第36話
金色は母の色で、高校生になったらその色にしようって決めていた。私はあの人の子供で、あの人に似ているんだってことを決して忘れないようにするために。でも、最近はその必要もないのかな、と少しだけ思うようになった。
「おはよー、春流ちゃ——」
朝。教室に入ってきた彼女は、私を見て驚いた表情を浮かべた。
厳密には私を、ではなく私の髪を、だろうけど。
「は、はるちゃん! どうしたの、その髪!」
「ん。金はもういいかなって思って、地毛に近い色に染め直した。……似合わないかな?」
「に……」
「に?」
「似合ってるよ! この世で一番綺麗だと思う!」
仲町は相変わらずである。
私は笑いながら、ちょいちょいと手招きをした。彼女は私の方にやってきて、興味深そうに髪を眺めてくる。
「髪、触りたそうだね」
「……うん」
「あはは、そんな髪触るのっていいかね。……まあ、じゃ、どうぞ」
私はわかりやすく、腕を広げてみせた。
仲町もそろそろ私に触るのに慣れてきたかな、と思っていたけれど、やっぱり彼女は緊張気味だった。その震える指先の感触が、ちょっと微笑ましくて心地いい。
私は彼女に身を委ねた。
指が髪を梳かす感覚に、安堵する。人に触られてこんなに穏やかな心地になるのは、久しぶりかもしれない。やっぱり仲町は、不思議だ。
「金髪も、似合ってたけど。この色も綺麗でいいね」
「ありがと。でも、仲町には負けるよ」
「ううん。春流ちゃんより綺麗な髪の人なんていないよ」
「大袈裟な。……仲町は、髪染めたりしないの?」
ぼんやりした会話。
朝早く来るように昨日頼んでおいたから、今は教室に二人きりでいられている。別に何があるってわけではないのだが、この髪の色を仲町には一番に見せたかったのだ。
その人の好きな色に染めたくなる気持ちは、まだ理解できないけれど。
髪を染めたら一番に見せたくなるこの気持ちもまた、好きってことなのかもしれない。母にとっての好きではなく、私にとっての好きの形なのだと思うと、それも愛おしくなる。
仲町はいつも全力で私を褒めてくれる。そのまっすぐな瞳で、言葉で、射貫かれる度に鼓動が速くなるのだ。
「私、髪傷みやすいんだ。だからやめとこうかなって」
「あー。確かにブリーチとかしたらやばそうな髪質だもんね。まあ、仲町はそのままでも綺麗だし、いいか」
「……」
仲町は一瞬、沈黙する。
私は彼女の方を振り返った。
耳まで真っ赤になっている。
今、そんな照れるようなことあったかな?
「やっぱり、はるちゃんって」
彼女の唇は、薄くて小さい。
それに対して何かを思うことなんて、去年はなかったけれど。今はその唇の触り心地の良さを知っているから、つい触れたくなってしまう。
「口説き慣れてるよね。……ずるい」
「むしろ仲町が褒められ慣れてないんじゃない? これまで散々色んな人から褒められてきたでしょうに」
「春流ちゃんの褒め言葉は特別なの!」
変わったようで変わらないなぁ、と思う。
他の誰ともしないような触れ合いをした後でも、やっぱり仲町は照れ屋で全力で、いっつも真っ赤だ。
そういうところも、大好きだけど。
「もー、ほんと。春流ちゃんは、春流ちゃんなんだから」
彼女はぶつぶつ文句を言っている。
私はゆっくりと立ち上がって、彼女の頬に手を添えた。
え、とかあ、とかそういう声が聞こえた気がしたが、気のせいだと思うことにして。そして、私は彼女の唇にそっとキスをした。
なんで今キスしたのかは、自分でもよくわからない。
ただ確かなのは、この胸には仲町への好きって気持ちが詰まっているということだけだ。それを少しでも伝えるように、色んな角度で唇をくっつけ合う。
仲町は、照れているだろうな。
そう思って、自動的に閉じていた目を開ける。
