ積もらないと思ったのだ。
視線を窓の外からモニターに戻し、冷蔵庫の冷凍室と野菜室の中身を思い出す。洗濯物は、彼が雪に気付いて取り込んでくれたことを期待しながら。
「今日はミルフィーユ鍋です」
結局、帰る頃にはすっかり雪も止んで、残っていたのは空気の冷たさだけだった。
「みるふい、ゆ?」
相変わらずカタカナに慣れないみたいで、発音が覚束ない彼は「家鳴り」という妖怪らしい。日本書紀にも記されているような怪異で、ポルターガイストみたいなものを起こす。現代では家が軋むような「パキッ」とか「ミシッ」とか、そういう音を「家鳴り」と呼んだりもする。詳しいことはよくわからないが、彼は祖父がこの家を建てた時から住み着いているらしい。まぁ、特に気にすることもない。害はないので。家から出られないせいで世間や常識に疎いので、話が通じない時はあるけど。見た目がいわゆる「鬼」という感じで、二本の角に浅黒い肌、吊り上がった赤い瞳と、かなり厳ついから、最初に見た時は「殺されるかも」とも思ったけど。
とにかく、私はこの奇妙な同居人を「家鳴り」の「ヤナさん」と呼んでいる。今思うと安直すぎて申し訳ない。
「ミルフィーユって知ってる?」
「しらないな」
「そうだよね。焼いたパイをクリームとか、フルーツとかと重ねて作るケーキなんだけど」
「焼いた、ぱい? くりいむと、重ねて? ……美味そうではあるな」
ヤナさんは首を傾げたまま、眉間に皺を寄せる。
「わかんないよね。また買ってくる」
「作らないのか?」
「うーん、面倒……。う、でも、パイシートを使えば、まぁ……考えとく」
ミルフィーユは作ったことがないし、「ちょっと面倒だな」と思ったけど、期待するようなヤナさんの赤い目に見つめられると「やってみようかな」という気持ちになってしまう。いや、やっぱり面倒だな。
そんなことより今はミルフィーユ鍋!
安売りで思わず買ってしまった、丸ごと一玉の白菜をまな板に置く。
「はい。ヤナさん、これ半分に切って」
「ああ、わかった」
ヤナさんが料理に興味を持ってから、硬いものや大きいものを切るときはヤナさんがやってくれるようになった。
「立派な白菜だな」
「そうでしょ。でも、かなり安かったんだよ。……次は一枚ずつにして」
綺麗に真ん中で二つになった白菜の半分をヤナさんから受け取る。半分になっても重いこれをヤナさんは片手で持っていた。私は両手じゃないと落としそう。
「[[rb:鈴和 > すずか]]、出来たぞ。これ全部使うのか?」
「うん。具材は白菜と豚バラだけだからね。それにヤナさん、いっぱい食べるでしょ」
ヤナさんはそのがっしりとした体格に見合うくらいよく食べる。本来は食べる必要はないらしいのに。実際、私がこの家に引っ越してくるまで、食事をしたことはないと言っていた。というか、ヤナさんを見ることができる人もいなかったらしいけど。
ピーッピーッと音が鳴る。電子レンジに任せていた豚バラの解凍が終わったようだ。うちの電子レンジは解凍機能付きのちょっといいやつなので、加減もばっちり。
「次は豚バラと白菜を重ねていきます」
「重ねる?」
「そう。白菜を一枚置いて、豚バラを乗せる。その上に白菜、そして豚バラ……こんな感じ」
白菜と豚バラを二層ほど重ねて見せて、残りはヤナさんに任せた。その間に、私はお鍋の出汁に取り掛かる。といっても、とても簡単だ。
「今日の鍋は何味にするんだ?」
「ヤナさんの初めてのミルフィーユ鍋だからね。スタンダードに、食べやすい味にします」
