第10話

「お待たせ。コーヒーとカフェオレ、どっちがいい?」

「えっと、コーヒーで」

「ん。どうぞ」


 公園のベンチに、二人並んで座る。日はすっかり沈んでいて、辺りを照らすのは街灯のみとなっている。


 まだ少し、夜は肌寒さを感じさせる気がする。

 とはいえブレザーがあるからそんなでもないか、と思う。


「いきなり引き止めちゃってごめんね。門限とか、大丈夫?」

「うん。うち、そういうの結構ゆるいから」

「そっか」


 電車なんて数分に一回は来るのだから、すぐに降りて反対方向の電車に乗ればいいだけではある。しかし彼女は、私と一緒に過ごすことを決めたようだった。仲町の最寄りの次の駅で降りた私たちは、そのまま近くの公園に来ている。


 普段はしないようなことを私がしたから、きっとそれが気になっているのだろう。


 私も正直、未だ困惑しているというか、疑問が尽きなかった。

 自分で自分の気持ちがわからなくなるって、現実には起こり得ないことだと思っていたけれど。正直今は、自分の気持ちがよくわからなかった。


「そういえばさ。今日カフェに誘ったのって、眞耶としてたこと、見てたから?」


 なんとなく沈黙が気になって、会話を試みる。

 彼女はコーヒーで唇を湿らせていた。


「……気持ち悪いかな、私」

「そんなことないよ。どうして?」

「室井さんとしてるの見て、羨ましくなって、自分もしたくなるって。……なんか、すごいめんどくさい彼女みたいだし」


 そうだろうか。

 一般的に面倒臭いと言われる恋人がどのようなものなのか、私はよく知らないが。少なくとも仲町の態度くらいなら、可愛い方じゃないのかな。


「じゃあ、私もだ」

「え?」

「いきなり理由もなく恋人を引き止める私も、めんどくさいってことで。お互い様だね」


 私が言うと、彼女は俯いた。


「……めんどくさくないよ。嬉しかった」


 ぽつりと呟かれた言葉に、首を傾げる。


「春流ちゃんは私と一緒にいて楽しいのかなって、疑問に思う時あるから。……私とまだ一緒にいたいって思ってくれて、嬉しい」


 私は目を丸くした。

 まだ、一緒にいたい。


 その言葉は、少し遅れて私の心に浸透していく。

 なるほど、そうか。


 自分では、気づかなかっただけで。私はまだ、仲町と一緒の時間を過ごしたかったのか。いや、そうだ。確かに、その通りだ。私はまだ、今日を終わらせたくなかった。もっと仲町と過ごす時間の比率を増やして、彼女の色んな顔を見て、何気ない会話をいくらか交わしたかったのだ。


 もっと、仲町のことを知りたい。

 彼女をあのまま家に返したくないって、無意識に思ってしまうほどに。


「……ふふ。そうだ、その通りだ。まだまだ、仲町と話し足りない。私、仲町と一緒にいるの、楽しいんだ」


 確かめるように、呟く。

 やはり、しっくりくる。私にこんな感情があるのかと、自分でもちょっとびっくりしている。でも、この気持ちは嘘じゃなかった。


「話そうよ、仲町。もっと仲町のこと、深く知りたいな」

「うん、もちろん。何話そっか」

「じゃあ——」


 私はなんでもない話題を彼女に振った。

 彼女はそれを、当たり前に受け止めてくれる。今度は彼女が別の話題を提供してきて、私もそれに応える。そうして会話をしていくうちに、仲町が私の前でも普通に笑っていることに気がついた。


