第20話

 わざわざ苦手な球技をしたのは、嫌いなことをしている時の私の表情がどんなものなのかを知ってほしかったから。そもそも今日は、仲町に何をされたら私が嫌と思うかを確かめる、というのが主題なのだ。


 市民体育館を後にして、私は仲町を自分の家に呼んでいた。相変わらず家には誰もおらず、今週は忙しくなる、的なことが書かれたメモがテーブルには置かれている。


 先週も同じこと書いていた気がする。大人はいつも何かと忙しそうだが、お父さんはその中でも特にバタバタしている。体調崩したりしないか心配だが、大人なら体調管理も万全……なのかな。わかんないけど。


「さてと。じゃ、いきなりってのもアレだし、お茶でも淹れるか」

「待って、はるちゃん」


 キッチンに向かおうとすると、彼女に引き止められる。


「うん? どうしたの」

「今日は、緑茶じゃなくて。……春流ちゃんが飲みたいものがいいな」


 仲町はお客さんなのだから、その好みに合わせるのがいいと思うのだが。


 いや、他でもない彼女が私の飲みたいものを望んでいるのなら、拒む必要もないか。

 私はにこりと笑った。


「じゃ、ビールだな」

「えっ」

「確かお父さんが買ったまんま飲んでないやつが何本か冷蔵庫にあったような……」

「……春流ちゃん、駄目だよ」


 彼女は、静かに言う。

 やっぱり仲町は、こういうところちゃんとしている。駄目なことを駄目と言ってくれるのは、ありがたいことである。

 私はにこりと笑った。


「冗談だよ」

「わかってるよ」


 私の言葉に、彼女は即座に答える。

 思わず目を丸くした。てっきり騙されてくれたのかと思ったけれど、さすがにもうこの程度では騙されないらしい。


「……春流ちゃん、すごい楽しそうだったし。わかるよ」

「……ふふ。じゃあ、これは冗談と本気、どっちだと思う?」


 私はソファに座る仲町の上に、そっと座った。向き合う形で座ると、瞳がひどく近くて、ちょっとドキドキする。


 しかし、ここでそれを彼女に悟られては、全て台無しである。

 バレないように少し深呼吸してから、私は彼女にキスをした。ちゅっと軽く音を立てて、今度は頬へ。彼女は顔を赤くしながらも、抵抗はしなかった。


「……私は、今。仲町とキスしたくて仕方ありませんでした。さあ、冗談か本気か、どっちだと思う?」

「……どっちでも、キスしたのは事実だよね?」


 彼女はぽつりと言う。勢いで乗ってくるかと思ったけれど、意外とそこは冷静なようだった。


「確かにそうだ。意外に雰囲気に流されないね、仲町」


 私が笑うと、彼女は視線を右へ左へと動かす。


「……冗談でしょ」

「うん?」

「キスしたくて、仕方なかったって」

「ほんとにそう思う?」


 私は彼女の顔を覗き込んだ。少し俯いた彼女は、私の様子を窺うようにちらちらと見てくる。冗談だったとしても、本気だと言ってほしいって感じの反応だ。まあ、どっちにせよ。


「……不正解」

「え」

「キスしたくて仕方なかったのは、ほんとの本気。そうじゃなかったら、いきなりしないでしょ。まだまだだね、仲町も」

「……」


 そのまま、私は彼女の首に腕を回した。彼女の高い体温が伝わってくると、心臓の鼓動が速くなっていく。だけどその感覚は、不思議と嫌じゃない。ちょっと、落ち着かないのは確かだけど。


「あの、春流ちゃん——」

「……さて。じゃ、飲み物持ってくるよ」


 私はにこりと笑って、立ち上がった。彼女は目をぱちくりさせて、色々唐突な私の行動に戸惑っているようだった。


 ころころ表情が変わって面白いというか、興味深いというか。やっぱり可愛いよな、と思う。ついからかいたくなってしまうし、色んな反応を見たくなってしまう。どうなんだろうって、自分でもいつも思うのだが。


「そうだ。もし私が本気でお酒飲もうとしてたら。……ちゃんと止めてくれた?」


 振り返って、言う。

 少し顔の赤い彼女は、それでも私をじっと見つめていた。


「……本気だったら、付き合っちゃったかも」


 おや?

