第13話
心臓に突き刺すような質問だった。
人の感情は移ろうものだ。今の私は、びっくりするくらい仲町に興味がある。彼女の全てを解き明かし、知りたいという気持ちこそ、私の心の大部分を埋めている感情である。
しかし。
明日、明後日、あるいは、一年後。
まだ彼女を興味深いと思っていて、付き合いを続けているかは、わからない。
少なくとも私から別れを切り出すつもりはないが、仲町の方が私に愛想を尽かしている可能性だってある。
私たちの間に、確かなものは何もない。
信じられるものも。
私たちは、好き同士の恋人ではないのだから。
「春流ちゃんが私に興味を持ってくれるのは、嬉しいの。でも、全部知られちゃったら。私を教えちゃったら、春流ちゃんがいなくなっちゃうんじゃないかって、不安で」
「私は……」
私はずっと仲町に興味があるよ。
私は本当に、仲町のことが好きだよ。
真実じゃない言葉は、口にしたって空虚なだけだ。そんな言葉に、人の心を動かすだけの力なんてない。
「……ごめん。やっぱり、何も言わないで」
仲町は弱々しく言った。
そして、私から手を離す。
静かだった。普段の沈黙よりもずっと重くて、まとわりつくような静けさ。私は何かを言おうとしたけれど、結局何も言えなかった。
いつもなら、言葉なんて深く考えようとせずとも出てくるというのに。
「……私、帰るね。なんか、調子悪いみたい」
「……ん」
引き止めた方がいいんだろうな、と思う。
だけど、この前無意識に引き止めた時みたいに、彼女の腕を掴むことはできそうになかった。
無意識ならできる行為も、意識的にやろうとするとかなりの覚悟がいるらしい。
私は彼女と共に、玄関に向かった。ローファーを履いた彼女は、何か言いたそうに私を見ているけれど。私と同じで、何を言えばいいのかわからないみたいだった。別れの挨拶くらいはしないとな、とは思うのだが。
挨拶をしてしまったら、やっぱりまだここにいてくれるのでは、という可能性を完全に否定することになる気がして。
口をつぐんだままでいると、彼女が扉を開ける。
彼女もやはり、何も言わなかった。
扉が開かれると同時に、辺りに轟音が響いた。
思わず外を見てみると、前が見えないくらいの大雨が降っている。傘を差さずに帰ったら、確実に風邪を引くくらいの雨の量だ。
気づかなかった。
いつの間に、こんなに雨が降っていたんだ。
「……雨が止むまで、ここにいてもいい?」
彼女は、言う。
玄関の傘立ては、見て見ぬふりをして。
私は小さく息を吐いてから、言った。
「いいよ。ほら、こっち来て」
「……うん」
彼女は靴を脱いで、またダイニングに戻ろうとする。
私はふと思いついて、彼女に手を伸ばした。
今度はちゃんと、彼女の手を握ることができる。
その手を引くと、茶色の髪が揺れて、彼女の匂いがした。
「せっかくだし、今度は私の部屋でちょっと話そうよ」
「はるちゃんの部屋……」
私の方を振り向いた彼女の顔は、ちょっと赤かった。
「何か、変な想像をしていらっしゃる?」
「あ、や! 別に! 見てみたいな、春流ちゃんの部屋!」
「……ふふ。じゃあ、どうぞ」
私は彼女の手を引いたまま、二階に上がる。
そのまま部屋に案内すると、彼女は小さく声を上げた。
どういう感情で声を上げたのかは、わからなかった。
あんまりにも何もない部屋だからかな。
必要な家具以外は何も置いていないし、趣味のものとかも一切飾っていない。私らしい部屋ではあるけれど、高校生らしい部屋ではないのかもな、と思う。
高校生らしさとか、よくわからないけど。
「は、春流ちゃんの部屋だぁ……」
彼女は初めて富士山を生で見た人みたいな反応をする。
そんなに私の部屋は雄大ではなかろう、と思う。
「予想外の反応だ」
「ごめん、つい感動しちゃって……」
「何もない部屋なのに」
「ううん、春流ちゃんの部屋って感じするし、私は好きだよ」
そんなものだろうか。