 たんぽぽの綿毛みたいな、ふわりとした笑み。

 それは、教室で見る彼女の笑みと同じようで、違っていた。


 私だけに向けられるものなのかどうかは、わからないけれど。とにかくその笑顔は可愛くて、目が釘付けになる。


 そして、驚きののちに、私も自然と笑う。

 やっぱり仲町雛夏は、世界で一番可愛い女の子だ。それだけはきっと、これから先私が誰と出会おうと、誰と付き合おうと、一生変わらないのだと思う。


「そういえば。思ったんだけど、仲町って甘いもの、そんなに好きじゃない?」

「え。……なんで?」

「パフェ食べてる時より、コーヒー飲んでる時の方がなんとなく、楽しそうだったから」

「……うん。甘いものは、普通ってくらい。ほんとは、コーヒーの方が好き」


 また、彼女の輪郭がはっきりしていく。

 ぼやけていた仲町が、一人の人間として明確な形になっていくのを感じる。

 それが、心地いい。


「そっか。もしかして、私に合わせてくれてた?」

「ううん。あのお店はパフェが一番有名だったから。それに私、甘いもの好きって思われがちだし」

「……?」

「イメージと違ったら、がっかりさせちゃうかなって。……春流ちゃんは、そんな人じゃないってわかってるのにね」


 私服についてと同じ感じかな。

 自由に生きているように見えて、仲町は意外と誰かの仲町雛夏像に引っ張られているというか、縛られている気がする。


 いや、自由に生きている、というのも私の勝手なイメージだ。

 そんなイメージなんて、どうでもよくて。


「私は別に、どんな仲町でもいいよ」

「……え」

「可愛くても、綺麗でも、かっこよくても。なんなら、休みの日はぐーたら寝っ転がりながら、お尻とか掻いててもいいし」

「さ、さすがにそんなだらしなくないよ!」

「あはは、わかってるよ。……ま、とにかく。好きな服着て、好きに過ごしてる仲町が、一番……世界で一番、可愛いってことだよ」


 私が言うと、彼女は見たことないくらい顔を真っ赤にさせた。

 この薄暗い中でも、それがはっきりと視認できる。やってしまったかな。せっかく自然に話してくれるようになったのに、変に照れさせてしまった。


 だけど、まあ。

 言いたいことは言いたい時に言っておくべきだよな、と思う。

 これから先、言えるタイミングがあるかわからないし。


「……口説き慣れてる」

「うん?」

「はるちゃん、なんか妙に、口説き慣れてる。……やっぱり遊んでない?」

「ないない。私が口説き慣れてるんじゃなくて、ただ仲町が魅力的なだけだよ」

「そういうとこ!」


 仲町は客観的に見ても、魅力的な子だ。

 だから褒めるのを恥じることも、褒めづらいと思うこともない。褒め言葉だって、素直に受け取ってもらえるとわかっていないと言うのが大変だったりするのだ。仲町相手なら、そういうのを心配する必要もない。


「……はー。もう、ほんと。春流ちゃんって、ほんと」

「嫌いになった?」

「ならないってわかってて聞いてるでしょ、それ」

「バレたか」

「……わかるよ。前より春流ちゃんのこと、わかるようになってきた」

「それはありがたいね」


 くすくす笑う。

 仲町はちょっと呆れたような表情を浮かべてから、やがてくすりと笑った。もしかしたら今までで一番、穏やかな時間かもしれない。ようやく私たちも、一緒にいることに慣れてきたのかな。

 だとしたら、少し嬉しく思う。


「……ほんとはね、コーヒーよりお茶の方がもっと好き」

「お茶? 緑茶とか?」

「そう! 緑茶とか抹茶とか、大好きなんだ。熱々の緑茶を飲んでる時が一番幸せなかもしれない……」

「私と一緒にいるより?」

「そ、それはまた別問題だから!」


 熱い緑茶かぁ。

 学校とか彼女の家の近くに、そういうの出す店あったかな。


 帰ったら調べてみよう。好きなものを口にした時の彼女の顔が、とても気になる。


「甘いものは普通だけど、抹茶と一緒に食べるお菓子は好きかも」

「へー。もしかして茶道とか、習ってたり?」

「昔、ちょっとね。でも私、正座が苦手で。やめちゃった」

「ふふ、そっか」

「春流ちゃんはいける?」

「うん。正座で膝枕したこともあるしね」

「……」


 一瞬、会話が止まる。

 私は首を傾げた。


「仲町?」

「あ、ううん! へー、そうなんだ!」


 何やら奇妙な様子で、彼女は会話を続ける。

 どうしたのか疑問に思ったけれど、彼女の態度がすぐいつも通りに戻るから、聞くタイミングを失う。


 やっぱり、言える時に言いたいことは言った方がいいな。

 そう再認識して、しばらく話を続けた。


 彼女と話すのが楽しいせいか、気づけば遅い時間になっていた。さすがにそろそろ彼女を家に帰さないとまずいよな、と思い、私は立ち上がる。


「そろそろお開きにしよっか。家、送ってくよ」

「……いいの?」

「連れ出したのは私だから。送り届けるのも、私の使命だし。恋人らしいこと、させてよ」


 そっと、手を差し出す。

 また照れてしまうかな、と思ったけれど、彼女は私の手をしっかり握って立ち上がる。


「じゃあ。……家までエスコート、お願いしてもいいかな?」

「もちろん。行こう、仲町」

「うん。……ねえ、春流ちゃん」


 歩き出そうとした時、彼女は私の手を引っ張ってきた。見れば、彼女は柔らかな微笑みを浮かべている。


「大好き」


 小さいけれど、はっきりした声だった。

 やっぱり仲町は、世界一可愛い女の子だ、と思った。


 私の鼓動をここまで速くしてくるのなんて、仲町くらいである。私は一瞬固まってから、笑った。


 仲町はそのまま、楽しそうに歩き出す。

 私も釣られて、少し軽い足取りで歩き出した。

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