僕の右手

@YanagieIsHere

第1話

異世界は存在する。


おそらくこの始めの文を読んだあなたは不信感を抱いたのではないだろうか。しかし、こうはっきり言えるのには理由がある。

時を溯ること十数年前。このとき僕は中学二年生であった。忘れ物が多かった僕は、毎日のように先生に廊下につまみ出され、こっぴどくしかられていた。幾度となく改善しようと様々な策を試みたが、忘れ物は簡単に減ることはなかった。僕は憂鬱な気持ちになりながら、毎日登校していた。


ある日、僕がいつものように学校に行く準備をして、家から出ようとしたときのことである。僕はいつものように家族に向かって玄関で、

「行ってきます!」

と大きな声で言ったが、返事がない。靴を確認してみたものの、靴が無くなった様子もなく、誰かが出入りした形跡も無かった。少しばかりか不思議に思ったが、おそらく気づかなかっただけなのかもしれないと思い、もう一度言っ

た。返事がない。さすがにおかしいとは思ったが、遅刻するとまずいので、玄関のドアを開け、外に出た。


だが、僕は外に出てすぐに異変に気がついた。普段ならば、目の前に両親の車が止まっていて、左を向けば畑があり、右を向けば花壇が、そして近くの坂を少し下っていけば、祖父母の家につきあたる。そんな光景を見るはずだった。だが僕が見たのは、あたり一面が木で埋めつくされている景色だった。そう、僕は森にいたのだ。僕はしばらくわけがわからないまま唖然としていた。そして我にかえった僕は、すぐにひきかえそうと思い、後ろを振り向いた。しかし、そこもやはり森が広がっていて、家などどこにもなかった。

「一体何が起きたっていうんだ...。」

僕は事態を把握しきれぬまま、仕方なく先へ進むことにした。


しばらく歩くと、村と思われるような場所が見えてきた。しかし、よく見てみると信じられない光景が広がっていた。二足歩行で追いかけっこをする犬、弓先で的を射る練習をしているフェレット、ママ友なのかわからないが楽しそうに日本語で話すライオン。他にもたくさんいたが、よく覚えていない。僕はそんな村に入っていった。

村に入ると、動物たちが僕を親切に迎え入れてくれた。物珍しい様子で僕をじっと見ている者もいたが、特別あやしいと思っていないようだった。彼らは僕を真っ先に村長の元へ連れていった。村長の家は他の家に比べで大きかったのですぐにわかった。


村長の家に入った。中は広かったが、誰かがいる気配はしなかった。辺りを見回すと、目の前には大きな座椅子があり、そこに誰かが笑顔で写っている写真が置いてあった。すると、その家に住んでいると思われる者が奥の部屋から歩いてきた。それは、ガラパコスゾウガメと同じ大きさに匹敵するリクガメだった。

「どうも、初めまして。」

僕はリクガメに挨拶した。

「おぉ、かなり久しぶりに人間に会った気がします。」

リクガメは元気そうに答えた。

「先程村の方々から村長の家に案内されまして。」

「そうですか。ようこそ我が村へ。ゆっくりしていってください。」

「ありがとうございます。」

僕はこんなにも歓迎されると思わず、少し驚いてしまった。僕は続けて話した。

「先程から気になっているんですが、その写真に写っているのはどなたなんですか?」

僕は写真の人物がとても気になったので、質問をした。すると彼はこう答えた。

「あぁ、この方はここの村長様ですよ。」

そして彼は続けた。

「そういえば、先日、この村に凶暴化したクマが現れたんです。野生化、とも言えるでしょうか。様子からして、かなり興奮しているように見えました。私はなんとか落ち着かせようと試みたのですが、あっさり払い除けられました。宙に舞い上げられた私はそのまま急降下し、頭を...。」

彼の口が止まった。下を向いたまま固くなってしまった。

「そんなことがあったんですね...お怪我は大丈夫なんですか?」

僕は心配になって聞いた。

「いえ、私は打撲程度で済みました。ですが、村長様が...。」

リクガメは顔を曇らせた。

「え、村長さんがどうかされたんですか?」

僕は聞いた。彼は言いたくない顔をしたが、口を開いてこう言った。

「村長様は、お亡くなりになられました。」

僕はとても驚いた。村に来て早々に村長が亡くなった話を聞くとは思わなかった。だが、同時に疑問が浮かんだ。

「えっ、ということは今村長がいないという状況なんですか?」

話を聞く限り、現在村長が存在しないということなのだろう。リクガメは答えた。

「そういうことです。次の村長はまだ決まっておりません。」

村長のいない村は村として成立するのだろうか。するともう一つの疑問も浮かんできた。

「ではあなたはどういった方ですか?」

村長でなければ何者なのか。彼は驚いたような顔をした。だがすぐに答えた。

「村長様のアシスタントをしていました。先ほどの話を続けてもよろしいでしょうか」

僕はうなずいた。彼は話を続けた。

「私はあのとき運がよく助かりました。なぜなのかははっきり覚えていませんが。私が目を覚ました直後に村長様の家に向かって走っていきました。私はリクガメですからあまり速く走れません。ですが、この時は無我夢中で走っていたのを覚えています。しかし、着いたときには遅かったのです。ドアを開けると、血だらけになったトラ、そうです、村長様が横たわっていました。村長様は優しいご両親に育てられたので、怒ったり、牙を剥いたりするような行為は一切しませんでした。おそらく奴にも抵抗をしなかったのでしょう。あぁ、自分が情けない...行動が鈍いから...。」

