第22話
よくわからない理論だ、と思う。
別に脱がしたことはお礼を言われるほどのことではなくて、そのお礼が私を脱がすこと、というのもよくわからない。ただ、私が何かを言う前に、言葉を奪うように彼女の手がボタンの上を滑っていく。
滑った後は、肌に空気が触れるようになる。そんな繰り返しだった。
寒いのに、熱い。そんなわけのわからない感想を抱いていると、彼女の指がスカートに触れる。もぞもぞと、金具を探るように動く指が、らしくない感じだった。だけどその「らしくなさ」こそ、本来の仲町雛夏らしさなのかもしれない。
だから私は、ただ息を吐いた。
「春流ちゃんって、肌綺麗だね」
「仲町には負けるよ」
「ううん。……春流ちゃんは、世界一綺麗だよ」
私の余裕を奪った分だけ余裕を取り戻したみたいに、彼女は流れるように言葉を発する。私もその言葉の波にさらわれて、流されて、どこまでも平静を失っていく。
心臓の位置を強く感じた。
心臓は体の中心からちょっと左にずれていて云々、というのを遠い昔、授業で聞いたことがある気がするけれど。でも体の中心にひどく熱を感じて、そこから全身に熱せられた血液が巡っていく。
巡る。巡る。巡る。
人の血液は、絶えず循環しているのだと実感する。激しい運動をした直後のように、息が切れた。思わず彼女から顔を背けようとすると、その長い指の先が私の顎をとらえる。
ただ添えられただけの指先が、嘘みたいに力強く感じた。
「……春流ちゃん。好きだよ」
指先が流れていく。
するりと、下へ。淀みなく流れた指先は、やがて再びスカートに触れて、それを抵抗なく脱がしていく。
お揃いの制服を着ていた状況から、下着姿で互いを見つめ合うという状況へ。
いくら恋人とはいえ、なんというか、不思議な状況な気が。いやいや、恋人同士ならもっと深いことをしていてもおかしくはないのだ。これを不思議だと思うのは、私が色々、不慣れすぎるからってだけで。
「えっと、その……こ、これからどうしよっか?」
さっきまで妙に手慣れた感じで私を脱がせていたのに、仲町はここにきていつも通りに戻る。
彼女の指先は、どこへ行けばいいのかわからないといった様子で宙を彷徨っている。私はその手を握って、自分の胸に誘導した。
別に、そういうのを始める合図、というわけでもない。……ただ。
「……仲町。柔らかくなった?」
私は、問う。
柔らかなものに触れば、柔らかくなるのでは。以前と同じ発想で、私に触れさせたけれど。彼女の手は、いつもとは比べ物にならないくらい強張っている。
わお。
もしかして、逆効果でしたか?
そう思っていると、彼女に手を引っ張られて、胸まで誘導される。
確かな熱と、柔らかさを感じた。その奥に、やはり鼓動を感じる。服越しに感じた時よりずっと強くて、温かくて、心地いい音が、指先を震わせる。
ドキドキする。心臓が張り裂けそうで、口から息と一緒に魂まで出ていってしまいそうなのに。それなのに、安心する。どっちなのか自分でもわからなくて、わからないのに、心地よかった。
気づけば私は、彼女を抱き寄せていた。
いつもより肌が密着する。
彼女の匂いがした。太陽みたいで、落ち着く匂い。私は彼女の首元に顔を埋めて、少し呼吸をした。
「……春流ちゃん、かちかちだよ」
「仲町もだよ」
「全然柔らかくなれないね」
「私たちには、まだ早いのかもね」
「ふふ、そうかも。……でも、あったかい」
人と抱き合うことなんてあんまりないから、ここまで安心するものなのかと少し驚く。彼女はためらいがちに私の背中に触れてから、やがてぎゅっと抱きしめ返してくる。その力強さが、やっぱり心地よかった。
そのまましばらく抱き合って、やがて、どちらからともなく離れる。
不思議とそれでも寂しいと思わなかった。もっとも、私に寂しいなんて感情がまだあるのかは不明なのだが。
「……嫌じゃなかった?」
仲町は、ぽつりと言う。
私は首を傾げた。
「何が?」
「その、脱がされるの」
「ううん、全然。仲町に触られて嫌って思ったことないって言ったでしょ?」
実際どうなんだろう、と思う。