「すたんだあど……『標準的な』だったか?」
「そうだね」
ヤナさんはきっと、頭はいいんだと思う。カタカナには慣れてないみたいだけど、一度聞いたら覚えちゃうし、最近始めたばかりの料理だって手際がいい。
土鍋に水と顆粒の鶏ガラスープの素、料理酒を入れて出汁を作る。ざっと、これくらい。目分量だ。
「ん、肉が余ってしまった」
「じゃあそれは真ん中に入れちゃおう」
「真ん中? まだ全体像が掴めないな。どんな料理になるんだ」
「ふふ、見てて」
ヤナさんが重ねてくれた白菜と豚バラのミルフィーユを五センチくらいの幅で切る。それを層が見えるように円を描きながら土鍋に敷き詰めていく。二人分にしては大きい鍋もぎゅうぎゅうになった。そして余った豚バラを無理やり真ん中に押し込む。
「これで火を通して出来上がり」
「華やかな見た目だな。牡丹のようだ」
「雅な例えだねぇ」
蓋をしてしばらく、ぐつぐつと煮えたところで鍋とコンロからコタツに持っていく。ダイニングテーブルなんてものはない。持っていくのも重たくて熱いからと、ヤナさんがやってくれた。鍋掴みなしで。こういう時、改めて彼はヒトではないんだなぁと感じる。
ヤナさんがコタツに置いてくれた鍋の蓋を外すと、白い湯気がぶわりと立ち上った。ヤナさん曰く、牡丹のような白菜は半透明に、出汁には豚バラの油がきらきらと光っている。
「よし、食べよっか」
「ああ。美味そうな匂いだ」
「味が薄かったら、ポン酢もあるからね」
いただきます。
二人揃って、パチンと両手を合わせる。「いただきます」を言う。二人で食事をするようになってできたルールだ。
「これはどこから食べればいいんだ?」
「うん?どこからでもいいよ。好きなところからどうぞ」
ヤナさんは綺麗に敷き詰められた白菜と豚バラに、どこに箸を差し込めばいいのか迷っている。食べ始めればすぐに崩れるから、そんなに迷わなくてもいいんだけどな。
数秒悩んで、ヤナさんから見て右、私から見て左の外側から食べることにしたらしい。長く尖った爪が邪魔だろうに、大きく開いた箸で引用に取り皿に移す。そして、取り皿に山になった白菜と豚バラの半分を豪快に口に入れた。
「んっ、…・・・・美味いな!白菜も良く煮えている」
絶対熱い火傷する。と思ったけど、それはいらない心配だったらしい。さすが妖怪、口の中まで強い。
「うん、いいかんじだね。私、くたっとした白菜好き」
白菜はあまり煮込まずにしゃきっとした食感が好きな人もいるけど、私はしっかり火が通ってとろとろになったやつの方が好き。目分量で作った出汁も味が濃すぎることもなく、薄すぎることもない。白菜の甘みと豚バラの旨みが溶け込んで良い味になっている。上出来かな。
「寒い日に食う鍋は格別だな。」
「ね。今日とっても寒かったでしょ。雪も降ったし。それで、絶対に今日の夜ご飯はお鍋にしようと思ったんだよね」
「英断だ。腹から温まって心地良い。」
「ほっとするよね。」
「出汁の味も丁度良い。計量していた訳でもないようだったが。鈴和は才知に長けているんだな」
「そんな、ただの慣れだよ」
ヤナさんは話し言葉が少し古風なせいか褒め言葉も独特で、私には大袈裟に聞こえることもある。ちょっと照れてしまう。誤魔化すように取り皿に一口分残った白菜を口に入れる。
私が自分の取り皿に入れた小さな山を崩す間に、ヤナさんは大きな山を二度も更地にした。気持ちのいい食べっぷりだ。私も取り皿に新しい山を作り、ポン酢をひとまわしする。
「ポン酢、美味そうだな」
「うん、さっぱりして美味しいよ」