「そんな!自分を責めないでください!」

僕は慰めようとした。彼の目から流れる涙は止まることはなかった。

「でも…でも...。」

僕はまた彼のそばにいたかった。だが、彼は僕に出てってくれと言った。僕は村長の家を後にした。外には僕を村長の家まで案内した二匹が僕を待っていた。その二匹はどちらとも猫だった。僕はなぜ村長の家に連れてきたか聞くと、彼らは今のこの世界を救ってほしい、と口を揃えて言うのだった。先程の話を聞いてしまったせいか、やはり同情する気持ちを抱いてしまった。だが、僕は一刻も早くこの世界から出ないといけないのだ。僕は二匹に無理だと告げ、村を出ていこうとした。すると誰かが僕を呼ぶ声がした。僕は後ろを振り向いた。そこには、少し年上のお姉さんみたいな狐が立っていた。

「あなた、村を出てっても休むとこないでしょ!だったらうちの宿屋に泊まっていかない?

今なら安くするけど。」

「お気遣いありがたいんですが、僕には用事があるので...。」

その場をしのぐための嘘をついた。だが、狐はこちらに向かって歩き、顔を僕の耳に近づけ、こう囁いた。

「あなた、異世界から来たでしょ。ふふっ。その件について話したいことがあってね...。」

僕は一瞬耳を疑った。だが、これは悪い話ではないだろう。

「...わかりました。お願いします。」

僕は言った。彼女は僕を宿へ案内し、個室に入るように言われた。


案内された部屋は大して広くなかったが、和室のようなインテリアですぐにリラックスができた。お互い畳に座ると、彼女は話を始めた。

「まず、この森には人間は普通来れないの。」

初っ端からぶっ飛んだ話が来た。

「え?じゃあ、何で僕はここにいるんですか?」

「ちょっとまだ話さないでくれない?最近この世界で多発してる不思議な現象について話さないといけないから。」

唐突な話に脳が悲鳴を上げ始めた。

「実は極稀にここの世界と人間の世界が繋がることがあるの。それは決まってこっちの世界で事件があった時だけなの。だけどそれがどこに繋がって誰が来るかまではわからないんだけど…。」

ますますわけがわからない。僕は異世界転生をしたということか?でもそれが頻繁に起きている?僕は強大な睡魔に襲われ始めた。

「で、用するにあんたはこの世界を救いに来たってわけ。」

もうダメだ。耐えられない。理解を諦めかけたとき、突然顔面に火花が散ったような痛みが走った。恐る恐る目を開けると、あの狐がものすごく怒った顔でこっちを見ていた。おそらく彼女はビンタをしたんだろうと思った。

