第11話
それはそれ、これはこれ。
便利な言葉だけど、使いすぎると変な感じになる言葉第一位だ。……私調べで。
最近私はこの言葉をよく頭に思い浮かべている。仲町と仲良くなり、彼女に私の初めてを押し付けるのは悪いよな、と思うこともあって、でも初めてを捨てるために彼女と付き合ったのも確かで。
結局、それはそれ、これはこれなのだ。
彼女のことをもっと知りたいのは本当であるが、それはそれとして、初めてを捨てたい。
だから私は今日、一つの初めてを捨てようとしていた。
「おじゃましまーす……」
「はい、どうぞ」
仲町は恐る恐るといった様子で、私の家に入ってくる。そんなに緊張しなくてもいいと思うのだが、好きな人の家に来るのは緊張するものだろうから、何も言わない。
「ひ、広いお家だね」
「そうかな? いや、仲町が言うなら、そうなのか。……住み心地は悪くないよ。掃除はちょっと、めんどい時あるけど」
「そうなんだ……」
恋人を家に呼ぶのは初めてだ。
ていうか、友達を呼ぶこともあんまりないんだけど。この家に来たことがある友達なんて、片手で数えられる程度しかいない。その中には、もちろん眞耶も含まれている。
別に、友達を家に入れたくないってわけじゃないのだが。
呼ぶと家族について聞かれたりして、面倒なのだ。その点眞耶はいい。細かいとこ気にしないし、面倒なことは聞いてこないから。
「あの、親御さんは?」
仲町は、問う。
それが興味本位の質問でないことは、その手に握られた紙袋を見ればわかる。有名な洋菓子店の名前が書いてあるのを見るに、手土産というやつなのだろう。恋人同士のあれこれはよくわからないけれど、ただ遊びに来るだけなのにこんな高級そうな手土産は必要あるのかな、と思う。
もしそれが常識なら、私も今度仲町の家に行くときは何かしら用意しなければらない。
熱い緑茶に合うものと言ったら、お煎餅とかかな。
今度、何煎餅が好きか聞いてみるとしよう。
「今日はいないよ。多分、帰ってこないんじゃないかな?」
「え。あ、そうなんだ……。じゃあ、これ。親御さんによろしくお願いします」
「大袈裟だなぁ。でも、うん。ありがと。親にも言っとくよ」
私は彼女から紙袋を受け取った。
多分これは、焼き菓子の類なんだろうな。
仲町のことだから、きっと一番人気のものを選んだに違いない。
私はふっと笑って、彼女をダイニングに案内した。
「わ、すごいおしゃれな家具」
「でしょ。なんか、プロにコーディネートしてもらったらしいよ」
「へー……」
「その辺適当に座って。今、お茶淹れるから」
「あ、お、お構いなく」
最近は私の前でも普通に話せるようになってきた仲町だが、さすがに家に招かれると緊張するらしい。
私はキッチンでお湯を沸かして、お茶を淹れた。
仲町が緑茶好きと知ってから、茶葉と急須を買ってきておいたのだ。うちはあんまりお茶の類を飲まない家庭だし、一人だと面倒臭さの方が勝って、コーヒーもコンビニで買ってしまう。
私は適当にお菓子を見繕って、彼女の方に持っていく。
「お待たせ。仲町の口に合うかわからないけど、どうぞ」
「……緑茶だ」
「そうだね。いかにもグリーンティですとも」
「……」
彼女は微妙な顔をする。
てっきりもう少し喜んでくれるかと思ったけれど、そうでもないようだった。
興味深い、と思う。やっぱり仲町は、私みたいな凡人では測れない人らしい。そういうとこ、やっぱり好ましいかも。
「もしかして、私のために?」
彼女は小さな声で言ってから、勢いよく首を横に振った。
「う、ううん! やっぱりなんでもない! 何自意識過剰なこと言ってるんだろ——」
「そうだよ」
「え」
「仲町を家に呼んだ時のために、買っといた。お茶も、急須もね。ほら、恋人にはいちお、喜んでもらいたいでしょ? 重かったかな?」
「そ、んなことないです……」
こういう時は力強く断言するのが、私の知っている仲町だが。
今日はなんだか萎れた白菜みたいだ。いや、どんな表現よって話なのだが。いつもパリッとした感じなのに、今日はしなしな、みたいな?
「ま、とりあえず飲んでよ。美味しい淹れ方、練習はしたけど。うまくできてるかな?」
「……うん」
彼女は湯呑みに口をつけた。
強張っていた表情が、みるみるうちに弛緩していくのを感じる。
人の表情というものは、こうして見ると結構劇的に変化するものらしい。ようやく緊張がほぐれてきたのか、彼女は小さく息を吐いた。どうやらお気に召したらしい。
私はにこりと笑った。
「美味しい?」
「うん、とっても。……なんか、春流ちゃんって感じの味がする」
「私って感じ?」
「……優しくて、あったかい感じって言えばいいのかな」
どちらかというと私は冷たい人と言われがちな気がするが。
仲町が言うなら、そうなのかもしれない。
「あはは、そっか。気に入ってくれたなら嬉しいよ。どんどん飲んでくれていいよ」
「ん、ありがと」
じっと、彼女のことを見つめてみる。
いつもびっくりするくらい声が大きいけれど、反面彼女の唇は薄く、口も小さい気がする。
やっぱり可愛いよなぁ。
同じものを飲んでいても、同じ制服を着ていても、私とは違う。
だけど、こうして私の家でお茶を飲んでいる彼女を見ると、なんだか心が穏やかになる。
友達と自分の家が調和することなんて、あまりないんだけどな。
やっぱ、彼女が私の恋人だから?
私はまだ恋人についてよくわかっていないものの、少しずつ私たちなりの恋人らしさというものを理解できるようになってきているのだろうか。
「はるちゃん? 私の顔に、何かついてる?」
彼女は可愛らしく小首を傾げる。
私は彼女の髪を、耳の後ろに流した。
「……キス、してもいい?」
「……ぇ」
仲町は驚いたように目を見開く。
私も驚いている。別段キスが好きというわけではないはずなのだが。初めてのキスはもう済ませているのだから、そう何度もする必要はないのだ。ないの、だが。必要じゃないキスを、私は仲町としたいと願っているらしい。
そう認識すると、鼓動が速くなる。
心臓というものはなんともいい加減というか、自分自身が感情を理解する前に、その感情に従ってうるさくなるものだからたまらない。
知っているなら、教えてほしい。
鼓動がこんなにも、速くなる理由は?
「なんで、今?」
「なんでかな? 私もわからないや。……嫌かな?」
「……ゃ、じゃ、ない」
「そっか」
前に仲町が、いいって言っているのに「ほんとにいいの?」と聞いてきた理由が、少しだけわかるような気がする。
いいと言われても、実際にするとなるとためらいがちになるのが人間という生き物のようだ。
私もその例に漏れず、顔を近づけたはいいのだが、どのようにキスしたものかとちょっと悩んでいた。
いきなりキスするのではなく、同意を求めた以上、彼女も満足するようなキスをした方がいいのだろう。しかし、満足するキスって一体なんなんだ。掴みかけた私たちらしさの輪郭を、また見失う気がする。
顔の角度を何度か変えていると、仲町との距離が少し近づいた気がした。
気のせいかと思ったけれど、そうではない。
あっと思った時には、彼女の顔が間近まで迫ってきていて、私の唇に柔らかなものが触れた。
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