わるいおんな③

「ま、そんなわけで。昔っからお母さんに似てるって言われてきた私は、きっとそういうところも同じなんだろうなって」


 あっけらかんと、彼女は言う。


「だから。仲町を好きになって、怖かった。好きになっちゃったら、あとは冷めてくだけで、私もお母さんみたいに仲町にひどいことしちゃうんじゃないかって。……仲町には、失礼だと思うんだけどね」

「……違う」

「仲町?」

「違うよ、春流ちゃん」


 私は呟いた。

 色々、言いたいことはある。でも、一番は。


「春流ちゃんは春流ちゃんで、お母さんはお母さんでしょ? 似てようとなんだろうと、同じじゃない」

「それは……」

「好きじゃなくなるかもとか、そんなの。……未来のことなんて、心配したってしょうがない。今、私は春流ちゃんのことが好き。春流ちゃんも、私のことが好き。それの何がいけないの?」


 春流ちゃんの不安は、私にはきっとわからない。ほとんど悩みもなく、平和で幸せに生きてきた私に、春流ちゃんの苦しみを本当の意味で理解することなんてできないんだろう。それでも私は、春流ちゃんの恋人だ。


 春流ちゃんが苦しんでいるなら、力になりたい。支えになりたい。二人で足並みを揃えて、一緒に生きていきたい。

 この気持ちだけは、嘘じゃない。


「私の見てきた春流ちゃんは、ずっと優しかった。最初は私に全然興味なかったけど、それでも! 他の人とは違う、優しくてあったかい言葉を、いつだって私にくれた! だから、春流ちゃんにも。……春流ちゃんにも、私の好きな人を、好きになってもらいたいよ」


 春流ちゃんが自分のことを信じられなくても、好きじゃなくても、私は春流ちゃんのことが好きだ。


 できることならば、春流ちゃんにも自分のことを好きになってほしい。……だって。


「春流ちゃんは、たくさん魅力のある人だよ。優しいし、綺麗だし、可愛いし、私のことまっすぐ見てくれるし! 自分が思ってるほど、悪い女なんかじゃないよ!」


 私の言葉は、彼女に届いていないのかもしれない。

 どうしたら届かせられるのかも、わからない。


「……それに。もし、春流ちゃんが私のこと好きじゃなくなったら。もう一度、ううん、何度だって私のこと、好きにさせてみせる。惚れ直させてみせるよ」


 彼女の瞳をまっすぐ見つめて、言った。

 私は空っぽかもしれない。つまらない人間かもしれない。だけどそんな私を肯定してくれたのは春流ちゃんだ。私の魅力を信じて、いつだって綺麗な響きで「可愛い」と言ってくれたのは、彼女だ。


 だから、私も自分を信じたい。

 もし彼女が私にちょっと興味がなくなったって、何度だって興味を持たせられるって。好きになってもらえるって。


 私は自信を春流ちゃんにもらった。だから、春流ちゃんにもそれを、少しでも返したい。


「私、そんないい人じゃないよ。仲町に、好きになってもらえる人でもない」

「それを決めるのは、私だよ。私は春流ちゃんが好き。春流ちゃんの魅力を知ってる。信じてる。春流ちゃんが春流ちゃんのこと、好きじゃなくても」


 彼女がよく「嫌いになった?」と聞いてきていたのは、自信がなかったからなのかもしれない。彼女は好きが消えることを恐れていて、だからそれを確かめようとしていたのかも。


 でも、そんなのは必要ない。

 だって、私は。


「春流ちゃんが好き。大好き。世界で一番好き。宇宙で、一番。誰よりも、他の何よりも、春流ちゃんが好き。大好き! 好き、すきすき、好きなんだぁ!」


 私はありったけの感情を込めて叫ぶ。近所迷惑になるんじゃないかってくらいに。でも、それくらいじゃないと、この気持ちは百分の一も彼女に伝わらない気がした。


「……私も。私も、仲町が好き。世界で、一番」

「じゃあ、両思いだ。これで、ちゃんとした恋人になれるね」

「……ほんとに、いいの?」


 それは、かつて私がよく口にしていた言葉。

 私たちはきっと、お互いに臆病なのだ。


 気持ちはあまり目に見えないから、確かめないと不安になる。……でも。


「いいよ。いいの。私は、春流ちゃんがいい。春流ちゃん以外を好きになんて、なれない」

「……うん」


 強く彼女の手を握る。

 彼女も同じタイミングで、私の手を強く握ってきた。


 見つめ合うと、自然に唇が近づく。私たちはそのまま、どちらからともなくキスをした。また、触れ合うだけのキスを。


「まだ、好きって気持ちを全部は信じられないかもしれないけど。……信じられるように、頑張るから。これからも仲町の恋人でいても、いい?」

「もちろん。……ていうか、もう春流ちゃんがやだって言っても離さない。ずっと、恋人でいたい」

「……仲町は、素直だなぁ」

「それが私のいいところですから」


 顔を見合わせて、笑い合う。

 思えば彼女と恋人になってから、色々なことがあった。二人でたくさんの時間を過ごしてきて、前は自然に話せなかったことも、自然に話せるようになって。何気ない時間の積み重ねが愛おしくて、明日も明後日も彼女と一緒にいたいってなる。


