第37話
どちらでもよかった。
仲町が照れて何もしないようであれば、それはそれで可愛いと思う。本当に彼女がここで私を裸にするのであれば、それもまた、一興というやつだ。教室で裸になった私を見て彼女がどんな反応を示すのかにも、興味がある。
とにかく、仲町の行動が見たかった。
こういう時彼女はどんな表情で、どんなことをして、何を思うのか。
彼女の言う、私の魅力って?
もう、彼女の意志が固いことはわかっている。だから無理に別れようとはしないけれど。やっぱりその気持ちは、確かめたくなってしまう。
「……いいの?」
「ちょい禁句だね、それ。よくなかったら、言ってないよ」
「……じゃあ、するね?」
「ん」
こういう時の仲町の声は、普段の大きさが嘘であるかのように穏やかで、優しい。なんとなく、眠りを誘うような声だと思う。
私は小さく息を吐いて、目を瞑った。
彼女の手が伸びてくる気配を感じる。この前初めて彼女とした時は、私も色々ぐちゃぐちゃになっていて、よくわからないうちに終わってしまったけれど。改めてこうして脱がされるのは、ちょっと恥ずかしいような気もする。
私にも、こんな気持ちがあったんだな。
いや、あんまり痛い思いとか苦しい思いをしたくないからってクールっぽい顔をしているけれど、実際私はそんなにクールでも無感動でもないのだろう。
こういうのも、かっこつけたいお年頃ってやつなのかな。
そう思っていると、ブラウスに彼女の指が触れる。
びくりと体を跳ねさせると、彼女はそのままブラウスを軽く掴んで、引っ張った。
柔らかな感触だった。柔らかく、春を告げるような匂いがして、さらさらしたものが首筋に触れる。驚いて目を開けると、彼女に抱きしめられていることに気がついた。
「……仲町?」
「春流ちゃん。……よしよし」
仲町は私の背中を優しくさすってくる。
いつもの震える手とは違う、慈しみのようなものが感じられた。それはいいのだが、なぜ、今。
困惑していると、彼女は密着していた体を少し離して、私に笑いかけてきた。
「たまには私も、春流ちゃんのこと驚かせたいなって思って。……
ふふ、すごいびっくりしてる」
確かに、驚いた。
完全に予想外の行動だったから。
でも、それ以上に。
仲町の笑顔があまりにも綺麗で、私は何も言えなくなった。
「ほら、春流ちゃん。たまには子供みたいに、痛いくらいにぎゅってしようよ。これもきっと、恋人同士の特権だよ?」
見本を示すように、彼女は少し痛いってくらいに私を抱きしめてくる。
全力で人に抱きついたことなんて、数えるくらいしかない。私は恐る恐る彼女の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
あったかい。
柔らかさの奥に、人だーって感じの骨の感触がある。自分とは違う体温に、匂いに、どうしてここまで安堵するのか。わからないまま、もっと力を込める。痛みを感じるのは仲町のはずなのに、力を込めれば込めるほど胸が痛くなるような感じがした。
別に、何か落とし物をしたってわけじゃない。
人生で一度も後悔したことがないってのはあながち嘘でもなくて、あの時ああしておけばよかったなんて思ったことはない。
ない、けれど。
どうしてか今、ずっとどこかに置き忘れたものを見つけたような、そんな心地がした。
「春流ちゃんって、力弱いね」
「え」
「私の方が、ほら。ぎゅーっ」
「あ、ちょ、いたたたた! 骨折れるから!」
どうやらさっきまでは手加減していたらしい。
全力で抱きしめられると、骨が軋むような感じがする。そりゃあ、運動も得意なんだから筋肉は私よりもついているに決まっているか。いや、それはいいんだけど本当に折れてしまいそうです。恋人を亡き者にしようとしないでいただきたい。
「からの、どーん」
彼女はそのまま、床に私を押し倒してくる。
柔道の時間かって思うくらいの鮮やかさ。
私はこれまで、自分を弱いと思ったことはないのだが。もしかすると私って、意外に弱かったりするんだろうか。
フィジカルのことは詳しくないからわからないけど。
いや、ていうか。
「ちょっと、仲町?」
「さらにー。えいっ」
彼女は私の脇の下に手をやってくる。
さっきまで感じていた安堵はどこかに吹っ飛んで、ただ笑い声だけが喉の奥から吐き出される。
「あははっ、ちょっ、なんで!」
