聖女よりも(魔)力を持っているのは間違いなく私です
「お、シャルロッテ。どこに行ってたんだよ」
顔を出したのは茅色の前掛けをしたヨハンだ。所々汚れているのは、絵画の整理と修復作業をしていたからだろう。
元々の適応力の高さか、慣れとは偉大で彼のシャルロッテたちに対する恐怖はすっかりなくなっている。
「噂の次期領主さまのところよ」
シャルロッテの端的な回答にヨハンは顔色がさっと変わり、勢いのまま身を乗り出してきた。
「本当にライマーさまのところへ? それでご本人には会えたのか? 絵のことはなにか」
「落ち着きなさい。話すどころか会えてさえいないわ」
冷静にヨハンの言葉を遮ると、彼は勢いよく肩を落とした。
「そう、なのか」
「ねぇ」
ヨハンに落胆させる暇もなくシャルロッテは投げかける。
「ふたりは、どういった経緯で婚約する流れになったの?」
婚約破棄をした原因は定かではないが、代々ここに居を構えるヨハンなら、そこら辺の事情は知っているかもしれない。案の定、彼に戸惑いはなかった。
「ライマーさまとヴァネッサさまのお父上同士がご親戚なのもあって、おふたりは幼馴染みなんだ。自然と惹かれあい、物心がついたときから婚約なさっていたらしい」
幼い頃からお互いを一途に想い合った末の結婚という筋書きは、ロマンス小説の王道さながらだ。
身内だけではなく民衆を巻き込み、期待と祝福に輪をかけていたのも納得だ。逆に言うと当人だけの話ではすまない背景がある。
「それはまた気の毒ね」
「だよな。なんで別れることになんか……」
噛み合っているようで、微妙にずれているふたりをヘレパンツァーは口を挟まずにただ傍観する。一族でこの辺りの実権を握るためにも、ライマーとヴァネッサの婚約は親族にも望まれていたものだ。
やっぱりあの絵のせいなのかと頭を抱え出すヨハンにシャルロッテは話題を変えた。
「画廊はどうなの?」
自分のペースで話を進めるシャルロッテにヨハンは物言いたげな面持ちになる。だが、いちいち指摘してもどうせ相手は変わらない。諦めの境地でとりあえず質問に答える。
「相変わらずの閑古鳥さ。こんなことなら、あのとき売っちまえばよかったんだ」
「引く手数多だったみたいね」
ヨハンの独り言に水を向けると彼は大きく頷いた。
「まぁな。ちょうどライマーさまたちが見に来る前にさ、売ってほしいって言われたんだよ。しかも同じ人に何度も」
「物好きな人間が多いのね」
またもやヨハンの機嫌を損ねると思われた。ところがヨハンは同意でも否定でもない曖昧な表情になる。
そんな彼に今度はシャルロッテが訝しげな視線を送った。それを受けヨハンは記憶を辿りながら語りだす。
「たしかに……印象に残ってる。珍しく若い女の人だったんだ。じいちゃんも不思議がっていた。こういう絵を欲しがるのって金持ちの年配者とか、貴族に仕える人間とかが多いんだけれど……」
そういった事情はなく、女性は個人的に欲しいという雰囲気だったらしい。
「やけに切羽詰まった雰囲気だった。興味や話題性というよりあの絵を手に入れないと心底困るっていった感じで……」
わずかに罪悪感を抱かされるほど熱心だったが、ヨーゼフは例に違わず、売るのを断った。なによりライマーとヴァネッサが絵を見に来るのが決まっていたのだ。
ただ、ふたりが見終わった後だとしても、あのときのヨーゼフは絵を手放すつもりはなかった。
実際にライマーとヴァネッサが画廊を訪れた後、絵の付加価値はさらに上がり、験を担ぐ人間も含め、観覧者は右肩上がりだった。譲ってほしいという人間も。
ところが、しばらくしてヴァネッサが寝込んでいるという事実と共にライマーがあの絵の呪いのせいだと言い出したのだ。
蜘蛛の子を散らすように画廊から人は消え、ライマーの発言に尾ひれがついて事態は一変する。
おかげであの絵画の扱いは天国から地獄に突き落とされたと言っても過言ではない。
「で、その欲しいって言ってきた女性はどうなったの?」
「それがライマーさまとヴァネッサさまがご覧になった後、もう一度くらいやってくるかと思ったんだけれど、姿を現さなくて……。旅人だったのかもしれないってじいちゃんが」
ヨハンは大きく息を吐いた。なんともタイミングが悪い。後悔先に立たずとはこのことだ。しかし過去を悔やんでもしょうがない。ヨハンはわざと明るい声で気持ちを切り替える。
「ところでさ、シャルロッテは魔女なんだろ? 聖女よりすごい力を持ってたりすんの?」
軽い口調のヨハンにシャルロッテは珍しく目を瞬かせる。ヘレパンツァーに至っては、赤い瞳を大きく見開いた。ふっと我に返ったシャルロッテは高らかに宣言する。
「もちろん聖女より私の方がすごい(魔)力を持っているに違いないじゃない」
「じゃあ、その聖女候補から王家を救ったすごい奴って誰か心当たりある?」
続けられたヨハンの言葉にシャルロッテは硬直し、途端に機嫌が下がった。
「……なに、それ?」
抑揚なくシャルロッテは聞き返した。シャルロッテの心の機微など知る由もなくヨハンは「それがさー」と屈託なく続ける。
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