第5話

 友達同士のお出かけをデートと称することは、多々ある。私もそういうデートなら何度もしたことがあるものの、自分を恋愛対象として見ている相手とするデートは初めてだった。


 私とて、別に感情が薄いとか、恥ずかしさや緊張を一切感じないということはなく。


 人並みに色々感じはするし、だからこそ初めてを全て捨てたいと思っているわけだが。


 今日の私は、初めてのデートなのに全くもって緊張していなかった。

 なぜかって、それは。


「四十分後に映画の上映があるから、ここは二十分前には出たくて……」


 仲町が、あまりにも緊張した様子だからである。

 自分より怒っている人を見ると冷静になるのと同じで、驚くくらい仲町がわたわたしているから、私は極めて冷静になっていた。緊張する暇もないというか、なんというか。そんな手帳にしたためてこなくてもいいのに、と思う。


 私はまだ、仲町の好き好きっぷりを甘く見ていたのかもしれない。


 私のことがなぜか大好きだということはわかっていたが、ここまでとは。しかし、こんなに必死になられると、さすがの私も楽しめないわけで。


「春流ちゃん! とりあえず二十分くらいここで服見て、それで——」

「はい、没収です」


 私は彼女から手帳を奪って、バッグにしまった。


「うぇっ……春流ちゃん?」

「よくないよ、仲町。プランを立てるのはいいけど、プランに支配されちゃ」

「そうかもだけど……」

「私とのデートのために、色々考えてきてくれたのは素直に嬉しいよ。……でも」


 私はじっと、彼女を見つめた。


「プランより、今ここにいる私のことを見なよ。人の気持ちなんて、水物みたいなものなんだから。柔軟にすることも変えてかなきゃ」

「……うん」

「よろしい。じゃあ、ちょっとついてきてよ」

「え? ちょっ、春流ちゃん! 服はいいの?」

「それより大事なこと、あるしね」


 土曜日の平和な空気を蹴って、街を歩く。彼女の手を強引に引いたけれど、抵抗の様子はない。もっと緊張するかと思ったけれど、いきなり手を引かれた驚きの方が勝って、触れていることに対しては何も感じていないのかもしれない。


 彼女の手はやはり、柔らかかった。

 ふわふわとしていて、でも、人って感じの柔らかさ。友達と手を繋ぐ時とはまた違う、不思議な感覚である。


 私はそのまま、近くの公園まで彼女を連行した。

 小さな公園だからか、土曜日でもほとんど人がいない。ベンチも空いていて、誰も座る気配がない。私は彼女と一緒にベンチに座って、そのままそっと、肩を引っ張った。私の大腿に、彼女の頭が乗る形となる。これはいわゆる、膝枕というやつである。


「……春流ちゃん?」

「私の膝枕じゃ、落ち着かないかもだけど。ま、しばらくそうしてなよ」

「……どうして?」


 私を見上げる瞳は、当惑を多分に含んでいる。そりゃあ、いきなり手を引かれて、こんなところで膝枕をされたら、驚くし混乱するだろうけど。


 私はそっと、彼女の目の下をなぞった。

 少しさらさらとした感触だった。


「眠そうだから」

「え」

「昨日、夜更かししたんじゃない? 立ち方とか喋り方とか、いつもとちょっと違う感じしたし。隈、メイクで隠してるでしょ」

「……そこまでわかるんだ」

「私、意外に鋭いから。……多分」


 実際、鋭いとかそういうのはよくわからないけれど。

 とにかく仲町がいつもとちょっと違うということだけはわかった。最初はデートの緊張のせいかとも思ったが、それにしては変だし。彼女からプランを考えておく、と言ってきたものの、止めるべきだったかもしれない。


 こうなることが、予測できなかったわけではないから。

 初めてを全部押し付けられたらいいな、とは思っているものの、別に何をしてもいいとか思っているわけではないのだ。それなりに、人として尊重しないととも思う。意味ないかもだけど。


「……ごめん」

「何が?」

「心配させちゃって。デートもうまくできないし」

「あはは、別にいいんじゃない? 初めてならそんなもんでしょ。それに、さっきも言ったでしょ。デートのために色々考えてきてくれたの、嬉しいって」

「……うん」

「また機会があったら、今度はいい感じにデートすればいいんじゃない? 今日はまあ、こんな感じで」


 私は彼女の頭を軽く撫でてみた。

 さっきまであんなに緊張していたのに、今の彼女は完全に脱力している。力を抜かせるのに、胸を触らせる必要はもう、ないのかもしれない。あれ、ちょっと楽しかったんだけどな。


