第28話

 正しいか間違っているかで言えば、多分間違っているのだと思う。いくら人目につかない場所とは言っても、ここは学校の中なわけで。そもそもキスはこんな頻繁にするものではなくて、それで。


 考えている間に、彼女と舌を絡ませる。

 粘着質な水音と、彼女の味。それをいつも通りとして受け取ってしまうあたり、私はもう、戻れないところまで来ているのかもしれない。


 私の髪を優しく撫でる指先も、時折頬にかかる熱い吐息も、全て。

 もはや不慣れなものではなかった。


「春流ちゃん」

「……仲町」


 名前を呼び合うという行為に、果たしてどれだけの意味があるだろう。わからないのに、心地よかった。


 背中がぴりぴり、ぞくぞくするような。

 思わずため息を吐きそうになるような、そんな心地よさ。


 キスなんて大したものじゃないと思っていたのに、こんなにも心地いいなんて。これが、好きってことなのだろうか。


「……ごめん」


 全部終わった後に、彼女はぽつりと言う。


「何が?」

「いきなり連れ出して、キスなんてして」

「全然嫌じゃないから、いいよ。むしろ仲町とするのは——」


 好き、と言いかけて、やめる。

 駄目だ。


 それを言ってしまったら、私はきっと駄目になる。好きの終わりがもっと早まって、この関係も終わってしまうかもしれない。

 私が途中で言葉を止めると、彼女は微かに目を背けた。


「……春流ちゃん。何か、悩んでる?」


 問うというよりは、確かめるような声色だった。

 別に私は、悩んでいるわけではない。悩むなんていう段階はとうに過ぎ去り、ただ今ある感情を繋ぎ止めたいってだけで。

 仲町に話せるようなことは、何もなかった。


「心配になるよ。……不安にもなる。最近の春流ちゃん、どこか遠くを見てるような気がして」

「……そんなことないよ。いつだって、仲町のこと見てる」


 それは嘘じゃない。

 もう隠しておけないくらいには、私は仲町が好きだ。


 だけど、好きって感情は一度芽生えたら、あとは薄れて消えていくものだと知っているから。だから怖くなる。苦しくなる。この気持ちは、果たしていつまで続いてくれるんだろうって。


「……じゃあ」


 仲町は、言う。


「今から私と、デートして」

「今から?」


 今はまだ、昼休みだ。

 午後の授業は残っているけれど、それはもうサボってしまうってことなのか。


 あの仲町が?

 確か、一年の頃は一度も授業を休んでいなかったはずだ。

 それなのに、いいのだろうか。


 そう思って彼女を見るけれど、彼女はまっすぐ私を見つめていた。どうやら意志は固いらしい。


「……わかった。行こっか」

「じゃあ、決まりね」


 ぐっと、彼女は私の手を引っ張る。

 そしてそのまま、階段を下っていった。


 私たちの教室がある階も通り過ぎて、そのまま彼女は裏門に一直線で歩いていく。まさか荷物もそのままにして出るとは思わなかった。


 せめて眞耶にだけは連絡をしておこうかと思ってスマホを取り出すけれど、その前に仲町に取り上げられる。


「……駄目だよ。今は、私だけ見て」


 冷たいような、それでいて甘いような、不思議な声。

 私はそれに絡め取られるように、小さく息を吐いた。


 仕方ない。眞耶ならきっと、察してくれるだろう。今は仲町の言う通り、彼女だけを見ていよう。

 私は仲町の手を、ぎゅっと握った。





 もしかして、今日が私の命日になるのでは?

 そう錯覚させられるほどの衝撃だった。


「はー、楽しかったね!」

「そ、それは何より……」


 仲町は目をキラキラ輝かせている。まさか仲町が絶叫系のマシンを好んでいるとは知らなかった。


 私が連れてこられたのはテーマパークだった。

 この時間に制服で来てしまって大丈夫だろうか、と思ったけれど、意外にも制服姿の人は多い。テストの前に休みの学校が多いのか、それとも制服を着ているけれど高校生ではないのか、それは定かじゃないけれど。


 少なくとも私たちが浮いた格好をしているってことはないようだった。


「一度春流ちゃんとこういうところ来てみたかったんだー」

「そうなの?」

「うん。春流ちゃんと二人なら、きっと楽しめるだろうって思って。……正解だったよ」


 にこり、と彼女は笑う。

 その笑みを見て、午後の授業をサボった甲斐はあったと確信する。いつもとは少し違う、無邪気だけど無垢ではない笑顔。また、私の中の仲町がアップデートされていく。だから私も、自然と笑った。


「それならよかった。仲町が楽しそうだと、私も楽しいよ」

「……ふふ。春流ちゃんと二人だと、気を遣わなくていいからいいな。私らしさとか私っぽさとか、そういう曖昧なもの考えてると肩凝っちゃうよ」

「大変だね、仲町も」


 人から見た自分のイメージなんて、自分じゃわからないものだ。それを維持しなければならないというのは、なかなか大変だと思う。


 自分が好きなものを「雛夏らしくない」の言葉で否定されたら、本当の自分を見せたくなくなるのも道理というものだ。


 私だけは、彼女の好きなものを否定したくないと思う。

 といっても今のところ、否定したくなることもないのだが。


「次はあれ乗ろ!」

「えっ」

「さあさあ! 時間は待ってくれないよ!」

「私は仲町に待ってほしいです……」


 彼女は明らかに絶叫マシンっぽいアトラクションに突撃していく。


 否定はしない。しない、けど。

 ちょーっとだけ、休ませてくれないだろうか。このままでは私は粉々になってしまう。それでも彼女はお構いなしに、列に並び始めた。


 長い列だ。

 平日でもこういう場所に遊び来る人は多いらしく、パーク内はひどく混雑していた。別に待つこと自体は嫌いじゃないから、いいんだけど。


 私たちはしばらくなんでもない話をして、自分たちの番が来るのを待った。


 長い待ち時間を退屈に感じない程度には、会話も弾む。

 付き合ったばかりの頃は、沈黙の方が目立っていたけれど。今は話していない時間の方が珍しくなっている。

 私たちももう、立派な恋人なのかもしれない。


「あはは、春流ちゃんすごい嫌そうな顔してる」

「絶叫系、得意じゃないからねぇ……」

「でも、付き合ってくれるんだ?」

「二人で乗る方が楽しいでしょ?」


 私が言うと、彼女は嬉しそうに笑った。


「うん。一人で好きなことするより、好きな人と好きなことする方が、ずーっと楽しい」

「だよね。好きなことしてる仲町が、一番輝いてるから。こういうのはちょっと疲れるけど、それでもいい」

「優しいね、春流ちゃんは」


 優しさとは違うような。

 そう思っていると、私たちの番が来る。


 なぜ人はこんな三半規管を破壊してくるようなアトラクションを嬉々として乗るのだろう。もしや皆苦しいのが好きなのだろうか。いやいや、そんなはず。


「楽しみだね、春流ちゃん!」


 私は頬が引き攣りそうになるのを感じながらも、観念して彼女と一緒にアトラクションに乗った。案の定死にそうにはなったけれど、隣ではしゃぐ彼女があまりにも可愛くて、綺麗だったから。


 私が死にかけるくらいは別にいいかな、と思った。

 ……でも、次はもっと静かなアトラクションがいいです。

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