第6話
友達の家に遊びに行くことって、昔はよくあったけれど、高校生になってからはあんまりない気がする。
友達が家の扉を開けた時の、この言い知れない感じはなんなのだろう、と思う。
ドキドキするような、日常の奥に潜む何かが垣間見える気がして、不安になるような。それなりに仲がいい友達相手ですらドキドキするのだから、仲町相手だと余計に心臓が騒がしくなるような感じがした。
仲町は友達ではなく、一応恋人なのだ。
恋人の家に行くのなんて、初めてである。
「ただいまー!」
「おかえり。お友達も一緒?」
「あ、うん。そう……」
「そっか。えっと、初めましてだね?」
仲町のお母さんは、私に笑いかけてくる。
それを見て、仲町はお母さん似なんだなぁ、と思った。
顔もそうだけど、笑った時の感じとかが、どこか似ている気がする。
「はい。いつも仲町さんとは仲良くさせていただいてます。
「いえいえ、ご丁寧にどうもー。よろしくねー」
「春流ちゃん、こっちこっち」
ちょっと急いだ感じで、彼女は階段を駆け上がっていく。
仲町にも、友達が自分のお母さんと話しているとちょっと恥ずかしい、みたいな感覚があるのかな。
疑問に思いながら階段を登っていると、不意に彼女の脚が見えた。スカートから覗くその脚は、私よりも筋肉質な感じがするけれど、脚であることに変わりはない。彼女は私の体に興味がある様子だったけれど、私はといえば、ちょっと彼女の下着が見えていても、やはり感じるものはなかった。
思えば私は、そういう意味での興奮というのを今まで体験したことがない。果たして好きな人に対するそういう感情とは、どういったものなのか。
わからないまま、彼女の部屋に案内される。
彼女の部屋には、あまり飾り気がなかった。
白を基調とした家具がいくつか置かれていて、ベッドにはぬいぐるみが転がっているけれど、それくらいだ。
部屋には心が表れる気がするのだが、この部屋を見てもそこまで彼女のことはよくわかりそうになかった。
深く知りたいのなら、会話をするのが一番だ。多分。
「くつろいでて。お茶とお菓子、持ってくるから」
「お構いなく」
彼女はバタバタと部屋を出ていく。
その後ろ姿は、一年間クラスで見てきた彼女と同じ。
どうしたものか、と思う。
くつろいでいて、とは言われたものの。人の家でくつろげるほど、私は自由な人間ではない。しかしせっかく恋人の家に遊びに来たのだから、恋人の家でしかできないことをした方がいいよな、と思う。
人の家に来て、私が初めてすること。
少し迷ってから、私はベッドに座ってみた。
外に行った格好のまま人のベッドに座るのは、気が引けるけれど。試さずにはいられなかった。
だけど別段、何も感じない。
普段とは違った匂いがするけれど、それくらいだ。見れば、彼女の机にはリードディフューザーが置かれている。森林の香り、と書かれているけれど、森林っぽいかはわからなかった。何せ、森林なんてほとんど行かないし。
私がわかるのは、ビル街の匂いくらいだ。
そんな匂いのディフューザーは、ないだろうけど。
私はため息をついて、彼女の枕を胸に抱いてみた。森の匂いはしないけれど、彼女の匂いがする。吸い寄せられるように顔を近づけると、どたどたと足音が聞こえてきた。
「春流ちゃん、お菓子——」
彼女の言葉が、止まる。
「な、なな……」
一瞥してみると、彼女の顔が真っ赤になっていることに気づく。
さすがに迷惑だったかもしれない。
私はそっと、ベッドに枕を戻した。
「春流ちゃん! 何してるの!」
「ごめん。つい、気になっちゃって。汚しちゃったかな?」
「春流ちゃんが触ったら、むしろ清められると思うけど……じゃなくて!」
「わお」
今何か、とんでもない発言が飛び出したような。
私はクリーナーか何かだと思われているのでしょうか。
いや、まあ、汚いと思われているよりはいいんだけど。
「眠れなくなっちゃうじゃん! 寝る時まで春流ちゃんのこと思い出したら、今日よりもっと寝不足になるから!」
「そしたら、学校でも膝枕してあげるよ。お詫びってことで」
「え、ほんと?」
「ほんとほんと」
「それは嬉しいけど……」
彼女はお茶とお菓子の乗ったトレーを、学習机の近くにあるテーブルに置いた。美味しいお菓子というのはどうやら、マカロンのようだった。
マカロンか。
そういえば以前、バレンタインにチョコのマカロンを作ったことがあったっけ。あれとは比べ物にならない綺麗で、芸術的なマカロンだと思う。食べるのがもったいないってくらいに。
私はテーブルの近くに座った。
彼女は私の隣に座ってくる。
そして、自然と見つめ合う形になった。
「……はるちゃんは」
時々、仲町はひどく甘えた感じの呼び方をする。その響きは驚くほどに可愛らしくて、興味深くて、もっと聞きたくなる。
テーブルに置かれた彼女の手に、咄嗟に自分の手を重ねた。
長い指が、ぴくり、と微かに反応する。
だけどすぐに、力が抜けた。彼女もようやく、触れ合うことに慣れてきたのかもしれない。
「どうして、私と付き合ってくれたの? 私のこと、まだ好きではない……んだよね?」
消え入るような声。
私は目を細めた。
「まあね。付き合ったのは、個人的に、仲町に興味があるから。……がっかりした?」
「ううん。私に興味を持ってくれるの、嬉しい」
健気というか、なんというか。
私じゃなければきっと、彼女を抱きしめたいとか思ったのだろうけど。私は私だから、ただ彼女の手に触れるのみである。指の骨を辿るように、手の甲へ。白い手に、私の指が僅かに沈む。
「春流ちゃんは、私に興味ないって思ってたから」
そう思ってたのに、告白してきたの?
問おうとしたけれど、何も言えなかった。
私が口を開く前に、唇を塞がれたから。
——仲町の、唇に。
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