第38話
初めてというものに対しての嫌悪感が、なくなったわけではない。でも、最近は初めてを捨てることに固執しなくてもいいかなって思うようになってきた。それは、仲町と一緒に日々を過ごして、何気ない初めてをたくさん経験したおかげかもしれない。
デートしたり、キスをしたり、思い切りハグをしたり。
そういう積み重ねの中で、少しずつ私も変わってきているのだろう。
「仲町。腕、痺れてきたんだけど」
「ちょっと待って! 心の準備がまだだから!」
とはいえ、変わったものもあれば、変わらないものもある。どうして仲町は平気な顔で私の体に触るようになったくせに、こういう時は緊張するんだろう。
放課後、いつものようにデートをしていた私たちは、その途中で雰囲気の良いカフェを見つけて二人で入ることにした。
そして、今。私は頼んだパフェを仲町に食べさせようとスプーンを差し出しているのだが、彼女は全く食べようとする気配がない。胸に手を当てて深呼吸をして、また胸に手を当てて。いい加減アイスが溶けてきているのだが。
「はい、時間切れ。私が食べちゃお」
「あっ! あぁー……」
机に滴り落ちそうになっていたから私が自分でパフェを食べると、彼女は恨めしそうな顔をした。
「……待ってくれてもよかったのに」
「溶けかけだったし。ほら、食べたいならまだまだあるから。拗ねないで」
「ちょっとだけ待って! 心の準備が——」
再放送かな?
私はちょっと呆れた。
私のこと面倒臭いって言うけど、仲町も割と面倒臭いところがある。でも、まあ。面倒臭いところも含めて可愛いし、好きなんだけど。
仕方がないから彼女が落ち着くまで待っているか。
そう思っていると、不意に入口のベルが高い音を立てた。
どうやら、客らしい。ちらと入口の方を見ると、そこにはクラスメイトの姿があった。私はあんまり仲良くないけれど、仲町と話しているところを何度か見たことがある子たちだ。
仲町のことだから、一緒にどうって誘ったりするかな。
「ちょっ……仲町?」
私の予想に反して、仲町はなぜかテーブルの下に移動していた。スマホでも落としたのかと思ったが、そうでもないらしい。
彼女は唇に人差し指を当てて、静かにしてと告げてくる。
えぇ……?
私は困惑しながらも、彼女の望み通り口を噤んだ。
「……私がいるってバレたら、声かけられちゃう」
小さな声で、彼女は言う。
「嫌なの?」
私も彼女に合わせて、ひそひそ声で言う。
彼女は少し迷った様子を見せてから、小さく頷いた。
「デート、だから」
思わず目を丸くする。そして、くすりと笑った。
確かに、そうだ。今の私たちは恋人同士で、デートをしているのだ。だから誰かに邪魔されず、二人だけで過ごしたいと思うのは当然である。
思えばこの前のデートの時も、眞耶に嫉妬していたっけ。
私はやっぱりまだ、独占欲とかはよくわからない。仲町は他の人と話している時も輝いているのだ。それに、私以外の人と話している時の彼女の表情もまた新鮮で、それを見る度に嬉しくなったりもする。
だから、他の人との関係も必要だとは思う。
私は足元に目を向けた。彼女は私を見上げている。
下から見られるのは新鮮だ。私はちょっとしたいたずら心で、彼女の体をきゅっと足で挟んだ。
抱きしめる時とはまた違った感触。仲町は、驚いた表情を浮かべている。
「春流ちゃん! あんまり脚広げると……」
「静かに。バレたらデートが台無しだよ」
私たちは店で一体何をしているのか。
ちらとクラスメイトたちの方を見ると、こちらには気づかずに談笑している様子だった。
仲町に目を戻すと、真っ赤になって私を凝視していた。
さっきとは違って、その目線はスカートに向いている。
相変わらず、仲町は仲町だ。
「私の下着見て、楽しい?」
にこりと笑って言う。
ごん、と大きな音がした。
仲町は頭を強くテーブルにぶつけて、ちょっと涙目になりながら私を睨んでいた。スカートの中を見たのは仲町なんだから、そんな睨まないでほしい。
机の下にいると痛い思いをすると思ったのか、彼女は渋々といった様子でソファに戻ってくる。
その時、視線を感じた。
「え。雛夏、何やってんの?」
