第23話
仲町と恋人になってから、数ヶ月。季節は春から夏に変わり、ブレザーを脱ぎ去って開放的になってきた今日この頃。
土曜日ということで、私はのんびりと過ごしていた。相変わらずお父さんは土曜日でも仕事が忙しいみたいで、あちこち飛び回っているようだった。そろそろお父さんの部屋も埃が溜まってきているのでは、と思う。
掃除をするのもいいけれど、どうにもそんな気分になれない。
それは、窓の外でみんみんと鳴いている蝉のせいかもしれない。あの声を聞いているだけで暑くなるというか、なんというか。
「……あっつ」
エアコン、効いてるのに。
人体って不思議だ、と思いながら冷凍庫を開ける。買っておいたはずの箱のアイスがなくなっている。
まさか、妖怪にでも奪われたか。妖怪箱アイス喰い。いや、そんなのいるわけなく。
たった数日で私が全部食べ尽くしてしまっただけだ。買いに行こうにも、外は暑そうで面倒臭い。思わずぱたぱたと服を仰ごうとして、服を着ていないことに気づく。そういえば昨日の風呂上がりからずっと下着のままだ。
お父さんがいたら苦言を呈されていそうだ、と思った瞬間、家のチャイムが鳴る。
確認してみると、液晶に映っているのは仲町だった。
「はーい」
『春流ちゃん! 今日、デートしませんか!』
「わお。いきなりだね」
『だ、駄目ならいいんだけど……』
仲町はかなり気合いを入れておしゃれしているみたいだった。服もそうだけど、メイクもちょっといつもより頑張っている、気がする。
いきなりだから驚いたけれど、断る理由もない。
「ううん、駄目じゃないよ。しよっか」
『……! うん!』
「そこ、暑いだろうから。今鍵開けるね」
私は玄関まで歩いて、扉を開けた。
直接見る仲町は、カメラ越しに見る仲町よりもずっと可愛い。私が手招きすると、仲町はどうしてか顔を真っ赤にした。
もしや、熱中症?
麦茶くらいなら出せるけれど、大丈夫だろうか。
どうしたものかと悩んでいると、彼女は素早く家の中に入ってきて、扉を閉めた。
「春流ちゃん! そんな格好で出てこないで!」
「……あ。そういえば、そうだった。ごめんごめん」
「朝から心臓に悪すぎるよ……!」
仲町は平日でも休日でも変わらず元気だ。
私はにこりと笑った。
「……ふふ。この前みたいに、仲町も脱いでみる?」
「脱ぎません! はい、早く着替えてきて春流ちゃん!」
「はーい」
ここのところ、仲町は前よりも余裕が出てきた気がする。顔を真っ赤にしたり恥ずかしがったりするのは相変わらずだけど、あしらい方が上手くなってきたというか。これでもそれなりに恋人として過ごしてきたもんなぁ。
最初はまさか、ここまで長い付き合いになるとは思っていなかった。
すぐに愛想を尽かされると思っていたし。だけど仲町は私が思っている以上に、私のことが好きだったらしい。
私は部屋に戻って、着替えを始めた。仲町も部屋に誘ったけれど、入ってこないようだった。
「……春流ちゃん、いつもそんなに油断してるの?」
「うん?」
「下着のまま、荷物受け取ったりとか……」
少し考えてみる。夏は時々下着で寝たりはしているけれど、チャイムが鳴った時はちゃんと着替えている。なぜ今日に限って着替えることなく外に出てしまったのかいえば、それは。
「しないよ。私、これでもその辺はちゃんとしてるから」
「でも……」
「油断するのは、相手が仲町だからだよ」
私はそっと部屋の扉を開けた。
まだ服は着替えている途中で、他の人にはとてもじゃないが見せられない格好になっている。だけどそれも、仲町になら見せてもいいと思う。
初めてとか二度目とか、関係なく。
思えば最近の私は初めてを捨てるとか、そういうことをあまり考えなくなった気がする。ただ純粋に仲町との付き合いを楽しんでしまっているというか。それはそれでいいっちゃいいのだが、そろそろまた何かしらの初めてを捨てなければ。
「仲町になら、こういうところを見せてもいいって思う。……なんなら、全部見せてもいいってくらい」
「全部……」
「……あはは、見たい?」
「み、たいけど! まだ早いってば!」
「固いなー、仲町は」
まだってことは、いつかは私の全てを見るつもりなんだろうか。
そのいつかってやつは、一体いつ来ることやら。
あるいはもしかしたら、来ないのかもしれないけれど。……いや、うーん。恋は盲目って言葉がぴったりなくらいに仲町は私のことが好きらしいが、でも。未来のことはわからないものである。
仲町の気持ちは変わらなくても、私の気持ちが微妙だ。
この前彼女に好きと言ってしまってから、私は少し変になっている。
なんとなくそわそわして落ち着かないっていうか、こう。言葉には言い表せない感じ。
「……春流ちゃんは慣れすぎ。どこでそんな余裕、身につけたの?」
「んー。……これまで付き合ってきた人から、かな?」
「……ぇ」
上から押しつぶされたみたいに、彼女は掠れた声を上げる。
私は目を細めた。
「嘘だよ。私、仲町以外と付き合ったことないから。……嫉妬した?」
「……」
仲町は目を見開いた。
見てはならないものを見てしまったかのような、そんな顔だった。どうして今そんな顔をするんだろう、と思う。
もしかして、見えてる?