 てっきり仲町なら止めてくれるものだと思ったけれど、意外にも不良だったりするんだろうか。こんな調子だと、やっぱり悪い女に騙されてしまうのでは、と思う。


「わお。意外な発言だ。未成年飲酒は最悪退学だよー?」

「春流ちゃんとなら、それでもいい……なんて」

「……やっぱ仲町、悪い女に引っかかるタイプだよ」


 私は小さく息を吐いた。私とならどこまで堕ちても構わないってくらい、私のことが好きなのかな。それはそれでどうなのって思う。でも、好きって気持ちはそういうものなのかもしれない。私にはまだ、仲町と同じ「好き」は遠いように感じられる。


「なら、引っかからないように春流ちゃんが私のこと、監視してて」

「いやいや、そんなの——」


 悪い女に引っかからないように、悪い女に監視させるのはめちゃくちゃじゃありませんか。


 そう言おうと思ったけれど、やはり彼女は私がいい人間だと信じて疑わないような目をしている。そうまっすぐ信じられてしまうと、自分が悪い女だと言い張るのが悪いことのように思えてくる。

 ……しょうがないなぁ。


「……まあ、できる範囲でね。でも、私の誘いでも駄目なことはちゃんと駄目って言わないと良くないよ? 私だって、仲町を堕落させる悪魔かもだしね」

「大丈夫だよ」


 あんまり根拠がないように思える断言だった。

 私は苦笑した。


「相変わらず、仲町は仲町だ。……信頼に応えられるよう、それなりに頑張るよ」

「……うん」


 彼女はそれっきり口を閉ざして、自分の唇に手をやった。まだキスの余韻が残っていたりするのだろうか。私の方は、もう特に何も思うことはないけれど。


 私はキッチンに行って、コーヒーを淹れた。

 別段コーヒーは好きな方じゃないけれど、一応常備しているのだ。カフェオレは好きだし。コーヒーの風味が遠ざかるくらいにミルクを入れるのが私の好みなのだが、多分仲町の好みではないだろうな。


 それでも私の好きなものが飲みたいなら、仕方がない。

 私は大量のミルクをコーヒーに注いで、彼女に持って行った。


「はい、お待たせ。仲町の口には合わないかもだけど。これ、私が割と好きな飲み物」

「カフェオレだ」


 彼女は驚いたように言う。


「ん。そんなに意外?」

「春流ちゃんって、ブラックコーヒーが好きそうなイメージだったから。……でも、勝手なイメージは駄目だね」

「あはは、そう深刻になりなさんな。どんなイメージ持ってても別にいいよ。関わってけば、お互い本当の相手を知れるってものでしょ?」

「そう、だね。その通りだ。……やっぱり春流ちゃんは、大人だなぁ」


 大人は私みたいに人をからかったり試そうとしたりはしないと思うけど。


 まあ、いいか。

 私は彼女の隣に座って、カフェオレを口にした。相変わらず、ミルクって感じの味。砂糖は入れないのが私流だけど、砂糖たっぷりのものもそれはそれで嫌いじゃない。


 彼女の方を見ると、ぼんやりした様子でカップに口をつけている。


 ソファに深く腰をかけた彼女は、何かを深く考えているようにも見えた。私はそっと、その頬に触れる。


「春流ちゃん?」

「かちかちだ。……仲町、何考えてたの?」

「……これが、春流ちゃんの味なんだって」

「……うん?」


 私が首を傾げると、彼女は急にわたわたし始めた。


「あ、や! 違うの! 別に変な意味ってわけじゃなくて春流ちゃんの好きなものってつまり春流ちゃんそのもの? みたいな? そういうあれで!」

「ふーん。……じゃ、今は私、仲町に味わわれちゃってるわけだ?」


 仲町は顔を真っ赤にする。

 私の前だと、いつも彼女は忙しそうだ。もっとリラックスしてもいいと思うのだが、それができれば苦労はしないんだろうな、と思う。


 私は一度カップを置いて、彼女の脚に触れた。

 びくり、と体を跳ねさせる。


「ねえ、仲町」


 彼女に微笑みかけて、私は言った。


「脱がせてもいい?」

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