せかいでいちばん③
「昔ってさぁ。ゲーセンは不良の溜まり場で、めっちゃ治安悪かったらしいよ。びっくりだよね」
クレーンゲームをしながら、室井さんは言う。
彼女はだいぶ手慣れた様子で、ゲームセンターを楽しんでいる。
私はどんな顔をすればいいのかわからなかった。
「今じゃこんなファンシー空間って感じなのにね。ほら、平日の夕方でも子供いるし。やー、人にも場所にも、複雑怪奇な歴史ありってやつなのかな?」
あまりこういうところに来たことはないけれど、危険だってイメージはなかった。確かに室井さんの言う通り、人にも場所にも歴史があるのだろう。私たちは積み重ねられた歴史の上に立ってはいるけれど、今のことしか実感はできない。
この楽しげな空間にも、治安の悪かった頃があるのか。
そう思うと、不思議な感じだった。
「私にもあるんだけどね。聞くも涙、語るも涙な歴史が。……聞きたい?」
「うん。室井さんのこと、もっとよく知りたいな」
「……あはは。さすが雛夏ちゃん。善の者だねー」
アームがお菓子を掴んで、少し引っ張る。傾いたお菓子は出口にちょっとずつ近づいていた。
「まあ、別にそんな複雑ではないよ。昔っから私はこんな感じで、てきとーにのんびり暮らしていたわけだ」
彼女はじっと、クレーンゲームを見ている。
だから私も、彼女に倣った。
「友達はそれなり。両親との仲は結構良さげ。まー不自由なく暮らしてたんだけどね」
私と同じだ。
もしかすると、大抵の人は私たちと似たような暮らしをしているのかもしれないけれど。
当たり前に両親がいて、友達がいて、楽しく暮らせる。それは、決して普通のことなんかじゃないんだと思う。
「そんな時に出会ったわけだ。なーんか、会ったことないタイプの変人に」
「それって……」
「びっくりしたよ。あの子、私に興味ないんだもん。これでも愛され系キャラで売ってたのに」
彼女は昔から変わっていないのだろうか。
ゲームセンターに歴史があるように、彼女にもきっと歴史がある。今日の彼女に繋がる、歴史が。
「だから私、ムキになってさぁ。こっち見ろこのー! って感じで」
「ふふ、わかるかも。最初は色々、びっくりするよね」
「ね! 友達普通にいるくせに、周りに興味ないって感じが透けてるんだもん。……他の人は、気づいてなかったみたいだけど」
いつの間にか、お菓子は落ちる寸前になっている。大容量のキャラメルは、彼女が喜びそうな感じだ、と思う。
カフェオレにキャラメルをつけたら、彼女も笑顔になってくれるのかな。
「で、頑張って友達になったら、それはそれで沼で。いつの間にか、夢中にさせられてた。だってあやつ、すっごいまっすぐなんだもん。ぜんっぜん恥じらいもなく全力で褒めてくるんだから、その気になるって」
「……うん」
わかる。
室井さんの気持ちは、痛いほどに。
彼女は、不思議な人だ。これまで会ったどの人よりも読めなくて、不思議で、でも、温かい人。
「でもさ。友達になっても結局、踏み込めないんだよね。見えないラインが引かれてて、小学生の頃からずーっと、付かず離れず。いい加減本心見せてみろー! って思ってたんだけど」
ここに来て初めて、室井さんは私の方を見た。
がしゃん、と音がする。
お菓子は出口に落ちて、取り出されるのを待っている。
だけど私も、室井さんの目を見つめた。
「……すごいよね、雛夏ちゃんは」
「え?」
「私は五年近く、ずーっと春流の心の入り口でぐるぐるしてただけなのに。雛夏ちゃんはいつの間にか、春流の深くに潜り込んでた」
「それは……」
私は小さく息を吐いた。
「私なんて、全然駄目だよ。室井さんが言うほど近づけてない。……だって、別れようっと言わせちゃったもん」
「……それだよ」
「え?」
「春流は、人を傷つけるようなことは普段絶対言わない。そもそも雛夏ちゃんと付き合ったこと自体青天の霹靂だったし。私の知ってる春流なら、別れようなんて言うはずない」
