風の君臨
@kabochamusi
第1話 卒業
日はもう高く、今日も暑くなりそうだった。卒業記念パーティの翌朝、大騒ぎの後の女子学生寮は、まだ3分の1が眠っており、3分の1はバスルームとその近辺で、人前に出てもいい自分を取り戻す作業の只中、残りの3分の1はさっさと荷造りを終えて就職先か実家かへすでに旅立っていた。
「ねーサユキ、シャワー借りていい。リンシーったらもう40分もバスルームから出てきてくれないの。」
「いいよラウラ。わたしたちは終わってる。」
「んーサンキュー。」
そそくさと入ってきた隣室の住人は昨夜のパーティ用のラメの入ったアイシャドウの名残を眠そうなまぶたにつけたまま、バスルームへと共有リビングを横切って行った。サユキと呼ばれた黒い髪の娘は膝の上にタブレットを伏せて、無言でそれを見送る。そっけないけど友達思いのいい子だったな、とラウラは寝ぼけた頭で考える。たぶんこれが彼女との最後の会話になるのよ。専門学校の同級生なんて関係はそんなもん。ひょっとしたらこの後一生会わないってことだって十分あり得る。あたしだって今夜にはロンドンだよ。サユキとマリハはルナスリー・コロニーだって言ってたじゃないの。
「サユキ、いろいろあったけど、あなたのこと好きだったからね。連絡してね。」
「わかってるわ、ラウラ。ゆうべもさんざん言ったじゃない。ずっと友達よって。」
「そうだっけ。…そういえばマリハは?」
「……行ってる。」
「え、どこへ行ってるって?」
「最後のデート。」
「ああ、例のパイロットの彼氏。別れちゃうの?」
サユキは黙って肩をすくめて見せた。眼がこれ以上聞くなと言ってる気がして、ラウラは黙ってバスルームのドアを開けた。
前世紀なら大学卒業にあたる「専門学校卒」も社会における価値はずいぶん下がった。わたしもサユキもここで学んだのはいわば応用対人スキルだけ。高い一般教養と汎用性のある医療装置の使用資格がとれるという理由で、就職先の間口の広さは他の学校より優れてるこの学校に、入学できた時はそれなりにうれしかった。でも結局は専門学校卒はその程度なのだ。今や
もう、考えるのはよそう。エリートなんて、この一度滅びかかった星にはいないんだもの。シャワーのお湯が流れ去った後には、現実だけが残った。明日からは病院勤めだ。
ルームメイトが帰ってきたのは昼すぎだった。ラウラが落ち着いた色のスーツに身を包んで、よそゆきのあいさつをして寮を出てから、30分もたってない時間の帰宅だった。
「で、ちゃんとお別れは言えた?」
「……」
こっちに目を合わそうとしないことで、サユキには首尾が知れた。
「どうするのよ、きちんとお別れ言わないでおくと、探しちゃうかもよ?」
きつく言ったつもりはなかったが、とうとうマリハは泣き出してしまった。
「……わたし、残る。このままこの星にいる。あの人と別れるなんて考えられない。」
「それは無理だって、今までに何回も言ったよね。」
聞えよがしのためいきをついて、サユキは言った。
「これは言うまいと思っていたのだけれど、」
―― あなた、
いきなり音声言語をやめられた上に本名を呼ばれて、彼女はたちどころにセレタス先王の娘にもどった。
― 何でよ、何で今そんな話なの? 関係ないでしょ、アルシノエ
― コスミア、あなた予知力、ないのでしょう。
一度染まりかかっていた頬が緊張におおわれた。ああやっぱりそうなんだね。
― わかってたら、だいたいそんな抜き差しならない感情にもがいたりしないもの ね。
ここへ来るとき、あなたは何一つ不安を感じてなかった。帰る時の波乱を思って、悩んでいたのは逆に私のほう。
― 知ってたの? こうなるとわかってたのに、何も今まで教えてくれなかったの。
― あなたにもわかってるものだと思ってたから。
サユキの顔で、アルシノエのテレパシーで、いつもとちがう饒舌さで、彼女は畳みかけてくる。マリハの顔で、コスミアはうつむいた。涙がひざの上に染みを作った。
― 本当は成人したときに判定されてたの。でもまだ変容はありうると言われてここへ来ることは取り消されなかったの。たぶんもう準備がすっかりできてて、取りやめることができなかったんだと思う。
― 押し切られたのは先のセレタス王、お母さまでしょう。
― そう。もちろん。
できあがってた。と、アルシノエは唇をかんだ。何もかもわかってて、送り出された。危ない橋に見えてたのは私だけ。コスミアには橋も向こう岸も見えてなくて、無事帰ることがわかっていれば橋は危ないものとは認識されない。スベテ ヨハ コトモナシ。
だったら、思い切りやってやろうじゃない。いつもは意識的に封じている「道」を全開にして覘く。あの人の思い通りにならず、コスミアの思いが叶うやり方を!
― 子どものころは確かに見えてたのよ。ガルカナの洪水のときはまだ4才だったけれど、雨のにおいもくずれる街の振動も感じたの。本当に自分がその場にいるような気がして、こわくて、私泣いたわ。
言い訳のように流れてくる追想を、アルシノエは切り捨てた。方針は定まった。
― 先のセレタス王は強いエンパシーのある方だったから。
― え!? て…。じゃあ、私が見たと思ってたものはお母さまのおこぼれだったってこと?
― 王位におられるときは、常に数百人に対して直にお伝えだったという話を聞いたわ。王のエンパシーは伝わるのではなく湧き上がるようにわかるものだったって。そんなことより帰るよ。いったん帰ってくれたら、私が必ずあなたをここへもどしてあげるから。
― 無理よ。いったん帰ったら…
アルシノエはマリハの手を取った。握られてマリハの目線がサユキを、アルシノエを見た。
― さ、思い出して。私たちは何のために予定より2カ月早く帰還させられるのだった?
― それは、えー、ミトラ王の急なご退位により、継承者を決めるためにミトラ籍の成人王族であるあなたが帰らなければいけないから。
― そう。そして次のミトラ王は私。
― …まさか。冗談でしょう。
― ミトラにだって何万人かの王族がいるんだよ。そこで決まったんなら、わたしのような遠方にいるひよっこにまで招集が来るわけないの。つまり、ミトラ本星には新王となる啓示を受けた人はなかった、ということ。
― 啓示、あったんだね。
― 啓示かどうかはわからないけど、私の予知能力は並じゃない。たぶんね。
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