「俺も次はそうしよう」
「柚子期椒もいいと思う」
「なら、ポン酢の次は柚子胡椒だな」
ヤナさんも取り皿に新しい白菜と豚バラの山を作り、ポン酢をまわしかけた。
白菜と豚バラだけのシンプルなお鍋だからこそ、味変を存分に楽しめる気がする。私も次は柚子朝椒にしようかな。いや、ラー油を入れても美味しいかも。
「あ、ヤナさん。今日はありがとね」
「うん? 何がだ?」
「洗濯物、取り込んでくれたでしょ。雪が降って」
そう。ヤナさんは私が期待した通り、雪に気付いて洗濯物を取り込んでくれたのだ。おかげで洗濯物は無事、すでに畳まれて単筒に仕舞われている。
「丁度、庭に出ていたところでな。運が良かった」
「日頃の行いが良かったのかな」
「俺の、か?」
「私の、だよ」
白い湯気の向こうでヤナさんが揶揄うように目を細める。
柚子朝椒のチューブに手を伸ばすと、ヤナさんがそれに気付いて手渡してくれた。
「なら俺と、二人ともが日頃の行いが良かったということだな」
「ふふ、そうだね。そういうことにしておこう」
粗方食べたところで、鍋をコンロに戻す。今日のお鍋の締めはうどんだ。
「ヤナさん、うどんいっぱい食べる?」
「食べる」
「ふふ」
知ってた。
玉うどんの袋を残いて鍋に入れる。一つ、二つ、三つ。千切れないようにお箸で優しく解す。白菜でいっぱいだったお鍋が、今度は真っ白いうどんでいっぱいだ。でも、これもほとんどヤナさんのお腹に収まるだろう。
「できたか?」
待ちきれないように、ヤナさんが私の肩越しに鍋を調き込む。ヤナさんは『お鍋の締め』が大好きなのだ。
「まだ。」
「まだ、か。」
「うん。まだうどん、温まってもいないと思うよ?」
玉うどんだから食べられないということはないだろうけど、まだ解しただけだ。もう少し待ってほしい。
結局、出汁がぐつぐつと煮えるまでヤナさんは私の後ろから離れなかった。いい具合に煮えたので、ヤナさんに「できたよ」と声を掛けると、鼻歌でも聞こえてきそうなくらい上機嫌で鍋をコタツに持っていく。あんなに喜ばれるなんて、一玉二十八円の格安玉うどんも光栄だろうな。
私も鍋を置いたヤナさんに続き、コタツに入った。台所で冷えた爪先がじんわりと温まる。
「よし、食べてもいいか?」
「はい、どうぞ」
律儀に私を待っていてくれたヤナさんが取り皿にたっぷりとうどんを盛る。そして勢いよくる。一度噛んで顔を上げ、目を見開いた。リスのように膨らんだほっぺに笑ってしまいそうだ。
「美味い!」
「ヤナさんってお鍋の締め、好きだよねぇ」
「ああ、好きだな。こう、鍋の美味いところ全部を味わえる気がする」
「なるほど」
「あと、食べ終わってしまったのに、また違う形で楽しめるのが良い」
確かに。私もお鍋の締めは好きだ。なんだか特別な気がする。
鍋いっぱいに入っていたうどんもすっかり食べきった。やっぱりそのほとんどをヤナさんが食べてしまった。でも、私はお腹いっぱい。ヤナさんも、満足そうに左手をお腹にのせている。今日もいい食べっぷりだった、気持ちがいいくらいに。
「鈴和」
「うん?」
私を呼んだヤナさんは姿勢を正し、胸の前で手を合わせた。私の瞳をしっかりと見つめ、歯を噛み締めるような仕草の後、口を開く。
「今日も美味かった。ごちそうさまでした」
この満ち足りたような顔を見てしまうと、やっぱりミルフィーユも作ってみようかな、なんて思ってしまうのだ。
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