平坦な声で言ってから、彼女はキャラメルの入った筒を取り出す。
その中から袋を出すと、そのまま私に差し出してくる。
いいのかな、と思いながら、それを受け取った。
「多分、雛夏ちゃんの見てきた春流は、私も……誰も知らない春流なんだと思う。春流の心に踏み込めるのは、雛夏ちゃんしかいないって気がする」
春流ちゃんと昔から付き合いのある彼女にそう言われるのは嬉しい。嬉しい、けど。
「……でも、私。何を言えばいいのかわからないよ。春流ちゃんが暗い顔しても、どうしてって聞くこともできなかった。何もできなかった。私は、春流ちゃんの言葉に救われてきたのに」
「……雛夏ちゃんさ。春流のどこが好き?」
彼女は、問う。
考える必要はなかった。
私は間髪を容れずに答える。
「いつも自然に私を褒めてくれるところ。優しいところ。ちょっと不思議な雰囲気があるところ。変なこと言ってきたりするところも、実はすごい可愛いところも、綺麗なところも、全部……全部が好き」
そうだ。
どうあれ私は、飯島春流が好きだ。
彼女にどんな歴史があっても、その内心がどんなものでも、彼女が彼女がであることには変わりないのだから。
だから、彼女のどんな想いもきっと好きで、この気持ちは変わらないんだと思う。
私の言葉に、室井さんは笑った。
「そこまで言えるなら大丈夫でしょ。春流がどれだけ拒否っても関係ないよ。雛夏ちゃんはまだ春流の恋人なんでしょ? なら、どーんとぶつかってみなよ。いちゃつくだけが、恋人じゃないしね」
「……室井さん」
「個人的に、今の春流は辛気臭くてやだから。もっと可愛い顔で私を褒めろ! って毎日思ってるよ」
彼女は笑う。
少しだけ、わざとらしい笑みだった。
「ありがとう。私、ぶつかってみるよ」
「ん。どーいたしまして。……春流、キャラメル好きだから。渡したら喜ぶよ。多分ね」
「うん。室井さんからって、ちゃんと言っとくよ」
「それは別に言わなくても……いや、いいや。そういうとこもきっと雛夏ちゃんの魅力なんだろなー。……春流のとこまで、案内は必要?」
「大丈夫」
「……そっか。じゃ、また教室で。いい報告、待ってるよ」
私は彼女にもう一度お礼をしてから、小走りになった。
春流ちゃんに電話をかけようかと思ったけれど、やめておく。変に電話をかけたら、彼女は私と会ってくれなさそうだ。
家に帰っているかはわからないが、いっそ待ち伏せするというのも一つの手だ。
ストーカーっぽくて、あれかもだけど。
歩いていると、不意にお茶屋さんが目に入る。前に彼女の家に行った時のことを思い出す。自分でお茶を淹れて飲まないのに、私のために茶葉や急須を用意してくれていたこと。
重かったかな? と問う彼女は、意外にも少し恥ずかしそうで、それが可愛かったのをよく覚えている。
街を歩けば、彼女との思い出にぶつかる。
ありふれた街並みと一緒に心に染みついた彼女の笑顔が、いつだって鮮明に思い出せる。
やっぱり私は、春流ちゃんのことが好きだ。
思わずお茶屋さんに足を踏み入れると、甘いお茶の香りと共に、また別の匂いがした。春みたいに優しくて、私を包み込んでくるようなその匂いは。
まさかと思って店の奥の方を見ると、レジで何かを買っている高校生の姿があった。
思わずその手を掴む。
振り返ったその顔は、ひどく驚いた感じだった。でも、きっと私の方が驚いている。
あれからたくさん、春流ちゃんと一緒の時間を過ごしてきた。私の好きな茶葉だって、少し前に教えている。
レジ袋に入った茶葉は、確かに私が以前好きだと教えたもので。
それを見ただけで、胸がぎゅってなる。
「はるちゃん」
名前を呼ぶ。
彼女は一瞬困ったような顔をしてから、いつも通り微笑んだ。
「仲町。奇遇だね、こんなところで」
その笑みは。
私の恋人としての笑みではなく。去年たくさん見てきた、クラスメイトとしての笑みだった。
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