彼女は真っ赤だったけれど、私と目が合うと、自分からキスをしてくる。ただ触れ合うだけじゃなくて、舌を私の唇にちょんちょんくっつけて、入れてって伝えてくるのが可愛らしかった。
今はそういう気分ではなかったが、まあ、いいか。
彼女の舌を受け入れると、彼女ははしゃぐ子供みたいに舌を動かしてくる。弾んだ動きには、彼女の好きが詰まっていた。
仲町は、むっつりさんだ。
「……ふふ。私、春流ちゃんとするキス、好き」
「他の人とするより?」
「……他の人となんてしたことないし、今後することもないって、わかってて言う春流ちゃんは、ちょっとめんどくさいと思うよ」
「うわ、ついに言ったね」
「事実だもん」
段々遠慮がなくなってきたなぁ。
でも、それでいいと思う。
これでも私たちは、恋人なのだ。いつまでも他人行儀に、お互いを褒め合うばかりでは駄目なんだろう。
「じゃあ私も言うけど、仲町ってやらしいよね」
「やらっ……!? ど、どこが!」
「いや、今みたいにふつーにキスするタイミングで舌入れようとしてきたりとか」
「気分が盛り上がっちゃったんだから仕方ないじゃん! それに、春流ちゃんだって受け入れてくれたくせに!」
「そりゃそうだ。私、仲町のこと好きだからね」
にこりと笑って言う。
仲町は、また赤くなる。
まだ、この気持ちがずっと続くかはわからない。だけど今ここにある気持ちは決して嘘じゃなくて、仲町が仲町なら、何度だって彼女に恋できると思う。
「……あ、でも。仲町さ、私が前屈みになる度に胸見るのはやめた方がいいと思うよ」
「……っ!? み、見てないから!」
「ほんとに? 私の目を見て言える?」
「……ほんとは、見てた」
正直だ。
別に、誤魔化してもいいのに。
ていうかほんと、仲町は私のことが大好きだよな、と思う。見ていて楽しい体でもないと思うのだが、どうなんだろう。特別背が高くて手足が長いとか、肉付きいいとか、そういうのもないし。華奢で可愛らしい感じでもないしなぁ。
「そかそか。別に、ちら見しなくても見たければ言ってくれればいいのに」
「春流ちゃんの胸が見たいーって? ……それ、恥ずかしすぎない?」
「色々今更でしょ。そもそも、全部見せてる仲なのに」
「……う」
あの時はあんまり恥ずかしがってなかったのに、今になって恥ずかしがるのが仲町という人だ。
本当に、興味が尽きないと思う。
「参考までに聞くけど、私の体ってどこがそんな魅力的? 自分じゃわかんなくて」
「全部」
仲町は即座に断言する。
私は目を丸くした。
「……わお」
「春流ちゃんの見た目とかを好きになったわけじゃないけど。でも、顔も可愛いし肌も綺麗だし、その……とにかく、頭のてっぺんから足のつま先まで全部好き!」
直球である。
仲町がそう言うなら、それでいいんだろうけど。私はまだそういう魅力とやらがわからないわけで。
仲町はこの前、私のことを悪い女じゃないと言っていた。でも、ほんとかな、と思う。
母とのことがあって、初めてを嫌いになって。忘れないようにと、母の真似をして周囲を遠ざけたりもして。結局そういう行為の裏に隠された本当の私は、いつだって臆病で怖がりで、人の気持ちを確かめようとせずにはいられないのだ。
人の感情の移ろいが、私は怖い。
だから「嫌いになった?」という言葉を何度も口にして、変わらない仲町に安堵したりもしていた。
人を試すとき、自分もきっと試されている。
本当の私は、果たして仲町にはどう見えるのだろう?
「じゃあ、仲町」
臆病な私は、笑う。
傷つかないように、苦しまないように。
「ここで私のこと、裸にしてよ」
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