第2話

 「泥棒にサファイアか…」

 私はフローリングに直接本が積まれている自宅のリビングのソファで飼い猫のロビンソンを膝に乗せながら呟いた。

 私はノートパソコンの検索に芸術家の名を入れる。

 「ふむ…」

 画面には人名を打ったにも関わらず作品の画像しか出てこない。

 相澤雄一郎。国内外で高く評価されている正体不明の画家。あくまで、その名前でしか広まっていないため、ハーフかもしれないし外国人かもしれないという男。…もしかしたら、女かもしれないし。

 そして、その相澤雄一郎の自宅を、あの泥棒…小野大和は、とある情報筋から知ったらしい。

 あの豪奢な物に目がない小野は相澤雄一郎の自宅に侵入し、絵のモチーフだったであろうサファイアを盗んだという。そして、それを失くした。

 正直、自業自得だと思う。悪い事をしたから報いを受けただけの話だし、探してやる義理も正直ない。

 だが、まぁ良い。私はそういう仕事も受けようと決めている。彼が悪人でも、仕事は受ける。

 私は、液晶に再度意識を向かわして相澤雄一郎の作品を幾つか見た。

 相澤雄一郎の作品は、独特だ。その特徴はモデルにある。

 彼は宝石の絵を描くのだ。黒い背景にポツリと、宝石が描かれた作品が彼のアートなのだ。

 足元に積んであった海外の名作画集を手に取る。昔から宝石が描かれた名作絵画は沢山ある。しかし、「真珠の耳飾りの少女」のように、その殆どがアクセサリーとして描かれているだけだ。宝石が主役として描かれ評価される事は少ないだろう。

 相澤雄一郎の絵を見ると、ルビーだったり、ダイヤだったり、エメラルドだったり、そしてサファイアだったりが中央に描かれている。そして、いずれも美しい。

 彼の絵は、なんというか光が優美なのだと私は思う。ただ光沢が正確に入れられているだけでなく引き算、とでもいうのだろうか。足されていくだけではなく、場所によって引かれていくことで光の反射のアンバランスさが表現されていて絵の中の宝石は現実の宝石よりも生き生きとした姿を魅せている。

 私も以前から相澤雄一郎の作品を知っている。私にとっても、その画家は天上の存在のようだ。

 その相澤がモデルにしたであろう宝石…。

 「その宝石が失くなった。だから探して欲しい」

 そう小野は言った。正直、かなり滅茶苦茶な依頼だ。なにせ、私と小野は今日会ったばっかりだ。宝石がどんなものかも知らない。彼が何をしているのかすら、よく知らない。泥棒なことだけは知っている。

 息を漏らす。

 「どうしたもんだろうねぇ」

 私は膝の上のロビンソンに語りかける。

 ロビンソンは「行ってみないと分からない」と言うふうに喉を鳴らした。私も、うっすら口元を緩める。

 「その通りだね」

 まぁ、無理そうだったら、その時はその時だ。宝石の行方は言い当てられなくても、上手い具合にごまかせるだろう。


 後日、私は小野の自宅に行く事になった。昼過ぎに彼の車が事務所前に迎えに来て、それで彼が住む東京都某区の一軒家に着いた。ちなみに、猫を連れて行っていいか聞いたら、許可が降りたのでロビンソンを連れていく事にした。

 「ここが俺の家だ」

 「はあ…」

 思わず溜息が出ていた。彼の家がとにかく大きかったからだ。

 車庫に収まった迎えに使われた外車も相当に上等なものだったし、その横には他にも高そうな外車が並んでいたのを思い出した。あれらも盗品なのだろうか。それとも、買ったものなのだろうか。どうせ、買っていたとしても盗品で得た金だろうけど。

 私は小野に広い玄関から、広いリビングに通された。玄関には鹿の頭の剥製がガラスのような白い目をこちらに向けていて、夜にこの家を訪れていたら腰を抜かしたかもしれなかった。

 「ここに座ってくれ。何が飲みたい? コーヒー、麦茶、紅茶を出せるが」

 「あ、紅茶で…お願いします」

 椅子に座りつつ、私は答えた。ロビンソンは床で丸くなっていた。

 迎えに来たりお茶を入れるためにティーパックを開けている小野を見ると、彼は見栄っ張りなところはあるが、基本的には面倒見がいい男なのではないかと思った。そういえば、以前も焼肉を奢ってもらったわけだし。

 家を見渡すと、実に様々なものがあった。そして、全部が全部高そうだった。

 絵画に骨董品に薄型の高級家電、そして、宝石…。

 私はしばらくリビングを見渡した。すると幾つかの芸術品の中に、それはあった。

 「相澤雄一郎…」

 私は声に出して呟いていた。そこには、宝石が描かれた絵がかけられていた。あれは、エメラルド?

 気づけば、ティーカップを私の目の前に置く小野がいた。

 「そう、あれが相澤雄一郎の正真正銘の本物の絵画。察しの通り、エメラルドがテーマの作品だ」

 小野は正面の椅子にずっしりと座った。

 「あれも、その…盗品ですか?」私が聞くと、小野は笑った。

 「いや、あれは俺が公開オークションになった物を競り落とした物だ。それだけに、他よりも大事にしている」

 「近くで見ても?」

 「ああ良いぞ。ただし、触るなよ」

 「心得ています」

 私は立ち上がって、その絵に近づいた。

 ピッタリのサイズの額縁には埃は少しも乗っておらず、部屋の内側に掛けられたその絵には少しの日焼けもしないだろう。この部屋の中でのコレクションの中でも格別の扱いを受けていることが分かる。

