探偵と猫と泥棒
小谷幸久
第1話
ピリリリという電子音で芳賀葵は目を覚ました。朝の七時のことである。
芳賀葵は寝ぼけたままカーテンを開け、窓も開ける。初夏の軽やかな風が部屋に吹き抜けて、室内の空気が外と繋がった。
日差しが目に刺さるようで、芳賀葵は涼しげな目をきゅっと細めた。彼女は、どことなくクールな気配を纏った美女だった。目にしても、顔の形にしても、鼻の形にしても男性的でありながら優しそうな印象を与えるものだった。彼女は昔こそ、よくかっこいいなどと評されていたが、本人はまるでピンと来ていなかった。
彼女は長く伸ばしたサラリとした黒髪をヘアゴムで後ろに束ねた。
そこは森の奥の洋館的な雰囲気がある独特な内装の寝室だった。観葉植物に、洋風な壁紙、外国製の椅子まである中に、一際目立つのが達筆な字で書かれた『来るもの拒まず』だった。彼女の探偵事務所の方針であり、字は彼女が書いたものだった。彼女の部屋の中で、明らかに浮いていた。
都内の某雑居ビルの五階。3LDKのここが彼女のオフィス兼住処である。彼女は22歳にして、探偵事務所を営んでいる。職員は彼女一人だけだが。
コーヒーメーカーでエスプレッソを入れてからベッドに腰を下ろす。
寝ぼけた目を擦りながらエスプレッソを啜ると、目が冴えるような心地がした。芳賀葵の膝の上に黄色い毛の猫が飛び乗ってくる。
「おはよう。ロビンソン」
芳賀葵は愛おしそうに唯一の同居人である猫の頭をぐりぐりと撫でながら、サイドテーブルの書類を取り、今日の仕事の確認した。
『あおい探偵事務所』
「探して欲しい物があるんだ」
私…芳賀葵はそう言った依頼人の男の全身を今一度見直した。
光沢が乗ったスーツ、あえて伸ばしているのであろう整えられた形の髭、テカテカのオールバック、金色のネックレスやシルバーのごつごつした指輪、ギラギラと光る眼差し、そして、首元から覗く刺青。
「何組ですか?」
「あ?」
「いや、なんでも」
どう見ても、反社会的な組織の人だった。
男は鋭い眼差しを私に向けてくる。
「一応聞いておくが、お前はどんな仕事でも受け持つんだよな?」
「ええ、そうですよ」
「なら、何を依頼しても良いわけだろ?」
「ええ、まあ。…明らかに無理そうな依頼は受けないことにしてますけど」
私はおっかなびっくりにそう答えた。
私は探偵業を営んでいるが、時折こういうヤバめの方が依頼に来ることがある。まぁ、私も基本探偵としての方針は来るもの拒まずではあるし、何でも屋的な側面もあるんだけども。
…一体、何を依頼されるんだろう。物とはいっても、組を抜けようとした奴を見つけろとか言われてもお手上げだ。いや、不可能ではないけど、怪我しそうだし。嫌すぎる。
「…まぁ、とりあえず場所を移すか」
男の言葉に私は首を傾げた。
「話なら別に、ここで良いですよ?」
私の家のオフィスとして使っている部屋を見渡す。絵画、観葉植物、赤いクッション素材の椅子、二人の間を隔てるように置いてある黒いテーブルなどがある部屋だ。このように依頼人を入れるための応接間として使っている部屋であり、私の家の中で一番特徴がない部屋だ。
物へのこだわりが強い私の趣味を詰めると、洋風な壁紙を敷き詰めた王宮みたいな部屋になってしまう。それでは、探偵事務所感がない。
小野は椅子から立ち上がった。本当に場所を移すつもりらしい。
「いや、どうにもつまんねえ部屋だ。こんな所じゃ、気も乗らない。もっとエレガントな場所じゃないとな」
そう言った男の口から金歯が覗いた。この人は王宮の方が好きそうだ。
男が私を案内したのは、某高級焼肉店だった。私は慌てて言った。
「すいません。今大して手持ちもないです」
「問題ねえ。俺の奢りだ」
ウェイターがスーツを着ている焼肉店に入ると個室に案内された。というか、個室が広いな。
全体的に暗い感じの店だけど、なんだかソワソワしてくる照明がちらほらあるから、手元とかはよく見える。私はこれまた独特の意匠が施された椅子に腰掛け、びっくりするくらいピカピカの机を前にした。
私はこういう雰囲気の店はどうにも落ち着かない。
「ふう…」
男はネクタイを緩め、リラックスしたような顔をした。テカテカのオールバックがきらりと照明で光った。
「何緊張してんだよ」
「いや、緊張ってわけでもないんですけど…」
