第3話 おまわりさんこっちです!

 そんなわけで、今朝は沙苗と一緒に通学する事になった。


(なんだか変な感じだなぁ……)


 沙苗と一緒に歩いていると緊張して、ソワソワして、恥ずかしくて、やましい気持ちになった。

 なんだかいけない事をしているような気分である。

 だからだろうか。

 二人の間には見えない三人目がいるみたいな微妙な距離があった。


 優斗としては、沙苗の周りにぼんやりとしたバリアが張られているみたいでそれ以上近寄れなかった。

 沙苗を構成する美しさとか可愛さとか、背の高さとか頭の良さとか、その他諸々の完璧さがオーラみたいに彼女を覆っていて、それ以上優斗が近づく事を躊躇わせた。


 それだけでなく、それ以上近づいたら自分のダメな部分が彼女の完璧さを穢してしまうような気さえした。

 というか、こうして一緒に歩いているだけでも彼女の完璧さをじわじわと損なっている気がしてしまう。


(つまり、釣り合ってないって事だよね)


 冷静に分析して溜息を一つ。

 ラインをしていた時はまだ余裕があった。

 だが、こうして実際に会って一緒に歩いていると嫌でも彼女の凄さを実感する。


(大体、美神さんとなにを話せって言うのさ)


 ただでさえ優斗は友達のいないボッチ君だ。

 女の子とまともに話した経験だってほとんどない。

 こんな時、なにを話していいのか分からない。


 ラインではあれだけ饒舌だった沙苗も、いざ会ったら急に黙り込んでしまった。

 正直かなり気まずい。

 モテる男子ならこんな時、スラスラと話題が出てくるのだろう。

 生憎優斗はそこまで器用な人間ではない。


(……こんな風にちょっとずつ僕のダメな所が見つかって振られちゃうんだろうな)


 最初から分かっていた事だが、実感すると憂鬱だ。

 なんだか時限爆弾を抱えて歩いているような気分である。

 と。

 不意に優斗は沙苗がじわじわと距離を詰めてきている事に気づいた。

 その分だけ離れると、沙苗も同じだけ近寄って来る。


 車道側を歩いていた優斗は、沙苗に押し出されるようにして歩道からはみ出した。

 沙苗はなおも距離を詰め、優斗は沙苗から離れ続ける。

 奇妙な追いかけっこは止まることなく、二人は斜め歩きで車通りの少ない住宅街の道路を横断した。


 逆側の歩道に入っても沙苗の追跡は止まらず、逃げ場を失った優斗はムギュッと沙苗のボディプレスで民家の塀に押し付けられる。


「っていやいやいや!? 近いよ美神さん!? 潰れてる! めり込んでるから!?」

「はっ!? す、すまない小丸君! 私としたことが、君に夢中で完全に周りを見失っていた!」

「そんな事ある?」

「だって夢にまで見た小丸君との通学だぞ! 本当に夢に見て、何度ガッカリして泣きそうになったかわらかない! その小丸君が彼氏になってすぐ隣を歩いているんだ! こんなに嬉しい事はない! さっきからずっと夢の中にいるような気分なんだ!」

「それって寝不足で頭がぼんやりしてるだけじゃない?」


 優斗のツッコミは無視して、今まで目をキラキラさせていた沙苗が急に青ざめた。


「待てよ……。これはまさか、夢なのか? いやだぁあああああ!?」


 頭を抱えて絶叫し。


「でも、それなら辻褄が合う……。あれだけやらかしまくってるのに嫌われてないとかあり得ないし……。普通に考えて何も言わずに朝から家の前で張り込んでる彼女とか怖すぎだからな!」

「あ。そこはちゃんと自覚あるんだ」


 そんな指摘はやはり無視して、沙苗がジットリとした視線を優斗に向ける。


「な、なに、その目。ちょっと怖いんですけど」


 寝不足で血走った眼は爛々と輝き、欲望丸出しといった感じである。


「……どうせ夢なら何をしても許されるという事だな?」

「許されないよ!?」

「というかむしろやらないと勿体ないまである」

「美神さん!? お願いだから正気に戻って!?」

「ふふふふ。どうやらは私はSっ気もあるらしい。意地悪な君も可愛いが、怯える君はもっと可愛いぞ。小丸君」 


 ペロリと唇を舐める沙苗にゾッとする。


「おまわりさんこっちです!」

「叫んでも無駄だ! これが私の夢だと分かった今、この世界は完全に私の支配下にある! 明晰夢と言う奴だ!」


 ワキワキといやらしく両手を動かしながら沙苗が迫って来る。

 逃げようにも後ろは塀で完全に追い詰められている。


「違うってば!? これは現実! お願いだから目を覚ましてよ!」

「嫌だね! 折角小丸君と恋人同士になれたんだ。夢でもいい! 私は一生目覚めたくない!」


 狂気的な笑みを浮かべながら沙苗の両手が優斗に伸びる。


「や、やめてよ美神さん!? こんな所で、人に見られるよ!?」

「見せつけてやればいいじゃないか。はっはっは! 抵抗しても無駄だ! 私の方が力が強いからね!」


 あっさり両手を封じられ、凶器的に美しい沙苗の顔が近づいてくる。


(でも美神さんが相手なら別にいいかな。っていいわけないでしょ!? 誰か助けて!? でも凄く良い匂いがする!?)


