第27話
好きという感情についてあまり詳しくなくても、その正体についてよく知らなくしても、人を好きになることはできるらしい。
「ナイスシュート! 雛夏、さすが!」
「えへへ、でしょ! 次も決めるよ!」
体育館の床の振動は、心地いいようなそうでないような、微妙な感じだ。
この前二人でバスケをした時もうまかったけれど、集団戦になると彼女はもっと輝くようだった。さすが愛され系である。
私はといえば。
今日は貧血で体育はお休みである。ちょいちょい貧血になるから、体育の見学には慣れている。とはいえ、体育座りでクラスメイトの動く様をただ見ているというのも割と退屈だ。
最近は仲町を目で追っているから、良くも悪くも退屈しないけど。
「熱い視線だねー、春流」
不意に、近くから声が聞こえる。
眞耶は相変わらずふらふらと、私の方にやってきていた。
「ま、そうかもね。私、仲町のこと応援してるから」
「ちょっとちょっと。ここに愛すべき親友がいるんですけど?」
「愛すべきて。眞耶は別に応援しなくても勝手に頑張るでしょ」
「うわ、贔屓だ贔屓。友達に順位つけるの良くないと思いまーす」
「……しょうがないなぁ。次は眞耶のこと応援してあげる」
「やった! これで三点は確実だね。愛してるよ、春流!」
「へいへい」
眞耶はいつも元気である。
身長とか体格はともかく、内面は小学生の頃から全然変わっていない気がする。私も同じかもだけど。
「ところで、体調は大丈夫そ?」
「ん? まあ、いつも通り。ちょっと休んでれば大丈夫だと思うよ」
「ほんとにー? 春流、平気な顔してすんごい調子悪いとかザラにあるじゃん」
「言うほど?」
「言うほどだよ。小学生の頃からそうじゃん。フツーの顔して、実は三十九度も熱ありました! とかあったし」
「あー……」
「辛かったらちゃんと言いなよー? じゃ、私は華麗な三ポイントシュート決めてくるから」
「はいはい、頑張って」
私は走り去っていく眞耶の背中を見送る。
確かに、彼女の言う通りではあるかもしれない。私は感情や調子があまり顔に出ないのだ。だから周りが気づいた時には大変なことになっている、ということもないことはない。でも、さすがに私ももう子供ではないのだから、大丈夫だ。
ばんやり眞耶の方を眺めていると、彼女は宣言通り三ポイントを決めていた。
私とは比べ物にならないくらい運動神経がいいな。
眞耶が得意げに手を振ってきたから、手を振り返す。
好きという気持ちを自覚しても、日常の形が変わるわけではない。私はそれに少しだけ、安堵した。
「……眞耶、これは?」
「見ての通り! トマトジュースです!」
「……多くない?」
「そりゃそうだ。十本買ってきたから」
「なんで……?」
昼休み。
学内のコンビニから帰ってきた彼女は、私の机に紙パックのトマトジュースを何本も並べていた。
「なんでって言われても。貧血の時は鉄分取んなきゃだし」
「買ってきてくれたのは嬉しいけど……」
「まあまあ。飲めるだけ飲みなよ。残りはテイクアウトしてね!」
「……ありがと」
「いえいえー」
適当なように見えて、意外と気を遣うというか、なんというか。その気持ちは嬉しいけれど、ちょっとむずむずする。
私は弁当を食べながら、トマトジュースを飲んだ。時折眞耶がトマトジュースをくれるから、この味にも慣れている。慣れているけれど、あんまり美味しくない。もっとこう、甘くてフルーティなやつないかな、と思う。せめてオレンジジュースくらい飲みやすければ、常飲してもいいのだが。
ストローに口をつけていると、眞耶の顔がすぐ近くまで迫ってきていた。
距離が近いのは、相変わらず。
「……どうしたの?」
「うん? いやー、なんか最近、血色がちょっと良くなってきたなぁ、みたいな?」
「なんじゃそりゃ」
彼女はにこり、と笑う。
「表情豊かになったっていうか、人間らしさが出てきたって感じ」
「私、これまでは人間らしくなかったの?」
「比較的ね。私はそういう春流も好きだったけど。今は生き生きしてていいと思うよ」
「生き生きねー」
意外と私のことを見ているらしい。
私は珍しく早起きして作った弁当を平らげながら、彼女を見つめた。彼女はじっと私のことを見つめ返してくる。
いや、厳密には私を、というより私の持っている唐揚げを、だろう。
私は小さく息を吐いた。
「はい、あーん」
「え、いいの?」
「お礼ってことで。今日は手作りだよ」
「わーい!」
普段弁当は作らないし、作っても冷凍食品を入れるだけである。今日はたまたま朝早く起きたから、なんとなく作ってきたのだ。
楽しそうに唐揚げを頬張る眞耶を見ていると、作ってきて良かったという気持ちになる。料理はやっぱり、自分で作って自分で食べるよりは他人に美味しく食べてもらった方が嬉しい。
思わず笑っていると、不意に机に何かがぶつかった。
見れば、今にも倒れ込みそうになっている仲町の姿があった。どうやら机の足に引っかかったらしい。
私は咄嗟に弁当箱を置いて、彼女を抱き止める。
その時、彼女と目が合った。
明るい茶色の瞳は、今日も大きくて、綺麗だった。思わず息を呑んだ瞬間、彼女の顔が私に近づいてくる。
まさか、今?
いや、それも、決して。
私は静かに目を瞑った。彼女の動きを待っていると、熱い吐息が耳にかかる。
「春流ちゃん。私に、ついてきて」
ぽそりと、彼女は私の耳元で囁く。
目を開けると、彼女は微かに顔を赤くしていた。
私は小さく頷く。
「ごめん、眞耶。仲町、ちょっと足挫いちゃったみたい。保健室行ってくるね」
「……んー、いてら。あんまり遅いと、お弁当全部食べちゃうぞー」
「はいはい。じゃ、行こ」
「……うん」
私は彼女から離れて、教室の外に歩き出す。
私の前に躍り出たと思ったら、仲町は手を引いてくる。こんなに目立つところでこういうことをしてくるのは、珍しいと思う。
案の定、見られている。私と仲町が学校で一緒にいることはあまりないから、珍しいのだろう。少し居心地の悪さを感じるけれど、仲町が手を繋ぎたいのなら、それでもいいと思う。
最近の私は、仲町のすることならなんでも受け入れる姿勢になってしまっている。
こういうのはあまり良くないとは思うものの、拒否する気にはなれないのだ。
さっき教室で、仲町がキスしてきたとしても。私はきっとそれを受け入れていただろう。その後のことなんて、何も考えず。
これが好きってことなのか。
いや、でも。
考えに耽っていると、彼女は階段を上がって、屋上前の踊り場まで歩いた。前にここで一緒にお昼を食べた覚えはあるが、どうやらここは密会スポットらしい。いきなり早足で歩いたから少し息が切れているけれど、それ以上に仲町のことが気になる。
前と同じで、眞耶としていたことを自分ともしてほしい、みたいなやつかな。
「春流ちゃん」
彼女は私をじっと見つめてくる。
だから私も、彼女をじっと見つめた。
「私、春流ちゃんとキスしたい。今すぐ、ここで」
最近、私たちは歯止めが効かなくなっている気がする。前よりもキスする頻度が高くなっていて、それを当たり前と思うようになって。
このままでは一体、どうなってしまうのか。
わからない。
わからない、のに。
考えるより先に体が動いて、気づけば私は、彼女にキスをしていた。
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