「まぁ、こういうとこ来たことない奴には驚くかもな。金があるやつの特権ってやつだ」
男は大袈裟に顎を突き出すようにして言った。私はとりあえず愛想笑いをしておいた。
男がウェイターに注文を言っていく。メニューを見せられたが、目が痛くなってくる値段だったから私は特に希望を言わなかった。…この男はどうしても高いものしか頼みたくないらしい。カルビだったら上カルビを頼むし、なんだか手当たり次第に高そうな物を注文していった。注文を頭の中で計算していたが鳥肌が立ったので途中で辞めた。
「ふん」
注文を終えたウェイターが席を離れると、男は私の方を見て勝ち誇ったような顔をした。この男にとっては高い物を注文する事は誇りであるらしい。
「まぁ、心配すんな。ただ、飯を食うだけだ」
「はあ…」
男はそう言いつつも、私が居心地悪そうにしているのを楽しんでいるようだった。
目の前に肉が置かれて、それを二人で焼いて食べた。なぜか皿に花がのってたから食べても良いのか聞いてみたが、笑われた。
「食べれるぞ。一応な。でも目の前に肉があるだろう? お前は面白いな」ガハハと男が金歯を見せつけながら言ったのを意訳するのは簡単だった。お前は馬鹿だな、だ。
何だか反抗したくなって花は食べなかった。食べたら多分、また笑われると思った。
腹立たしい事に肉は美味しかった。今まで食べた事ないレベルで。複雑な感情でいると、また男は私を見て笑った。
「ふうん。どうだ美味しいだろう」
「…ええ、本当に美味しいです」私はできるだけ世辞感を出すようにしながら満面の笑みで答えた。
私はこの回答をするのにも少し葛藤があった。まず、複雑そうな顔で言うと葛藤が目に見えてこの男は気を良くするタイプだろうと思った。次にシンプルに感謝を伝える。…論外だ。普通にこいつが気持ち良くなって終わる。
そこで、この世辞感のある感謝だった。中々冴えた返しだったろうと思う。社会人なら当然のようにやる事であるが、世辞だと分かったら褒め言葉も効果は半減未満に落ち込む。
男は望んだ物を得られなかったみたいに不機嫌になるのを、私は内心ほくそ笑んでいた。
そして、その後も私は感謝を前面に押し出しながら、否、感謝してるのを演じてる感を醸し出しながら肉を食った。本当に肉は美味しい。この男の金で食べていると思うと余計に気分が良かった。
「さてと、では依頼の話をしようか」
食べ終わった時には、男も不機嫌さもなく、気持ちを切り替えていたようだった。私も気を引き締める。
「何かを探してほしい…と仰ってましたよね。一体、何ですか?探してほしいものって」
私は焼き肉の余韻のままに帰りたかったが、仕事は仕事である。要件を聞かずに帰るわけにはいかない。というか、ご飯を奢らせたので、「あ、その案件は無理です」は通らない気もしていた。
男は眼差しを鋭くし、口を開いた。
「俺の宝物を探してほしいんだ」
「宝物?」
宝物といえば、財宝とかだろうか。王の財宝とか。でも現代にそんな物があるとは、とても思えない。男は口を開いた。
「ああ、俺の宝物の宝石、サファイアなんだ」
思ったより言葉のままに財宝的な物だった事に私は驚いた。
それから私は気になったことを聞いた。
「あなたの宝物なんですか?」
「ああ」男は誇らしげにふんぞり返った。
「失くしちゃったんですか?」
「ああ…」男は寂しげにシートに沈み込んだ。
しょんぼりとしている男を前にして、ふむと私は考える。ひとまずは、ヤバそうな事案ではなさそうだった。発見できるかはともかくとして、とりあえず詳しく話を聞いてみても良さそうだと思った。
私は彼に笑いかけるようにしながら言った。
「分かりました。では詳しく話を伺っても良いですか?」
「本当か?」
彼はたちまち目元の力みを解いて、笑顔になった。
こんな強面な男でも、それほどに大事にしている物なのなら私も探してあげたいと思った。きっと彼にとって、とても思い入れの深い物なのだろう。
彼は無邪気な笑顔のまま、私に話し始めた。
「実は俺は泥棒をやっているんだが…」
頭の中で男の声が反響した。何だって?
やっぱりカタギじゃないのかよ! 私は心のなかで叫んだ。
私はもう帰りたかった。
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