わるいおんな②

 彼女の気持ちに当てられてか、私は普段では考えられないくらい大胆になっている。だけど、ここで引いたら全部終わりだ。


 私は顔がどこまでも熱くなるのを無視して、彼女を見つめる。

 春流ちゃんは少し迷ったように目を伏せてから、やがて意を決したように私の体を見てくる。ここまでじっと見られるのは初めてだから、心臓がさっきよりもうるさくなっていく。


「……どう?」

「火傷はしてない、と思う。ちゃんと綺麗なままだよ」

「そっか」


 するべきことは終わった、とでも言わんばかりに、彼女は私から離れようとする。私は彼女が立ち上がる前に体を起こして、そのままソファに彼女を押し倒した。


 きょとんとした表情が、珍しかった。

 彼女のお腹の上に乗ると、布の感触がいつもより強く感じられる。


「ねえ、春流ちゃん」


 私にできることはなんなのか。そもそも、できることなんてあるのか。わからないけれど、今は。


「しよっか」


 呟く。

 主語を無くした言葉に何を思ったのか、彼女は微かに目を見開いた。


「……何を?」

「セックス」


 言葉をぼかすことはできた。でも、今ははっきり伝えたかった。曖昧なままじゃ、きっと何も伝わらないから。


「な、んで?」

「言葉じゃ何を言っても、駄目かもしれないから。私の気持ちも、春流ちゃんの気持ちも。確かめるにはそれしかないかなって」

「……それは」


 春流ちゃんのブラウスに手をかける。

 抵抗されたらどうしようって、不安だったけれど。普段と全く異なっているのは、私だけじゃなくて春流ちゃんも同じらしい。抵抗する素振りはなく、ただ力を抜いている。それがどれだけ嬉しいことかは、きっと私以外にはわからないのだと思う。


 一個、二個、三個。

 ボタンを外すごとに、息が上がる。前に見せてもらった時とは全く状況が違って、気づけば指先が震えそうになってしまう。


 だけど彼女に手を重ねられると、震えも止まる。

 いいんだよって、言われている気がした。

 だから私は、ボタンを全部外した。


「……春流ちゃんも、綺麗だよ」

「……う」

「あはは。いつも私のこと、褒めてくれるのに。言われるのは恥ずかしいんだ」


 春流ちゃんは、可愛い。

 他の人は知らない彼女の表情は、この世で一番綺麗だった。胸が高鳴る。春流ちゃんのこんな表情は、私しか見られない。そう思うだけで、これまでの嫉妬心も薄れていくような感じがした。


 私はそっと、彼女に触れる。

 びくり、と体が跳ねた。さっきより、強く。


「嫌?」

「嫌じゃ、ないけど。……仲町に触られてると、変になりそうで」

「なっていいよ。私も、きっと変になってるから。春流ちゃんにも、そうなってほしいな」

「……仲町」

「うん。春流ちゃん」


 何度呼び合っても、名前を呼び合うのは心地いいと思う。

 私はそっと、彼女の下着に手をかけた。


 ずっと、こういうことがしたかった。だけど色々考えて、できなかった。だから今は、ドキドキするけど嬉しい。ちゃんと彼女の気持ちも感じられて、私の気持ちも伝えられているはずだ。それならもう、ためらう必要もないんだと思う。


 私はそっと、彼女にキスをした。

 最初はただ触れ合わせるだけのキスをするつもりだったのに、何度もちゅって音を立てながらキスしていると、段々それだけでは足りなくなっていく。


「春流ちゃん、好きだよ」

「な、かまち」


 離しては、くっつけて。

 それを繰り返すうちに、くっつけている時間の方が長くなっていく。舌を差し入れて、彼女の感触と熱を感じながら、一本一本歯をなぞっていく。私たちの存在そのものが、混ざっていくような感じがした。