自分の体を見下ろしてみるけれど、大丈夫そう。なら、なぜ。
「どうしたの?」
私が問うと、仲町は首を振った。
「う、ううん。なんでもないんだ、なんでも。……でも、春流ちゃんが私と同じで、ちょっと嬉しい」
「ふふ、そっか」
少し不可解だったけれど、これ以上聞くのもおかしいと思い、そこで会話を終わらせる。
私は部屋に戻って、着替えを再開した。デート用の服なんて持っていないけれど、彼女の隣に並んでも見劣りしないものを選ぶ。
恋人に合わせて服を選ぶというのは、意外に楽しかった。誰かに強制されたわけでもなく、一緒に歩いた時のこととか、服を見せた時の反応とかを考えて服を選ぶ。それだけで、そわそわするというかわくわくするというか、心をくすぐられるような感じがする。
自分の好きな、自分の好み100%のコーデも楽しいけれど。こういうの、なんて言えばいいんだろう。別腹?
そういえば、昔母が言っていたっけ。
相手の好みに合わせて髪の色を変えたくなるくらいの気持ちが、好きってことだって。
まだ、そこまではいかないかもだけど。
私は姿見に映る自分の姿を眺めた。いい加減髪を染め直さないと、さすがにまずいな。今のままでも、彼女はきっと可愛いと言ってくれるだろうけど。
私にも、わかる日が来るだろうか。
相手の好みに合わせて、髪の色を変えたくなるくらいの、気持ちとやらが。
私は小さく息を吐いて、部屋を出た。
「……は、はるちゃん」
「うん?」
部屋から出ると、なぜか仲町が目を輝かせていた。
「その服、初めて見る! え、可愛い! いや、いつも可愛いんだけど、今日はさらに魅力的っていうか、すっごい可愛いよ! 似合ってる!」
彼女は私の手を握りながら、凄まじい近さで褒めてくる。
いや、褒めてくれるだろうとは思っていた。思っていたのだが、まさかここまでとは思わず、一瞬固まってしまう。
だけどすぐに、笑った。
「あはは、ありがと。……仲町、ほんとに私のこと好きだね」
彼女ははっとしたような表情を浮かべてから、恥ずかしそうに笑った。
「ご、ごめんね。鬱陶しかった?」
「全然。嬉しいよ。そこまで褒めてくれるのは、仲町くらいだから」
「……そっか。じゃあ、他の人が春流ちゃんを褒めても、絶対敵わないってくらい、これからもっともっと褒めるよ」
「今のままでも十分褒めてもらってるけど……」
「ううん、足りないよ」
きゅっと、確かめるように手を握ってくる。
顔を赤くしたと思えば自然体に戻って、でもきっと、今日だけであと三回くらいは、顔を真っ赤にするんだろう。
変化する表情の一つ一つが、好きだと思う。
もしかしたら、私は。
「だって、私は。……私は春流ちゃんのことが、世界で一番大好きだから」
仲町は、笑う。
その笑顔は、きっとこの夏の太陽にも負けないくらい眩しくて、それでいて。
見たこともないくらい、綺麗だった。
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