 恐怖と恥ずかしさとドキドキと下心で優斗の心はグチャグチャだ。

 なんにせよ、助けは来ないし抵抗は無駄らしい。


(あぁ……。ファーストキス奪われちゃう……)


 それもそれでありなのかなと思いつつ観念して目を閉じると。


 ムニュ。


 唇ではなく、両のほっぺに感触があった。


 ムニュムニュムニュ。


 目を開けると、幸せそうな顔で沙苗が優斗のほっぺを揉んでいる。


「はぁぁぁぁ……。これが夢にまで見た小丸君の頬っぺた! なんて柔らかいんだ! とても夢とは思えない! 現実以上の触り心地じゃないか!」

「………………いや。別に期待してたわけじゃないですけどね」


 なんだか酷くガッカリして、恥ずかしい気持ちになった。


「フフ。よくわからないが、拗ねた顔も可愛いよ。小丸君」

「それはどうも。じゃあ、いい加減正気に戻って下さいね」


 ムスリと言って、優斗は沙苗の両頬を思いっきり引っ張った。


「いだだだだだだだだ!? 取れる!? 取れちゃう!? 小顔になる!?」


(……美神さんのほっぺ触っちゃった)


 今まで触ったどんな物より素敵な感触がした。

 その事にドキドキしつつ。


「夢じゃないって分かりました?」


 ジト目で睨むと、沙苗の顔が青ざめた。


「………………嘘、だよな?」

「嘘じゃないです」

「………………頼む。嘘だと言ってくれ」

「諦めてください。最初から完璧に現実です」


 そうしている間にも沙苗の身体はしおしおと萎れるように姿勢を崩し、土下座の体勢に移行する。


「ごめんなさい! 許してください! 寝不足で頭がどうかしてました! お願いだから嫌いにならないで!? この通りだ!? お詫びならなんでもするからぁぁぁぁあああ!?」


 土下座の恰好から優斗の足に縋りついて号泣する。


「ちょ、やめてよ美神さん!? 見てる!? 人見てるから!?」


 人通りの少ない住宅街とは言え、騒ぎを聞きつけてちらほらと野次馬が集まりつつある。


「うわぁあああん! 折角小丸君と付き合えたのになんでこんな事に!? おしまいだぁ! こんなの絶対嫌われたぁああああ!」

「嫌ってないから! かなり残念な人だと思っただけで嫌ってはないですから!」

「それもやだぁ! 小丸君の前では完璧美少女でいたいんだぁああああ!?」

「いやもう出だしの時点で無理だったでしょ。嫌われてないだけでよしとして下さいよ……」

「まぁ、それもそうか」


 ケロッと沙苗が納得する。


「立ち直り早!?」

「だって事実だし。これ以上小丸君を困らせて嫌われたら元も子もないだろう?」

「それはそうですけど……」


 なんだかなぁと思いつつ、落ち着いてくれたなら贅沢は言うまい。


「……で。どうするんですかこの状況」


 ジト目になって沙苗に言う。

 気が付けば遠巻きに集まった野次馬が怪訝な顔でヒソヒソ話をしている。


「任せてくれ! 私に名案がある!」


 ボインと胸を叩くと、沙苗は何食わぬ顔で言った。


「すまないね! 演技の練習に付き合って貰って! お陰で大分この役も掴めてきたよ! この調子なら今度の舞台も大成功間違いなしだ!」

「いや、その言い訳は無理があるでしょ……」


 と思うのだが。


「あら。演劇の練習だったの」

「とんだ修羅場かと思ったけど、まぁそうよね」

「あんなイカレたカップル現実に存在したらヤバすぎだもんな」


 勝手に納得すると、野次馬達が解散する。


「えぇ~……」


 釈然としない優斗に向けて、沙苗がグッと親指を立てる。


「言っただろう? 伊達に完璧美少女と呼ばれているわけじゃない。この顔には、それなりに説得力があるんだよ」

「僕の彼女がリアルチート持ちな件について……」

「ん?」

「なんでもないです」


 なんだか全部どうでもよくなり、改めて二人で歩き出す。


「……美神さん。近いんですけど」

「君の隣を歩きたいんだ。イヤかい?」

「イヤってわけじゃないですけど……」

「ならいいじゃないか」

「まぁ、そうですね……」


 お互いに半歩詰め、見えない三人目を押しつぶす。

 けれど沙苗の纏うバリアのようなオーラは消えず、優斗はその中に取り込まれた。

 気まずくて、息苦しくて、落ち着かなくて、心地よい。

 彼女の体温と共に胸のドキドキする良い匂いがふわりと届く、そんな距離。


(……やっぱり変な感じだな)


 良いか悪いかと言われたら、もちろん良いに決まっているが。

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