「たまにはいいじゃん! こういう子供っぽい遊びも!」
「だったら私にもやらせてよ!」
「やりたいなら、無理やりやってみせてよ!」
「無理っ! あはは! そういうの、弱いんだって!」
力で跳ね除けようにもうまくいかないのは明白である。
そのまましばらくくすぐられていると、不意に教室の扉がガラガラ音を立てた。
一瞬、空気が凍りつく。
見れば、眞耶が扉の向こうで呆れた表情を浮かべていた。
「……教室じゃなくて家でやりなよ。防犯カメラとかないけど、バレたら退学よ?」
「……何か勘違いしてない?」
「やー、雛夏ちゃんにもそういう欲求あるんだねぇ。ちょっと安心したよ、うんうん。じゃ、私はちょっとコンビニでパンでも買ってくるね。……いや、それより見張りやった方がいいか」
「何その気の遣い方」
「春流ちゃん」
「え? あっ、ちょ、仲町っ!」
誰かに見られたらさすがに終わらせるのが道理というやつなのではなかろうか。
私はそう思うのだが、仲町にはまた違った道理があるらしい。彼女は眞耶がいてもお構いなしに、私をくすぐってくる。
眞耶は少しの間私たちを眺めていたけれど、やがてバッグを置いて、こっちに飛び込んできた。
「楽しそうだから、私もやる! いいよね、雛夏ちゃん」
「うん。室井さんもおいでー」
「私の同意は?」
二人は私の言葉を無視して、私をくすぐり始める。
待て待て、二体一は卑怯すぎる。なんで二人して私を集中攻撃するんだ。
文句を言いたい気分だったけれど、それが許されるはずもなく。私はそのまま、他の子が登校してくるまで二人と格闘することになった。
小学生じゃあるまいに、朝からこんなじゃれ合い方をしないでいただきたい。
……私も仲町にダル絡みしたから、おあいこだろうけど。
私は思わずため息をついた。
「は、春流ちゃん? まだ朝のこと、怒ってる?」
朝の暴走っぷりが嘘であるかのように、放課後の仲町は静かだった。いたずらをして怒られた後の小型犬みたいに、私の顔色を窺っている。
正直、別に怒ってはいないけれど。
仲町の反応が面白いというか、可愛くて、つい怒っているふりをしてしまっている。でもそろそろやめないと、さすがに彼女が可哀想だ。
今日は朝から、仲町の新しい一面を知ることができてよかった。
私は首にかけたハンディファンのスイッチを入れて、彼女に向けた。
風でふわりと前髪が持ち上がって、普段はあまり見えない彼女の眉が見える。こうして見ると、眉の形もいい気がする。額を出すような髪型も、彼女には似合うだろうな。きっと、どんな髪型だって似合うだろうけど。
「……あはは。可愛い顔してる」
「……は、るちゃん?」
「怒ってないよ。私、仲町に怒ったりなんてしない」
「……ほんとに?」
「ほんとほんと。きっと、仲町がすることならなんでもいい」
「じゃあ……」
小さな風の中で、彼女はゆっくりと手を私に近づけてくる。
そして、私の両頬を摘んで、引っ張った。
「わ、柔らかい。……怒った?」
怒らないってわかっているのに、聞いてきている。
それは、彼女の微笑みをみれば明白だった。
頬を引っ張られたくらいで怒る人の方が珍しいようにも思うけど。私は不恰好な笑みを浮かべてみせた。
「おこらないよ」
「これでも?」
ぐにぐにと、彼女は私の頬を左に右に引っ張っていく。
それでも私が怒らないのを見てか、しばらくすると彼女は頬を解放してきた。ちょっとだけひりひりする。
「……駄目だなぁ、私」
彼女は、ぽつりと言う。
私は首を傾げた。
「春流ちゃんの嫌がることとか、怒るようなことはしたくないってずっと思ってきたのに。……今は、春流ちゃんに怒られたい」
そう言って、彼女は私の顔を覗き込んできた。
その瞳はいつも通り、綺麗だった。
「もっと春流ちゃんの色んな顔が見たい。いい顔だけじゃなくて、悪い顔も。たくさんぶつかって、もっともっと好きって言って、これからも生きていきたい。……だから、いつか。春流ちゃんのこと、怒らせてみせるね」
「……そうだね。私も、仲町に怒れる日が来たら。そりゃもう、三日三晩怒り続けるよ」
「え、それはちょっと……」
私はくすくす笑って、彼女の前を歩いた。
「ほら仲町、行こ! ついてこないと、怒っちゃうよ!」
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