幸福を呼ぶ絵から呪いの絵と言われるまでの真実
なんらかの理由で額縁に力を持つ者を宿した絵は、魅了されたヨハンの祖父によってこの画廊へと持ち帰られる。
そして飾られた絵は人々の目に晒されて次々に大勢の人間を惹きつけ、話題になっていった。
「このままいけばなにも起こらなかったんでしょうが、ついにこの額縁に宿った存在の封印が解かれてしまった。それを解いたのが……ヴァネッサ、彼女だったのよ」
シャルロッテの視線はヴァネッサに注がれる。今まで傍観していたヘレパンツァーも目を瞬かせヴァネッサを見つめた。彼女にそのような力も気配も感じなかったはずだ。
ヴァネッサはなにも答えず、ただ前だけをじっと見つめていた。返事がないのを肯定だと受け取り、シャルロッテが小さく頷く。
「そして彼女はおそらく封じられていた者に封印解除の条件かお礼かは知らないけれど願いを叶えてやるとでも言われたのでしょう。そして願ったのよ、婚約者と別れたいと」
「ちょ、ちょっと待てよ。ヴァネッサさま、どうして……。ライマーさまはずっとヴァネッサさまを気にされていました。それはあなたのことを愛していらっしゃるからだと」
ヨハンは頭がついていかない。この画廊にライマーがやってきたのもヴァネッサのためだと思っていた。ヨハンの訴えを受け、ヴァネッサはおもむろに口を開く。
「ライマーさまは、最初から私を愛してなどいません。あの人が欲しいのは次期領主という立場とレーンヘルス家の力を大きくしたかっただけ。彼には恋人と呼ぶ女性が何人もいましたから」
「そ、そんな……」
ヨハンの知っているライマーとヴァネッサは、互いに幼い頃から想い合い、いずれは結婚してこの地を治めていくつもりなのだと思っていた。そのすべてがひっくり返る。
ライマーの不誠実さにショックを受けるヨハンの一方で、ヘレパンツァーはすべてを悟った表情になった。
「なるほど。彼女は最初から婚約者の手癖の悪さも知っていたし、とっくに気持ちなどなかったわけか」
さらにヘレパンツァーは皮肉めいた笑みを浮かべ、ヨハンを指差した。
「けれど、お前みたいにふたりの仲を信じて疑わない人間が周りには多すぎたらしいな。だから彼女は恐ろしい悪魔を頼るしかなかった」
意地悪いヘレパンツァーの指摘に、珍しくヨハンは狼狽えた。ふたりの幸せを願っていたのが、当人の重荷になっているなど思いもしなかった。
「まぁ、彼女が封印を解いたのは偶然でしょうけれどね。だから呪いの絵と言われ出したのと同時に人々が一斉に絵に興味をなくしたのよ」
さらりとシャルロッテが話題を戻す。勢いを削がれたヘレパンツァーは再びシャルロッテの話を聞く態勢になった。
「私の話が間違っていたら、訂正して。あくまでも得た情報から今回の件を推理しただけだから」
シャルロッテはヴァネッサに断りを入れてから語りだす。
「彼女としては、いくら結婚しなくてはならないと覚悟している相手とはいえ婚約者の彼と噂の恋人同士の絵を見るのは憂鬱だった。ギャラリーもいる中で、さらにはその絵を見たふたりは永遠の愛で結ばれるなんていわく付きなんだから」
「いわく付きってなんだよ」
思わずヨハンがいつもの調子で口を挟む。その反応にシャルロッテは軽く笑った。そして彼女の饒舌具合が増していく。
「噂の真偽がどうであれ、結婚話に拍車がかかるだけなのは明白だった。けれど周りは自分たちが絵を見るのを期待して見守っているから露骨に拒否も、嫌な顔もできない。そんなとき絵の感想を求められ、おそらく彼女は素直に褒める気にはなれなかったんでしょう。だから『素敵な美術品ですね』って言ったのよ」
「それが、なんなんだよ」
ヨハンが口を尖らせると事情が呑み込めてきたヘレパンツァーが補足する。
「絵ではなく額縁を褒めたってことか。それが封印を解く条件だったんだな」
「たぶんね。一枚の絵画に対して、美術品って言い方が引っかかったんだけれど、彼女の視線の先は絵ではなく額縁があった。そして偶然にも彼女は額縁に憑いていた者の封印を解いてしまったのよ」
ヴァネッサの前に姿を現した者がどのような外貌をしていたのかはわからないが、少なくとも人間ではないのは察知しただろう。
「願いを問われ、彼女は迷いつつ婚約者との円満な形での別れを望んだ」
「なぜ円満だと言いきれるんだ?」
眉根を寄せるヘレパンツァーにシャルロッテは人差し指を立て言い聞かせる。
「ただ別れたいって言っただけなら、相手が消されて、はい終わりってなりかねないでしょ?」
たしかに契約を成立させるため、悪魔なら手っ取り早く相手を消して終わりにしそうなものだ。ヘレパンツァー自身もそうするだろうと頷く。
しかしヴァネッサはそれを望まなかった。
「彼女も半信半疑だったんでしょうね。そんな気概があるならとっくに別れているでしょうし。家を背負っている自覚もあったみたいだから」
そこで一息つき、ヴァネッサの反応を窺う。まるで罰を受けているかのごとくヴァネッサの表情は苦悶に満ちていた。ややあって震える声が画廊に響く。
「……あなたの言う通りよ。まさか、本当にこんなことになるなんて思いもしなかった」
もしもできるのなら穏便に、極力周囲に迷惑をかけることなくライマーと婚約解消できたのなら……。
悪魔に自分の願いを口にした瞬間、ヴァネッサは恐怖に震えた。絵を見に行った日から体調を崩したのはそのためだ。
悪魔とやりとりしたことも含め、自分の取った行動が恐ろしかった。
「ということは、あの例のメイドは悪魔が化けていたものだったんだな」
「ええ、夢に現れ精神的にも体力的にも追い詰め、疲労困憊となったライマーを悪魔が思うように誘導し、操るのは容易かったでしょうから。そして偶然を装い彼女を決定的場面に遭遇させた」
こうして悲劇のヒロインとなったヴァネッサを責める者は誰もいない。身内の計らいで互いの外聞は保たれたまま彼女の望み通り婚約破棄が成立した。
ヘレパンツァーがシャルロッテの説明に水を差す。
「どこで彼女が黒幕だと気づいた?」
「最初に妙だと思ったのは、ヴァネッサがライマーを訪れた際の話を聞いたときよ」
シャルロッテは余裕めいた笑みを浮かべる。逆にヴァネッサは意味がわからず、わずかに動揺した。
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