第24話

 こんな暑い日に外に出るなんて正気じゃないと思っていたけれど、仲町となら存外悪くないかもしれない、と思う。


 とはいえ、さすがに日傘を差していても無駄なくらい暑いから、私たちは早々に商業施設に避難してきていた。


「ふいー、ここは涼しいね。砂漠のオアシスだ」

「ふふ、確かに」


 仲町はくすりと笑う。

 さっき好きだと言ってきた時の笑みとは違うけれど、彼女の日常の笑みって感じがして、それも悪くなかった。


 仲町の笑みには色々種類があって、その一つ一つが興味深い。どんな笑顔を見ても……いや、笑顔に限らず。彼女のどんな表情を見ても新鮮に面白くて、興味深くて、心が少し温かくなるような、そんな感じがする。


「……はるちゃん」


 じっと見つめていると、彼女は私をおずおずといった様子で見つめ返してきた。


「うん? どうしたの?」

「えっと、その……」


 仲町は手を開いたり閉じたりして、やがて手を背中に回した。


「やっぱり、なんでもない! 行こ!」


 私は首を傾げそうになったが、彼女の求めていることをなんとなく理解した。


 歩き出した彼女の手を、そっと握る。

 一瞬、時が止まる。動き出した足を止めた彼女は、私の方を振り向いてくる。長く明るい髪の動きが、どこか遠かった。


 振り向いた彼女の顔は、やはりと言うべきか。

 熟れたトマトかなってくらい真っ赤で、でも、嬉しそうな表情だった。


「……どうして?」


 問う声色ではなかった。

 まるで、宙に浮かばせているだけみたいな、不思議な言葉。

 会話の始まりの言葉というよりは、独り言のようだった。


「どうして春流ちゃんは、いつも私が言ってほしいこと言ってくれたり、してほしいことしてくれたりするの?」


 彼女の声には、確かに喜びのようなものが滲んでいる。

 私は別に、仲町がしてほしいことをなんでもわかっているわけではない。ただ仲町は割とわかりやすいところがあって、時々その意図を汲んでいるだけなのだ。あとは、私がただしたいからしているだけで。


 とは思うものの。

 彼女には私が、どう見えているんだろう。


「ずるいよ。私は、まだまだ春流ちゃんが求めてること、わからないのに」

「それでいいよ。わからない方が、わかっていく楽しみがあるでしょ?」

「……そういうところ!」


 仲町は私の手を引いて歩き出す。

 いつになく強引だな、と思う。

 照れ隠しなのか、それとも。


「手なんていつも繋いでるのに。今更照れなくても」

「……だって」


 きゅっと、彼女は手に少しだけ力を込めた。


「好きだから、色々考えちゃうよ。こんな暑い日に繋いだら迷惑かな、とか、汗かいてるから、気持ち悪いと思われないかな、とか……」

「別に、仲町となら暑い日でも嫌じゃないよ。汗は私だってかくし」

「でも、でも……!」

「仲町は、仲町らしくいてよ。自分が思う、一番自分らしい自分で。それが私も、きっと一番好きだから」

「好っ……!」


 他の人がどう思うかは知らないが、少なくとも。

 私の前では好きな自分でいればいいと思う。好きな服を着て、好きなものを飲んで、好きな場所に行けばいい。それを否定する心は、私にはない。私はただそこにいる、飾らない仲町雛夏という人間のことを知りたいのだ。