「夜更かしはよくないぞー。せっかく綺麗な肌してるのに、荒れちゃったら人類の損失だ」


 私の傍じゃ、緊張して眠れないんじゃなかろうか。

 そう思ったけれど、意外に彼女は眠そうだった。やっぱり、緊張するとかそんなことも考えられなくなるくらい、夜更かししたのかもな。ちょっと悪いことをした。私が適当なプランを考えておくべきだった。


 これも初めてならではの失敗、というやつなのかも。

 やっぱり初めてというのは、厄介だ。早く私の人生から全ての初めてを取り除いてしまいたい。


 だけど、今は。

 仲町のことを眺めていたい、と思う。


 しばらく頭を撫でていると、やがて彼女は寝息を立て始めた。寝顔はやはり、無垢である。それは、どんな人間も同じなのかもしれないけれど。仲町の寝顔をどうにも愛しく思うのは、彼女が興味深い存在だからなのだろう。私はそっと、彼女の頬を突いた。相変わらず、どこを触っても弾力がすごい。

 しかし、反応がないとあまり楽しくなかった。


「……はぁ」


 意識があろうとなかろうと、仲町は仲町なのだが。

 反応を示してくれないと楽しくないというのは、不思議なものだと思う。感情というのは、複雑怪奇だ。


 ぼんやりと彼女の寝顔を眺めていると、不意に桜の花びらがひらひらと落ちてくる。


 なんとなくそれを掴もうとしたら、手が空を切って、花びらが彼女の鼻の上に着地する。


 思わず、笑った。

 人だけじゃなくて、桜にも愛されているのかな。


 満開の時期は皆に愛され、褒められる桜の花も、落ちてしまえば掃き捨てられる存在になる。だけど仲町を彩る花びらは、ただ地面に落ちた花びらとは違って見えた。私はポケットからスマホを取り出して、彼女の寝顔を写真に収めた。


「……あはは」


 今日は、これが見られただけで十分だ。

 初めてのデートも終わらせられたし、何より、仲町のことをもっと知ることができた。


 私は小さくあくびをして、目を瞑った。

 あんまり眠くはないけれど、せっかくだ。夢の中でも彼女に出会えるか、試してみるのもいいだろう。そう思いながら、私は静かに息を吐いた。





「ほんっとにごめん! 寝てるだけで一日終わっちゃうとか、ほんとに!」

「もういいって。私も寝ちゃったし、おあいこってことで」

「でも……」


 寝て起きたら、すでに街は茜色の光に包まれていた。

 硬いベンチでも長く眠ることができたのは、仲町が傍にいたからなのかもしれないけれど、ちょっと脚が痺れる感じがする。

 そろそろ膝枕、やめてもいいかな。


「そうだ! お詫びに家、寄ってかない? ちょうど美味しいお菓子があるんだ!」

「仲町の? ……んー。ご迷惑じゃなければ?」

「大丈夫! じゃ、決まりね!」


 わたわたしたり、すごい押してきたり。仲町は読めない人だ、と思う。でも、どうだろう。こうやって無垢なふりをして人を家に連れ込んで、そういうことをするのが趣味とか……は、ないか。仲町についてはまだよく知らないけれど、さすがにそういうタイプには見えない。


 私はまあ、別に、下心があってもいいんだけど。

 むしろ仲町に関しては、下心があった方がいいと思う。そっちの方がよっぽど、興味深いから。


「じゃあ、そのお菓子に私が満足しなかったら、お仕置きってことで」

「えっ」

「ほら、立った立った。脚、めっちゃ痺れてるから」

「え、お、お仕置きって?」


 彼女は立ち上がって、恐る恐るといった様子で聞いてくる。


「それは、後のお楽しみだよ」


 にこりと笑うと、彼女は顔を真っ赤にした。

 やっぱりそういう想像、するよねぇ。

 仲町は意外と、むっつりだ。


 無垢とは程遠いその様子が、私にとっては面白くて、興味深いものだった。

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