 熱い。胸が痛くて、騒がしい。

 だけど、同時にどうしようもなく幸せだった。


 もっと、彼女を感じたい。私を感じてほしい。そんな気持ちに任せるままに、彼女に触れる。


 そして、唇だけじゃなくて、もっと奥に。

 他の誰にも触れさせないような場所に、指を這わせた。





「お茶、今度は私が淹れてくるよ」

「あ、うん。お構いなく……」


 気づけば日はすっかり沈んで、辺りは暗くなっていた。窓から見える街は人工的な光に満ちていて、少し目に染みるような感じがする。


「くしっ」


 エアコンの風が寒くて、思わずくしゃみをする。

 すると、後ろから何かを背中にかけられた。

 見れば、それはブランケットのようだった。


「お茶が入るまで、それで待ってて」

「……うん、ありがと」


 やっぱり春流ちゃんは、優しいと思う。

 かなり汗をかいたせいで、体が冷えている。さっきまで彼女の熱を感じていたから、余計に寒かった。


 私はじっと、自分の指を見つめた。

 まだ、彼女の感触が残っているような気がする。そっと指を唇に当てると、それだけでまた鼓動が速くなるような感じがして。


 どれだけ春流ちゃんのことが好きなんだって、自分でも呆れるくらいだけど。

 でも好きなものは好きなんだから、仕方ない。


「……仲町、何してるの?」

「えっ、あっ、な、なんでもないよ!」


 もうお茶が入ったらしく、彼女はお盆を持ってこっちに帰ってくる。

 私は慌てて唇から指を離した。


「……恥ずかしいから、あんまり思い出さないで」

「なんで? 春流ちゃん、可愛かったよ?」

「……いつも恥ずかしがりなのに、そういうところあるよね、仲町は」


 小さく息を吐いて、彼女は私の隣に座ってきた。

 人一人分の間を開けて。

 私はその隙間に手を置いた。


 すると、彼女の手が重ねられる。ぎゅっと握ると、握り返された。二人合わせて、十本の指。その一本一本が重なって、絡まって、一つになる。


 キスするのも好きだけど、こうして指を絡ませて、ただお互いの存在を感じるというのもまた、好きだった。


 深く息を吐く。

 飯島春流という存在の奥深くに、沈み込むように。


「今日、泊まっていきなよ」


 春流ちゃんが言う。

 なんでもない声が、ひどく愛おしい。


「うん。あとで親に連絡しとくね」

「……ありがとう」

「こっちこそ。春流ちゃんのお家にお泊まりできて、嬉しい」


 なんとなく、彼女の方を見る。

 彼女も私を見ていた。


「やっと、目が合った気がする」

「さっきも散々目ぇ合わせてたのに」

「そうだけど、そうじゃないんだ」


 私はもう一度、軽く彼女にキスをした。

 彼女は子猫みたいに、目を細める。


「キス好きだね、仲町は」

「私はキスが好きなんじゃなくて、春流ちゃんが好きなの」

「じゃあ、これからキスできなくても大丈夫?」

「だ、いじょ……ばないです……」

「あはは、だよね。……私も大丈夫じゃないけど」


 きゅっと握られた手が、彼女の膝の上に乗せられる。

 春流ちゃんの感触が強くなった。


「好きだよ、仲町」

「私も。……別れるって言った理由、聞いてもいい?」


 ずっと聞けなかった言葉が、意外にもするりと喉から出てくる。

 体を重ねただけで言葉が出てくるようになるのは、現金というかなんというか。我ながら単純な気がしないでもないけれど。だけど、好きな人と初めてそういうことをしたのなら、少しくらい浮かれても許される気がする。


 春流ちゃんは、今何を感じているのかな。

 私と同じだったら、嬉しいけど。


「……私ね。昔から、お母さん似ってよく言われてきたんだ」


 小さな声で、彼女は言う。

 普段の彼女からは想像できないくらい、今の彼女は弱々しい。


 そんな彼女を優しく包み込めるような恋人になれたらいいのに、と思う。今の私はまだまだ弱くて、ぎゅっと手を握ることしかできないけれど。


「顔も髪色も、性格もね。私、お母さんのこと好きだったから。当時は無邪気に喜んでたっけな」


 懐かしむような声。

 その声は、どこか寂しそうな感じだった。


「お母さんがね。昔言ってたんだ。好きな人の好きな髪の色に合わせたくなるくらいの気持ちが、好きってことなんだって。……だから私も、好きな人ができたらその人の好きな色にしよっかな、とか思ったり」


 春流ちゃんの言葉は、流れるようだった。

 私は何も言わず、彼女の言葉に耳を傾ける。


「綺麗に染められた黒い髪が好きだった。だって、それはお父さんのことが好きだって気持ちだから。……でも」


 彼女は、深く息を吐く。

 色んな感情を全部、吐き出すみたいに。


「いつの間にか地毛の茶色に戻って、気づいた時には金色になって……最後には、いなくなっちゃった」

「それは……」

「そ。新しい男、見つけたんだってさ。……ねえ、仲町」


 春流ちゃんは、私をじっと見つめてくる。

 彼女の瞳は、ひどく揺れていた。

 見ているだけで、不安になるくらいに。


「その人のために髪を染めたいって思うくらいの気持ちが冷めるのって、どうしてなんだろうね?」

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