 面白かろうと、つまらなかろうと、私は仲町のことを知りたい。仲町に興味がある。


「そういうところも、可愛いと思うよ。……ほんと、すぐ照れるね」

「春流ちゃんが照れさせるからでしょ!」

「それにしたってじゃない?」


 彼女は少し不機嫌そうな足取りで、施設の中を歩いていく。

 眞耶とこういうところに来て、手を繋いで歩いたことは何度かあるけれど。その時とは状況が違うというか、心が違うよな、と思う。


 やっぱりそれは、仲町が私の恋人だからなのかもしれない。

 好きということも、恋愛というものもよくわかっていないのに恋人がいるってのも、どうなんだろうって話ではあるけれど。


 今はただ、仲町とこの時間を二人で過ごしたい。

 私はふっと笑って、彼女に手を引かれた。





「大手の雑貨屋ってさ。バッグとか家具とか色々あってちょっとテンション上がるよね」


 私は雑貨屋を見て回りながら言った。

 これまで何度かデートはしてきたけれど、私は仲町の好きなところをいまいちよく知らない。そもそも彼女の趣味はどんなものなのだろう。


 この前卓球をした時はすごい楽しそうにしていたけれど。

 せっかくデートするなら、私よりも仲町に楽しんでもらいたい。そっちの方が彼女の色んな表情を見られるだろうし。


「そうだね。こういうの、見てるだけで楽しいよね」

「仲町って、雑貨好きなの?」

「人並みには。……あ」


 彼女は不意に何かを見つけた様子で声を上げる。

 見れば、そこには猫の形のティーバッグがあった。どうやら見本らしいが、彼女は完全に釘付けになっている。


「あはは、何これ。可愛いじゃん」

「猫に、お茶……! 最高の組み合わせだね!」

「わお。すっごいテンション。もしかして猫好き?」

「うん。昔、うちでも飼ってたんだー」

「へえ。仲町ん家の猫なら、可愛かったんだろうね」

「それはもう!」


 彼女は目をキラキラ輝かせている。

 いつもよりも少し子供っぽくて、なんというか。


「……可愛い」


 おっと。

 つい、口に出てしまった。


「ね! 一個買ってこうかなー」


 仲町の言葉に、私は笑う。

 意外にも鈍感なところがあるかもしれない。今の可愛いは、仲町に対するものだったんだけど。


 猫のティーバッグも可愛いけれど、それ以上に可愛いのは、仲町だ。でも、そんなことを直接言ったら彼女はきっと、爆発してしまう。今はこの楽しい雰囲気を壊したくないから、私は曖昧に笑った。


「じゃあ、うちにも一個置いとこうかな。仲町が来た時のために」

「え」

「ふふ、駄目かな?」

「駄目じゃない! ……その、嬉しい。春流ちゃんが、私が好きなものを、置いてくれるの」

「……そっか」


 私は買い物カゴを手に取って、お茶を二つ入れた。そのままぼんやりと店内を回っていると、不意にハンディファンが置かれているのが目に入る。


 こういうの、買ったことないけれど。

 友達に持っている子もいるし、私も買ってみたら多少涼しく過ごせるかもしれない。そう思って、見本を手に取ろうとする。

 そして、誰かと手がぶつかった。


「あ、すみません」

「こちらこそ……って、春流じゃん! こんなところで会うなんて奇遇……いや、運命だね」


 見れば、そこには驚いた様子の眞耶の姿があった。


「運命て。ただの偶然でしょ」

「いや。この広い日本で二人が出会う確率なんて、天文学的! つまりこれは運命だよ!」


 相変わらずめちゃくちゃである。そもそも地元が同じなのだから、これまで休日に偶然会うことなんて何度も会っただろうに。とはいえここは地元から離れた場所だから、珍しいっちゃ珍しいか。


「春流が夏に外出なんて珍しいねー。隕石でも降るのかな?」

「私だって夏に遊びに行くことくらいあるよ」

「よく言うよ。私が誘っても、断ってばっかだったくせに。前に三回連続で断られたこと、まだ根に持ってます」

「こわっ」


 悪かったとは思っている。

 でも友達と夏に海に行くなんて私には無理だから、何度誘われても断っていたのだ。前に眞耶と一緒に行った時、日焼けでしばらく痛い思いをしたし。


 昔を思い出して苦笑していると、後ろから手を引かれた。

 振り返ると、見たことのない表情を浮かべた仲町の姿があった。


 いや、厳密には、仲町がしたことのない表情だ。どこか暗いような、それでいて、燃え上がるような感情を含んだ顔。

 私は驚いて、目を丸くした。


「……仲町?」

「春流ちゃんは」


 俯いたかと思えば、彼女は顔を上げて眞耶を見つめる。


「私がデートに誘ったんだよ。……室井さん」


 地の底を這うような声。

 眞耶は驚いた様子で、仲町に目を向けた。

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