「人が大事な話をしてると言うのに...。」

お前は人じゃない、と思ったが黙っておいた。

「全く...。今までこの世界に来た人間は皆死んでるんだよ?ちょっとは危機感持ってくれる?」

「え!?死ぬんですか!?」

僕は彼女の言葉に思わずびっくりして大声を出してしまった。狐は慌てた表情で小声で言った。

「しーーーっ!!ちょっと静かにしてよ!」

静かにできるはずがないが、僕は頑張って冷静さを取り戻し、言うことに従った。

「でね、話を戻すんだけど、これまで起きた事件は全て解決してるの。でも不可解なことに、この世界に来た人間の姿はどこにもないの。」

「えっ、どこにもないってことは、まさか行方不明ってことですか?」

「そういうこと。私たちは、何者かに連れ去られたのではないかと思ってるんだけど...。」

非常に物騒な話だ。彼女は話を続けた。

「でも、ずっとこの話を聞かせてもかえって不安を煽るよね。」

「もちろんですよ。僕はもう死ぬんじゃないかと焦っているんですから。」

僕は未だに現実を受け入れられずにいた。異世界に来たことも、救世主であることも、全てがでっち上げのような気もしていたからだ。

「まぁ、この話はここで終わりにしましょう。ごめんね、怖いこと話しちゃって。」

狐は申し訳なさそうな顔をしていたが、少しばかり苦笑いしているようにも見えた。

「いえ、大丈夫です、はい...。」

僕は明らかに元気を無くしていた。

「じゃあこの話はこの辺にしておいて、今日はゆっくりして行ってよ。夜になったらご飯持ってくるから。」

彼女はそう言うと、立ち上がって廊下の方へ向かおうとした。

「あの!狐さん!」

僕は立ち上がって言った。

「何?私は狐って名前じゃないよ?」

狐は笑いながら言った。

「メイ。覚えといて。」

メイはにっこりとした。

「メイさん、お話ありがとうございました。僕の名前は猪狩俊也です。」

僕は言った。するとメイは何かを思い出したのか、目を見開いて言った。

「そういえば前に来た人間も猪狩って名前だったよ。」

「そうなんですか?」

「うん。私記憶力はいい方だから。その前の人は...あれ?」

メイは眉間に皺を寄せて黙り込んでしまった。

「どうしたんですか?」

僕は聞いた。

「いや、なんでもないよ。後でご飯持ってくるね。」

そう言うとメイは部屋を後にした。彼女の不思議そうな顔が何を意味していたのかわからなったが、僕は考えないことにした。夜の7時を過ぎたころ、メイが食事を持ってきた。ホカホカの白米、野菜が盛り沢山のサラダと鯛だと思われる焼き魚。どれもとても美味しそうでヨダレが止まらなかった。メイは去り際に、食べ終わったら食器を廊下に出してくれと言った。そして今日だけは無料で泊まっていいと言うと、スっと部屋を後にした。料理はどれもとても美味しかった。生野菜はあまり好きではなかったが、腹が減りすぎていたせいかとても美味しく感じた。食べ終わった僕は食器を廊下に出し、風呂に行こうとしたが、疲れによる眠気が勝ってしまい、そのまま用意されていた布団で眠ることにした。


次の日の朝。僕はゆっくりと目が覚めた。目をこすろうとしたが、眼鏡をしたまま寝ていたのを忘れていたので、指が眼鏡に当たったときはびっくりしてしまった。そして枕元に何かがあるのに気づいた。それは、メイからの手紙であった。そこにはこう書いてあった。

「行ってらしい。絶対に死なないでよ。狐のメイより」

僕は笑った。そして僕は鞄の中から学校で貰ったプリントの端を少し破いて、筆箱か

らボールペンを取り出してこう書いた。

「ありがとう。また会える日まで。異世界から来た人間 猪狩俊也より」

僕は手紙をわかりやすいところに置いた。そして宿屋を出て、村を後にした。


僕は森の中を一人で歩いていた。昨日メイが話していたことが未だに信じられず、ここは異世界であることは受け入れられずにいた。僕はこれが全て夢であることを祈った。

突然、辺りの草木が激しく揺れだした。強風も吹いていたため、初めは風で揺れているのかと思っていた。だがそれはすぐに違うことに気づいた。何も気にせず歩いていると、後ろから大きな足音が聞こえてきた。それはクマだった。

「おいおいマジかよ!!」

僕はすぐに逃げだした。奴は僕の後ろを追いかけてきた。僕は全力で逃げていたが、運動が大の苦手である僕に体力などあるはずもなく、だんだんとスピードが落ちていった。奴との距離が縮まっていく。そして僕は遂に前に進めなくなった。理由は二つある。一つは体力が無くなったからだ。逃げることに集中してしまい、後のことを考えていなかったのだ。もう足が棒になってしまい、動けそうにもない。そして二つ目は、崖に来てしまったから。少しでも奴と距離を取ろうとして後ろに下がってしまうと、崖に落ちてしまうリスクが非常に高くなってしまうのだ。どうしようと考えているうちに奴がゆっくりと忍び寄ってくる。僕はどうすることもできない。もう死ぬであろうと思ったとき、ふと直径五センチメートルほどの石を二つ見つけた。僕はそれを一つ掴むと奴に向かって投けた。石は奴の左前足に当たった。僕はもう一つ投げようと思い、石を掴んだ時に奴がこっちに向かって走ってきた。

「グォォォォォォオオオオオ!!!!」

奴は大声で吠えながら僕との距離を縮めてゆく。僕は今度こそ殺されるであろうと思ったとき、崖の向こうに光るものが見えた。ここにずっといても奴に殺されるだけだ。どうせ死ぬのなら最後まで足掻きたい。そう思った僕は藁にすがる思いで、それに向かってジャンプしようと考えた。僕の足はもう棒ではなかった。そこまで距離が無さそうだったので助走はしなかった。そして僕は、それに向かって跳んだ。強く打ち付ける風。先程までは降っていなかった雨。風のせいでたまに顔に当たる木の葉。大したことではないが、何故か鮮明に感じた。そして僕はゆっくりと目を閉じた。


気がつくと、僕は自分の部屋の中で横になっていた。先程までいた森などどこにもなかった。身体は全く疲れておらず、今までの光景が全て嘘だったかのように、僕は現実世界に戻っていた。ふと時計を見ると、朝の6時過ぎを示していた。

「一体何だったんだ...。」

突然の出来事にびっくりしてしまったが、僕は同時にホッとため息をした。結局全ては夢だった。現実味のある夢だったのだと、僕は理解した。しかし、そのとき右手に違和感を覚えた。僕は右手を見ると、思わず叫んでしまった。あの時クマに投けようとしていた石を、手から血が出るほど強く握りしめていたのである。

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