「あ」
訝るような視線。
机の下から這い上がってきたのをバッチリ見られた仲町は、真っ赤な顔から一転、真っ青な顔になった。
「最悪だぁ……。絶対変態だって思われたぁ」
「事実なんだし、いいんじゃない?」
「よくないよ! うぅ……」
結局あの後、仲町の友達と一緒にお茶をすることになった。
私たちの関係を根掘り葉掘り聞かれたりで大変ではあったものの、口外するつもりがないのは彼女たちの態度でわかった。類は友を呼ぶと言うが、仲町の友達は仲町と同様良い子たちのようだった。
思えば私の友達なのに眞耶も良い子だよなぁ。私には勿体無いくらいに。
「まあまあ。あの子たちも、黙ってくれるみたいだしさ。そんなに気にしなくても」
「それはそうだけど……はぁ」
「そんなに落ち込む?」
「……だって、結局デート、中断されちゃったし」
「あー……」
確かに、色々あったせいでデートって雰囲気でもなくなってしまった。
しかし。
「今日で世界が終わるわけでもないし。明日でも明後日でも、また改めてデートすれば——」
言いかけて、気づく。
私は明日も明後日もその先も、仲町が隣にいることを当然のことだと思っている。自分の気持ちは、確かなものじゃないと思っていたはずなのに。
仲町となら、ずっと一緒にいられると確信しているらしい。
「……やっぱり今から、改めてデートしよっか!」
「春流ちゃん!?」
私は彼女の手を引いて、夜の街を歩き出した。
人工的な光に満ちた街は、なぜか妙に輝いて見える。それも、仲町が傍にいるからなのかもしれない。
「門限とか、大丈夫なの?」
「私はね。仲町も門限、ゆるいんだっけ」
「うん。でも、そうじゃなくても……春流ちゃんとなら、いくらでも」
ぎゅっと、彼女も手を握ってくる。
さっきまで落ち込んでいたのに、今度は太陽みたいな笑みを浮かべていた。その笑みが一番眩しくて、心臓が跳ねる。
仲町は、やっぱり。
世界一可愛い、私の恋人だ。
「よーし! そうと決まったらたくさん、たっくさんデートしよう! 補導されるまで!」
「やる気だねー、仲町」
「うん! 邪魔された分、楽しまないと」
「邪魔て。友達、泣くよ?」
「友達は大事だけど、それ以上に春流ちゃんとの時間の方が大事なの! 春流ちゃんとの時間は、一秒も邪魔されたくないんだから!」
「私のこと好きすぎない?」
「これでも足りないくらいだよ。私は春流ちゃんが他の人と話してたら嫉妬するし、春流ちゃんとの時間を邪魔されたら不機嫌になるし、いつだって春流ちゃんのことを目で追うくらい、重いんだから。……嫌いになった?」
仲町は、ちょっと臆病で嫉妬深い、私のことが大好きなだけの女の子だ。別に無垢でも無邪気でも、なんでもできるわけでもない。だからこそ私は彼女のことが好きだし、ずっと一緒にいたいと思っている。
「なるわけないよ。きっと、仲町のことはずっと……好きでいられると思う」
その言葉は、自然と口にできた。
仲町は、少し驚いた表情を浮かべる。
「前にさ。仲町と同じくらいの好きはあげられないって言ったけど、改めて確信したよ」
「え?」
「……だって、仲町が私のこと好きって気持ちより、私が仲町のこと好きって気持ちの方が、ずーっと大きいから!」
私が言うと、彼女は目を細めた。
「だったら私はそれよりもっと、もっと春流ちゃんのこと好きになる!」
「そしたら、私も!」
「なら私ももっともっともっと、もーっと!」
馬鹿みたいな会話だと思う。
だけどそれが、心地いい。
私たちはしばらく会話を続けながら、二人で街を歩いた。
「——ねえ、春流ちゃん!」
こうして話しかけられるのは、何度目だろう。
彼女から名前を呼ばれるのは、やっぱり好きだ。何度でも呼ばれたいってくらいに。
「私、春流ちゃんのこと好きになってよかった!」
彼女は、笑う。
私だけに向けられたその笑みは。
世界中のどんなものよりも綺麗で、可愛い笑みだった。
「……私も」
呟くと、強く手を握られる。
ようやく私たちは、ちゃんとした恋人になれたような気がした。
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