 その作品は、正に相澤雄一郎らしい作品と言えた。

 黒い背景に本物と見紛うほどの美しい宝石が描かれている。しかも、その宝石はむしろ本物の宝石よりも輝きを放っている。光線が宝石の中で無数に乱反射し、そこから溢れ出ている様子や、つやつやとした宝石の表面の、血管がじんとくる冷たさまで表現されているようだった。

 「お前も相澤雄一郎が好きなのか?」

 「あ、はい。昔から」

 「お前みたいなのでも、相澤雄一郎の良さは分かるんだもんなぁ。俺は相澤雄一郎の良さは、宝石という財の具現化したようなものへの偏執にあると思うんだよな。俺と似た部分があるというか、シンパシーを感じる」

 私はナチュラルにディスられた事にムッとした。

 それにしても、財への偏執か。確かに、そういう見方もできるだろう。相澤雄一郎の作品から、誰もが一回は覚えるであろう宝石への憧れを想起するのは、自然なことだ。

 だけど、私はそうは思わなかった。

 相澤雄一郎の宝石は、確かに現実の宝石より美しく輝いている。けれど、それでも宝石は所詮石に過ぎないという、どこかドライな印象があるように私は思う。黒い背景にポツンと佇む宝石は美しいけれども、それ以上でもそれ以下でもないと言うような、どこか達観しているというか諦めのようなものを相澤の絵からは感じるのだ。

 小野がお茶を啜りつつ、口を開いた。

 「俺は基本泥棒をする時は足が着かないように、すぐに換金するんだが相澤雄一郎の宝石の場合は話は別だった」

 「というのも?」

 「その盗んだサファイアの宝石は、おそらく作品のテーマにしたであろう宝石だ。相澤雄一郎のファンである俺からすると、その宝石はただの宝石以上の価値がある。どうしても、手元に置いておきたくてな。とても売り払うなんてできなかった」

 確かに、あの相澤雄一郎が作品のテーマにしたであろう本物の宝石だったら、世界中のコレクターが喉から手が出るほど欲しがるだろう。

 それからも私は絵に見入っていると、後ろから「あ」と思い出したように小野が声を出した。

 「そう言えば今日の依頼にも関係がある事なんだが、この作品には対になる作品があってな。それがサファイアなんだ。エメラルドと、サファイアで姉妹作って所か」

 小野は顎の揃えられた髭を撫でながら、続けた。

 「俺はそのオークションで、どちらも手に入れようとしたんだがな。結局、サファイアは別の美術商の手に渡ってしまい俺は手に入れる事はできなかった。あれは屈辱だったな」

 遠い所を見るような目で小野は言った。彼の目にはその時の悔しさが滲んでいるように見えた。

 「そして、だ。俺は偶然にもあの相澤雄一郎の家を知った。俺はその時これは運命だと思ったね。俺は迷わずに相澤雄一郎の家へ飛び込んだ」

 「迷わずに…」私は引き気味に繰り返した。どう考えても泥棒が故の感性だったから、一般人の私には全くもって共感できない。

 …でも、あの相澤雄一郎の家か。私の中に好奇心の火が燻っていた。

 「…参考までに相澤雄一郎の家の位置、聞いてもいいですか? ついでに、性別も」

 「なんだ。お前も盗むのか?」

 「いや、盗みませんけども」

 小野が不思議そうに聞くのを即答した。

 私は勿論泥棒なんかするつもりはない。けれど、単純にあの小野雄一郎の自宅が何処にあるのかに興味が湧いていた。あの日本の近代美術の旗手の相澤雄一郎がどこで作品を製作しているのか…。

 「いや、期待に添えなくて申し訳ないが、あれは相澤雄一郎の家ではなかったな。あれはアトリエってやつだろう。必要最小限のものしか置いてなかった。イーゼルに掛けられた製作途中の絵に、体を休ませるためであろうベッド、それと画材程度しか置いていなかった」

 カラカラと小野は笑って言った。

 確かにこの男からすると、そういう部屋には興味はないのだろうなと思う。けれど、私みたくある程度美術的な心得がある者からすると、そういう部屋にこそ興味があった。

 「それと、重ねて申し訳ないが、俺は相澤雄一郎の性別も容姿も知らない。下調べは子分にやらせて、あの人がいない安全な時間に侵入したからだ」

 「はあ」

 「俺自身、相澤雄一郎のファンだからな。俺は相澤雄一郎の正体が分からないというのも、あの人の魅力を高めている要素の一つだと思っている。だから、俺はあの人の事は何も知らないし、知ろうとも思わない」

 小野はやや恍惚としているような表情でそう言った。相当心酔しているようだった。

 私は小野は何となくミーハーというか、世界的に相澤雄一郎が賞賛されているから自分も好きと言っておこうみたいな日和見主義みたいな感じだと思っていたから、かなり驚いていた。

 おそらく、このガタイが良く豪快な雰囲気で繊細さの欠片も感じさせないような男も、相澤雄一郎に関しては彼なりの尊敬みたいな物を抱いているんだろう。まぁ、私は相澤雄一郎の性別はどうしても知りたい事だと思うけど。そこは、やはり小野と私の相澤雄一郎という芸術家に対する解釈の違いだろう。

 …まぁ、いい。別に相澤雄一郎談義をしようとここに来たわけでもない。私は仕事をしに来ている。

 「…ありがとうございます。しばらくしたら、宝石を保管していた部屋を見せてもらっていいですか? やはり、現場に行かないと分からないことはあるはずです」

 私は紅茶の表面に息を当てて言った。小野もゆっくりと頷いて、紅茶を啜った。

 足元でごろりと音がした。見ると、ロビンソンは眼をぱっちりと開けて立ち上がっていた。場所を移すのを待っているようだった。

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