 好きは決して、良いだけの感情ではないけれど。悪いところも含めて、好きという気持ちなのだと思った。


「……これ飲んだら、お風呂沸かそっか」

「そうだね。汗、すごいかいちゃったし」

「仲町、すごかったもんね。雨に降られたみたいになってた。私も人のこと言えないけど」

「……う」


 多少麻痺していたとはいえ、やっぱり好きな人としたらそうなるのも仕方ない。バケツで水でもかけられたんじゃないかってくらいに汗をかいてしまったから、正直早く汗を流したいと思う。


 私はそっと、湯呑みを持ち上げた。

 口をつけてみると、優しい味がする。

 やっぱり春流ちゃんは、春流ちゃんだ。


「……ふふ」


 不意に、彼女は笑う。

 首を傾げると、春流ちゃんは私の頬を軽く突いてきた。


「仲町がお茶飲んでる姿、すごい様になるなぁ。さすがだね」

「え、う。あ、ありがとう……」

「今更照れなくても」

「だって! 春流ちゃんの褒め言葉は、人を照れさすの!」

「なんじゃそりゃ」


 彼女はくすくす笑う。私はちょっとだけ、眉を顰めた。春流ちゃんは自分の言葉の威力をわかっていないのだ。こんな調子じゃ、室井さんも苦労したに違いない。


「……春流ちゃんは、可愛かったよ」

「うん?」

「さっきの春流ちゃん、いつもとは比べ物にならないくらい子供っぽくて、可愛かった」


 お返しってわけじゃないけれど。

 春流ちゃんに倣って褒めてみると、彼女は柔らかく微笑んだ。


「そっか。……仲町が褒めてくれるのは、嬉しいよ」


 ずるい。

 そんな優しく微笑まれたら、もう何も言えない。


 もっと照れてくれればいいのに、と思うけれど、春流ちゃんのこういうところも結局好きで。やっぱり春流ちゃんは、誰よりも魅力的だ。


「……さて! お風呂、どっちが先入るかじゃんけんでもしよっか」


 いつの間にかお茶を全部飲み終わったらしい彼女は、立ち上がって言った。


「仲町はそこでゆっくりお茶飲んで待ってて」

「わ、私もお風呂沸かすの手伝うよ!」

「お客さんなのに……」

「お客さんは、きっとこういうところで素足にならないよ」


 私は、笑いながら言う。

 私の靴下を脱がせたがったのは、私に家族みたいになってほしいからなんじゃないかな。今になって、そう思った。


「ふふ、そうだね。お客さんは、そう簡単に脱がないか。……靴下も、服もね」

「え? あっ」


 そういえば。

 さっきから、全部脱いだままだった。

 ……あれ?


 全裸のまま好きとか言うって、私相当恥ずかしいことをしてしまったのでは?

 今になって顔が熱くなってくる。


「お風呂沸かす前に、ちゃんと服着ないとね」

「……春流ちゃんは、いつの間にかちゃんと着てる」

「油断してるって言われちゃうからね。仲町が裸のままでも、私としてはいいけどね」

「え。……見たい、の?」

「そりゃ、好きだからね」


 じゃあこのままでいようかな、と思ったけれど、さすがに恥ずかしいからやめておく。このまま過ごしていたらその内私は爆発してしまう。


 私はいそいそと服を着始めた。

 そんな私の姿を、彼女はにこにこ眺めている。もっと興奮してよ、と少し思うけど。さっきはドキドキしてくれている感じだったから、我慢する。


「やっぱりお風呂、一緒に入ろっか?」


 彼女が、言う。


「また仲町の肌が見たくなってきたかもだから」

「え、えぇー」

「あはは、冗談冗談——」

「……私も春流ちゃんのこと、見ていいなら。一緒に入ってもいいよ」


 私は一体何を言っているんだ。

 これも全部春流ちゃんのせいだ。春流ちゃんがあまりにも飾らないから、私も変になっているのだ。春流ちゃんの馬鹿。好き。


「……いいよ。私のこと、隅々まで見てもね」

「すっ……え、ほんとにいいの?」

「あ、禁句」

「だ、だって! 私、そんなこと言われたら抑えられなくなるよ?」

「いいってば。むしろ抑えられなくなった仲町のこと、見たいな」

「……知らないからね?」


 結局私たちは、二人でお風呂を洗って、二人で入ることになった。


 宣言通り私は彼女をじっと眺めていたけれど、途中で恥ずかしくなって湯船に沈んだ。彼女はそんな私を楽しそうに見ていて、その表情を見られただけでも、一緒にお風呂に入ってよかったって気持ちになった。


 ……のぼせてしまって、後で死にそうにはなったけれど。

 彼女が介抱してくれたのが、嬉しかった。

 やっぱり私は、悪い女だ。

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