仲町になら何をされても嫌だと思うことはないような気がするのだが、結局まだ、何をされたら嫌だと思うか試せていない。
私は自分の胸に手を置いた。
少し、鼓動は落ち着いてきている。
小さく息を吐いて、腕を広げてみせた。
「ほら、不安ならどこでもいいから触ってみなよ。……今日の目的は、何をされたら私が嫌だって思うか知ることだからね」
「えっと……」
彼女はためらいがちに、私に手を伸ばしてくる。果たしてどこに触ってくることやら。そう思っていると、その指が私の髪に触れる。
「仲町、髪好きだね」
「春流ちゃんの髪だから。それに、色、変えちゃうかもしれないんでしょ?」
「仲町がこの色がいいなら、また同じ色にするけど」
「ううん。春流ちゃんの髪なら、どんな色でもきっと好きだよ」
「虹色とかでも?」
「もちろん。……ただ、今は。私がずっと見てきたこの色を、目に焼き付けたいなって」
そういうものか。
私は無抵抗で彼女に身を任せる。彼女は指先で髪を撫でたり、梳かしたり、たまに軽く弾いたりした。その動作の一つ一つに、愛おしさのようなものを感じるのはなぜだろうと思う。
そのまま目を瞑っていると、髪を編み込まれていく。
あんまり私は髪に編み込みを入れないから、新鮮だ。再び目を開けると、満足そうに微笑む彼女の顔が見えた。
「ふふ、可愛い。春流ちゃんはどんな髪型でも似合いそうだね」
「仲町は私のこと、大好きだねぇ」
「……うん。大好きだよ」
飾らないなぁ。
こういう時の仲町のことを、私は結構いいなと思っている。いつもの必死な仲町も、それはそれでいいんだけど。
……いや。
そもそも、私は。
「私も仲町のこと、好きかもね」
私が小さく言うと、彼女は目を見開いた。
「仲町?」
「あ、え……っと、その。春流ちゃんに好きって言われたの、初めてだから。驚いちゃって……」
そういえば、そうか。
私にはまだ恋愛とかそういうのはわからなくて、今までは仲町に好きだとかそういうことは言っていなかったような気がする。どうして今になって、好きという言葉が平然と口にできたのかはわからない。
この気持ちは、きっと仲町とは同じじゃない。
だけど確かに、私の本心だった。
「春流ちゃんにそう思ってもらえて、嬉しい、です……」
「また敬語になってる」
「だ、だって! しょうがないじゃん!」
私はくすくす笑った。
日頃から私には好きと言ってくれるけれど、自分が言われるのは恥ずかしいんだ。
いや、まあ、そんなものだよね。
私も自分が脱がせるのはいいけど、仲町に脱がされるのはちょっとドキドキだったし。
待てよ、そういえば。
「……結局、下着見せてるけど。ご感想は?」
別に、照れ隠しとかではないけれど。
仲町に見られてもいいように、というのは実際本当なわけで。
少しだけ、気になったのだ。
「え。あっ……」
自分で脱がせたのに、まるで今初めて私の下着を見たかのように、彼女は顔を真っ赤にさせた。
「……か、可愛いよ」
「そかそか。ありがと。仲町のも、可愛いよ」
「かわっ……!」
ほんと、可愛いなぁ。
いつも彼女は誰より可愛くて、見ていて飽きないし興味深い。彼女にとっても私がそういう存在であればいいと思う。
私は彼女をじっと見つめた。
恥ずかしそうにしているけれど、ちゃんと見つめ返してくれる。それが、嬉しかった。
「ねえ。やっぱり、しよっか」
「……何を?」
「セックス」
私が言うと、彼女は眉根を寄せた。私の発言で気分を害した、というよりは、かなり真剣に考え事をしているって感じだ。彼女はそのまま、たっぷり三十秒ほど悩んでから、やがて静かに首を横に振った。
「し、ない」
「どうして?」
「……多分、爆発するから」
「爆発て。仲町は爆弾か何かなの?」
「間違いじゃない、かも……」
彼女はそう言って、胸を押さえる。
その素直な言葉は、好ましいと思う。
だけど、今。
誘いを断られて残念だと思う反面、少しだけ。
安堵する自分がいた。
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