果たして喜ぶべきなのか、どうなのか。わからないけれど、仲町が満足しているなら、いいか。
私はベッドに腰をかけた。いつもと変わらない感触だ。いきなり感触が変わっていたら怖いんだけど。私はちょいちょいと手招きした。彼女は少し迷っている様子だったが、やがて、私の隣に座ってくる。
さっきよりもずっと、彼女はそわそわしていた。
ダイニングと私の部屋じゃ、やっぱり違うものなのかな。
「すっごいそわそわしてるね。どうしたの?」
「……春流ちゃんの、部屋だし。春流ちゃんの匂いがするし。落ち着いていられないよ」
「ふーん?」
私はそっと、彼女の胸に耳を押し当ててみた。
服越しだと鼓動なんてあんまり感じないけれど。
確かにちょっと、速いようなそうでもないような。だけどそれ以上に、彼女の体温と柔らかさを感じた。
「ちょえっ……はるちゃん!」
「わ、びっくりした」
「いきなりじゃ心の準備ができないんですけど!」
「あはは、ごめんごめん」
「……謝罪が軽い」
彼女は不満げに言う。
私は彼女の胸から顔を離した。
「確かにね。じゃあ、お詫びするよ。何すればいい?」
「え……っと」
仲町は視線を右に左にやる。それを追うように顔を覗き込んでみると、彼女はまた顔を真っ赤にした。
てっきり怒られると思ったけれど、彼女はそれよりもお詫びの内容について考えるのに忙しいようだった。
しばらくそうしていたものの、彼女は意を決したように口を開く。
「私も、したい」
「うん?」
「その、胸に耳、やるやつ」
「……なるほど」
私はぽんと手を叩いて、ブレザーを脱いだ。そして、そのままブラウスのボタンを外していく。
「な、なんで脱ぐの!?」
「服越しだと、あんまり音がしないから。こっちの方が聞きやすいよ」
「……」
彼女は何か物言いたげに私を見てきたけれど、それ以上何も言わなかった。
そして、耳をぴったりと私の胸に押し当ててくる。
壁に耳当てて、盗み聞きしようとしてる人みたい。
そう思ってしまうほどに、なんというか必死な感じだった。だけどそういう様子がとても愛おしくて、つい彼女の頭を抱き抱えてしまう。
さらりと、彼女の髪を撫でる。
今日も仲町は仲町で、耳に手が触れると、その熱さに驚く。こんなにもわかりやすく好きだと伝えてくる人を、私は他に知らない。
「どくどくしてる」
「かもね。意外と私も、ちゃんと人間みたいだ」
「……結構、速いね」
「そりゃ、まあ。仲町の前だから」
「え」
「一緒にいると、鼓動が速くなること結構あるよ。別に、嫌だからってわけじゃないから安心して」
「それって……」
彼女はそこで、一度会話を終わらせた。
どうやら私の鼓動の音に集中しているらしい。
うるさい心臓の音がもっとうるさくなっていく。
それを聞かれていると思うと、少し。
少しだけ、頬が熱くなる気がした。
表に出ない気持ちを相手に知られるというのは、存外恥ずかしいものらしい。一瞬だけ、呼吸の仕方を忘れそうなほどに。
「私、春流ちゃんは動じない人なんだって思ってた」
「あー。わかるよ。冷たいって言われることあるし」
「そうじゃないの。冷たいとかじゃなくて、余裕があるっていうか。そういうところも、かっこいいって思ってたけど」
彼女は顔を上げる。
幼子のように、無垢な瞳が私を映す。
仲町雛夏は、クラスの人たちに思われているほど無垢じゃない。そのはずなのに、今の彼女はひどく無垢だった。
「春流ちゃんも、私と同じなんだ」
「……そうだね。ふふ、かっこ悪いかな?」
「ううん。……すき」
どうして仲町は、ここまで。
私は胸に感情が満ちるのを自覚して、彼女をきゅっと抱きしめた。
他の何にも似ていないその感触が、どうしようもないくらい愛おしい。
でも。
それを感じれば感じるほど、私の心臓は弾けてしまいそうになる。
……色んな意味で。
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